2022年度
9回表。マウンド大谷翔平。バッターボックスはトラウト。二人は同じエン
ジェルス。スマホから流れて来る中継を聞きながら、目はパソコン画面の
聖書研究原稿を見ているけど、仕事にならない。だけど大谷がトラウトを
抑え、優勝が決まった瞬間、思わず叫んだ。「おーし!」。
歓喜!歓喜!!普段は穏やかな印象の大谷が、優勝を決めると、グローブ
とキャップを投げ捨てて、仲間と抱き合い、ジャンプしながら全身で喜び
を表していた。
辛いニュースがとても多かったから、今回のWBC優勝は文句なく心から喜
べたし、本当にうれしかった。
しどんな辛さも、痛みも、苦しみも、悲しみも、全部ひっくり返すキリス
トの勝利があることを固く信じて、やってくる新年度を生き抜こうと思う。
「これらのことを話したのは、
作成した(ホームページでご覧ください)。
エッグは旅先で買い求めたもの。本物の卵の殻にきれいな模様が描かれて
いる。でもどうしてイースターには卵なのか。
卵の殻がキリストの死体を納めた墓で、それを打ち破って、キリストが復
活したことを表すという説も。
どの知名度はない。もしもキリストが十字架で死んだままだったら、死か
ら復活しなかったら、新約聖書もなかったし、キリスト教もなかったし、
教会もなかった。
らしているけど、何の希望もない受難の道を、空しくたどっているのでは
ない。
いるから、私達は弱虫だけど、キリストの受難の道をたどって日々歩むこ
とができる。ありがたいな。
24わたしたちは、このような希望によって救われているのです。
25わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、
乗客が、座席の背もたれをバタン!バタン!と倒してから座っている。
して、座席も進行方向に向かせるためだった。私もマネして、背もたれを
倒してみたけど、座席が重たくて力がいる。今まで何も気にせずに、その
ままの向きで座席に座っていたことに、今更だけど気がついた。
たれの向きを直してから、電車は出発。
トと出会った人は、「赦しと命」へと方向転換させられる。
「赦し」へと、「死」から「命」へと、キリストが私達の進行方向を力強
く、方向転換してくださる。
に向かう道は、キリストがご存じだから。
6イエスは言われた。
ライナ軍に提供する動画を見た。青年の愛車はトラックではなくて普通車
だったけど、ケガ人や食糧を運ぶために使われると言う。
に車を塗り直していく。それらの手作業が彼の兄弟と一緒に行われ、迷彩
模様に塗装された車が無事、軍に引き渡されたところで、動画は終わった。
ものを更に役立つように、しっかり手を加えてから、相手に届ける。これ
は彼らに限ったことではなくて、多くのウクライナ人がしていることだと
いう。
を世に送った。送るだけでなく「すべての人の罪が赦されるための生贄」
として、神に呪われた者のしるしである十字架の祭壇へ、御子キリストを
送った。
るほど、私達は皆、間違いなく、神に愛されているからだ。その確かなし
るしが、キリストの十字架だ。
11彼は自らの苦しみの実りを見
10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたした
いて覚えた大好きな歌が幾つもある。PP&Mの「虹と共に消えた恋」「悲
惨な戦争」。Joan Baezの「勝利を我らに」。Brothers Fourの「花はどこ
へ行った」などなど。これらの歌が戦争の痛みを歌っていることを実感し
たのは、ずっと後だった。
争があった。そして年を重ねた今も、世界から戦争はなくなっていない。
れた2月24日から1年が経った。でも耐えがたい痛みと悲しみが積み重ねら
れつつも、悲惨な状況の終焉は、未だ見えて来ない。
泣いてしまう。
しかし「Oh, deep in my heart, I do believe, We shall
overcome, someday!」と歌っているように、世界中が神の平和の勝利に
満たされることを、心の底から信じて、命が終わる日まで祈り続けて行こう。
10主を畏れる人に救いは近く
11慈しみとまことは出会い
12まことは地から萌えいで
13主は必ず良いものをお与えになり
じ石鹸を見つけて、使っている。ズシリと重くて四角い無骨な感じだけど、
顔も体も洗える便利な石鹸だ。
(アレッポ)」が置いてあり、一緒に買って来た。良く見ると小さな字で、
内戦のためトルコに避難し、困難の中で石鹸作りを再開したアレッポ石鹸
の職人からの言葉として「母国の平和を祈りながら石鹸作りを続けて参り
ます」と、書いてあった。
ら救援のための人手や物資が送られているが、被害が大きくて充分ではな
い。特に内戦が続くシリアでは、現政権に反目する地域への救援が、大き
く遅延していると、報告されている。
って落胆する命。どこの国の、誰の命であれ、本当に命は弱い。そんな弱
い命を救うために、神はご自分の御子を十字架につけた。弱い命だけど、
神が御子の命と引き換えにするほど、私達の命は神に愛されている。どこ
の国で生きようと、神に愛されているから私達の命は尊い。
38わたしは確信しています。死も、命も、天使も、
支配するものも、現在のものも、未来のものも、
力あるものも、39高い所にいるものも、低い所に
いるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの
主キリスト・イエスによって示された神の愛から、
わたしたちを引き離すことはできないのです。
天井に仕掛けた罠には引っかからずに、天井でまた🐭が、走り回っている。
換え工事中です。
外部業者の力を借りての補修が相継いでいる。勿論、補修のための費用は
ただではない。小さな教会だから、教会にかかる負担も小さくはない。
に申し訳なくて、自分が疫病神に思えて来る。
ておけば、これから先、教会生活をする人たちが不安な思いをしないで済
むよな」と。
外の誰かのための癒し、平安、喜びになるはず。それがいつなのかは分か
らないけれど、今、与えられている日々の営みを、神の御前に誠実に積み
上げて行こう。
16主はこう言われる。
17あなたの未来には希望がある、と主は言われる。
て、贖わねばならない。」(出エジプト記13章13節)という言葉に、ある意
味フリーズしてしまった。
いや、ほとんど使わない。
そこで「十字架につけられたキリストが、ご自分の命と引き換えに、罪に
支配され、罪の奴隷だった私達を、神のもとに買い戻してくださった」、
その救いを表す時に、「キリストによる贖い」という。
とは限らない。むしろ聞き慣れているだけに、「キリストによる贖い・キ
リストの犠牲」に慣れているかも知れない。だとしたらキリストの贖いに
よって、罪の中から買い戻され、救われた恵みを軽んじているということ
だ。
リストに贖われたことに、いつもドキドキしていたい。キリストに贖われ、
神のものとされていることに、いつも驚いて、感激して、大喜びして、感
謝して生きていきたい。「キリストの贖い」を命のない死語にしたくない。
22わたしはあなたの背きを雲のように
7わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、
洗礼は罪人が水に沈められて死に、水から引き上げられた時、神のものと
して新しく誕生したことを表す。
いのに、イエス様は洗礼を受けた。イエス様が水から上がると天が裂け、
霊が降り、天から声が聞こえた。
うこと。イエス様の洗礼は「罪人として神から捨てられる十字架の死」と
「死からの復活」に向かう道のりへの序曲でもある。
して、罪人に寄り添い、徹底的にへりくだり、罪人の救いに徹したことへ
の「神からのOK、GJ」だった。
らなかった。そしてイエス様は、神から完全に捨てられ、神から最も呪わ
れた罪人の一人となられた。
なに深く堕ちようと、どこまでも限りなく私達に寄り添い続けてくださる
「イエス様と言う救いの裏地」が、私達に縫いつけられている。だから何
が起きようとも、必ずこの方が私達を見捨てず、私達を神の懐に届けてく
ださる。
34三時にイエスは大声で叫ばれた。
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