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坂の途中から2024年4月14日 中島 善子
4月最初の礼拝の時、教会の桜が満開だった。その後、強い雨が降った
ので、桜の花びらが、たくさん散ってしまった。そして今日、仕事を中断
して、教会の桜の周りをなんとなく歩いた。
すると足元が白い水玉模様になっている。教会の階段も、教会の前の
道路も、あたり一面が桜の花びらで、小さな白い水玉模様になっている。
なんだか可笑しくなって、心の中で笑った。
高い木の上で咲いている桜。散ってしまった桜。どちらも同じ桜。でも
私の足元を、水玉模様にしてくれている桜に、感謝した。私の上と下。
桜で暖かくサンドイッチされていることに、心から感謝した。

わたしに尋ねようとしない者にも
わたしは、尋ね出される者となり
わたしを求めようとしない者にも
見いだされる者となった。
わたしの名を呼ばない民にも
わたしはここにいる、ここにいる
と言った。
イザヤ書 65章1節

「わたしは、
わたしを探さなかった者たちに見いだされ、
わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」
ローマの信徒への手紙 10章20節

花屑
花屑豊橋東田教会にて

坂の途中から2024年4月7日 中島 善子
週の初めに、体調を崩してしまった。新年度の準備など、やるべきこと
は山ほどあるのに、何もする気にならなくて、エンジンが全くかからない。
豊橋公園に行った。教会の桜はまだ2分咲きだったけど、豊橋公園の桜
はシッカリと咲いていた。まだ春休みなのか、子供連れも多くいた。しば
し桜の下でくつろぐ。
牧師になって31年目。毎年、桜が咲いても、桜並木の下を通り過ぎるだ
けで、バタバタ仕事に走り回って来た。だから桜は、毎年、通り過ぎるだ
けの景色だった。
こうして桜の木の下に座り込み、ゆっくりお花見なんて、何十年ぶりか
な。思い出せないくらいの「久しぶり」。
その時にしか見えない、味わえない景色がある。それらを果たして私は、
五感を尽くして、味わって来ただろうか。
2024年度が始まった。神から手渡されている一瞬、一瞬をしっかり受け
止めていきたい。神から新たに手渡されていく一つ一つを、その甘さ、苦
み、優しさ、激しさを、逃げずにキリストに癒されながら、支えられなが
ら、導かれながら、とことん味わい尽くして、生きていきたい。

6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。
7そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、
あなたがたの心と考えとを
キリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピの信徒への手紙4章6~7節

桜
豊橋公園にて

坂の途中から2024年3月31日 中島 善子
先週、20数年ぶりに東京在住のご夫妻と礼拝で再会した。ご夫君は、私
が牧師になって最初に洗礼を授けた方。東京と愛知では遠距離だから、同
じ主を見上げて、共に礼拝できるなんて、想像もしてなかった。だから本
当にうれしかった。礼拝が終わって、昼食、夕食を共にしながら、それで
もまだ話は尽きなかった。
イースター礼拝ではキリストの復活を祝うと共に、私達も終わりの日に、
キリストに続いて復活させていただく救いの喜びを、前倒しで味わう。
そしてこの喜びの先にあるのが、救いが完成する終わりの日の礼拝。そ
の礼拝で、多くの信仰の先輩方と再会できる。パウロやペトロに会えるか
も。イヤイヤ、そんなことより、時空を超えたすべてのキリスト者が、主
の御前に集められ、高らかに讃美の声を合わせながら、父、子、聖霊なる
神を、共に仰ぎながら、共に礼拝できる。ハレルヤ。
地上の礼拝はすべて、終わりの日の礼拝の前味だ。

3もはや、呪われるものは何一つない。
神と小羊の玉座が都にあって、
神の僕たちは神を礼拝し、
4御顔を仰ぎ見る。
彼らの額には、神の名が記されている。
5もはや、夜はなく、
ともし火の光も太陽の光も要らない。
神である主が僕たちを照らし、
彼らは世々限りなく統治するからである。
ヨハネの黙示録22章3~5節

聖墳墓教会
聖墳墓教会エルサレムにて

坂の途中から2024年3月24日 中島 善子
前科こそ付かなかったけど、罪を犯しながら生きて来た。頭の中で、ど
のくらい人を殺してきたことか。意識しようがしまいが、息を吐くように、
罪を吐き出してきた。
だから十字架上で、すべての罪を赦すための代価として、キリストが、
ご自分の命を献げ尽くしてくださった。
それだけじゃない。十字架のキリストがその懐で、私を、すべての人を
抱きしめて、愛してくださっている。
でも私は空腹を覚えるよりも、喉の渇きを覚えるよりも、強烈に、必死
になって、キリストを求めているのだろうか。十字架のキリストの赦しを、
キリストの抱擁を、キリストの愛を慕い求めているのだろうか。
主なる神よ、冷たくも熱くもない私の信仰に、キリストを慕い求め続け
る熱さを、どうか与えてください。

15「わたしはあなたの行いを知っている。
あなたは、冷たくもなく熱くもない。
むしろ、冷たいか熱いか、
どちらかであってほしい。
16熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、
わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」
ヨハネの黙示録3章15~16節

12c多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。
イザヤ書53章12c節

聖墳墓教会
聖墳墓教会エルサレムにて

坂の途中から2024年3月17日 中島 善子
エジプトを脱出してからカナンに入るまで、イスラエルの民は40年、荒
野をさまよった。彼らの旅路には多くの困難があったが、神は彼らに昼は
雲の柱を、夜は火の柱を与えて、彼らを導き、照らし、守られた。40年間
は古代人の一生涯にあたるだろう。(出エジプト記13章21~22節を参照)
けれども神は私達の人生の旅路に、雲の柱、火の柱以上の尊い導きを与
えてくださった。十字架のキリストだ。
十字架のキリストは私達に、罪の赦しと、死から命に至る復活の道をも
たらす。十字架のキリストがおられなければ、私達に罪の赦しも、復活の
命の希望もない。でも神は私達に、十字架のキリストを与えてくださった。
十字架のキリストは、罪と縁が切れない私達の不自由さをご存じだ。そ
んな私達と共にいて、私達を何度でも赦して、何度でも愛して、何度でも
復活の命に導いてくださる。
だからキリストは「インマヌエル・神我らと共にいます」と呼ばれる。
罪人を大胆に愛し抜いてくださる全能の神が、私達の人生を共に生きてく
ださる。十字架のキリストと言う命の希望に照らされ、導かれて、守られて
いるから、御国に入るまで、私達は雄々しく今日も出かけて行ける。感謝。

19一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、
一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

21こうして、罪が死によって支配していたように、
恵みも義によって支配しつつ、
わたしたちの主イエス・キリストを通して
永遠の命に導くのです。
ローマの信徒への手紙5章19、21節

聖墳墓教会
聖墳墓教会エルサレムにて

坂の途中から2024年3月10日 中島 善子
2023年度、最後の地区牧師会に出席。礼拝後、近況報告をそれぞれの牧
師が語った。地区の牧師の年齢を平均したら、高齢に傾く。そのためか、
体調不良の報告もあった。
子供の時から大病を患うことなく、この年になったので、年を重ねたら
当然である「心身の衰え・老化」という現実を今、目の当たりにして、本
気でジタバタしている。
パソコンの前にずっと座り続けていると腰が痛い。階段を昇り降りする
時、思わず手すりに頼る。長く歩いていると、股関節が悲鳴を上げる。
あぁ、面倒くさい。コロナで3年間、自粛している間、体がすっかり錆
びついてしまったのかも知れない。
自由に心と体が動く時だけ、信仰も自由に働くのか。そうではないはず。
イヤ、そんなことがあってたまるか。次第に、また確実に衰えて行く心と
体と頭。この厄介さを担いつつ、与えられた命の時間を愛して、生きて行
けるか。
今日という初めての日に向けて、日々、新しくチャレンジして行こう。
心配しなくて良い。十字架のキリストが両手を広げ、私達の右も左も上も
下も、ガッチリ支えてくださっている。それを確信して生きるのが、これ
からも人生だ。

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と
言われました。
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、
むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
コリントの信徒への手紙二12章9節

聖墳墓教会
岩にしたたる香油を拭き取る礼拝者
聖墳墓教会エルサレムにて

坂の途中から2024年3月3日 中島 善子
エジプトに奴隷として売られたヨセフが、エジプトの王の夢を解き明か
したことで、エジプトは大飢饉に備えることができて、多くの民が救われ
た(創世記41章を参照)。
でもヨセフの夢解きより、もっと確かな神の救いの告知を私達は聞いて
いる。「イエス様の十字架と復活」だ。
イエス様はすべての人の罪の赦しの代価となり、十字架でご自分の命を
献げてくださった。しかし三日目にイエス様は死を超えた永遠の命と体と
共に復活された。そして十字架の死と復活を信じる人々に、ご自分と同じ
命と体、罪のない神の子供の資格を与える
と約束してくださった。
健康、財産、権力等、時と共に朽ちるものは救いじゃない。そして救い
の反対にあるのは滅び。すべての人を滅ぼすものとは罪だ。罪は死のトゲ
地雷のように、人は皆、罪に触れて自爆する。
だからイエス様はご自分の命を十字架で献げ、神の御子の命で、死の棘
を覆った。しかしイエス様は死から復活して、永遠の命と体を世に現わし
た。それを聖書は証言する。
私達はイエス様が歴史に刻んだ救いの証言、聖書の証言を見つめながら、
救いの未来に向けて、日々、信仰のボートを漕ぎ出せば良い。
1人でも多くの人がイエス様の救いを得られるようにと、この良き知ら
せ、福音を宣べ伝えながら、本物の命の救いに向けて、日々、私達は信仰
のボートを漕ぎ出せば良い。

御自身の国と栄光にあずからせようと、
神はあなたがたを招いておられます。
テサロニケの信徒への手紙一2章12b節

聖墳墓教会
聖墳墓教会エルサレムにて

坂の途中から2024年2月25日 中島 善子
突然、ロシアがウクライナに侵攻した2月24日が、今年もやって来た。
中学生まで日本で生活していたウクライナ人の動画をチャンネル登録し
て、聞いている。その彼が来日して大阪や東京で、24、25日の土日にオフ
会をする。
5年ぶりに来日した彼は「夜でも買い物など、安全に町を歩ける。一日
中、警報が鳴らず、IDを携帯しなくても自由に外出ができる」など、来
日の感想を率直に語った。それらは私達が見慣れている日常だ。しかし
ウクライナでの日常は、日本での日常ではない。全くの別物になってい
る。
ロシアに対するウクライナの抵抗は、既に3年目に入った。抵抗しなけ
れば、ウクライナは無くなる。しかし国力の差は圧倒的だ。それを日々
体感している彼が、動画を通して語る一言一言が胸に突き刺さる。
「『これからも』と言われても、8~9割を既に消耗している」。
「戦争の対価が、高過ぎる」。
「どうなるか分からないから、今日を楽しむ」。
同じ時代を生きる者として、彼の言葉を「対岸の火事」と聞き流せな
い。私達は無力だけど、無関心になりたくない。平和な日常を求める祈
りを、日本から送り続けて行こう。

5わたしたちの先祖はあなたに依り頼み
依り頼んで、救われて来た。
6助けを求めてあなたに叫び、救い出され
あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。
詩編22編5~6節

聖墳墓教会
聖墳墓教会エルサレムにて

坂の途中から2024年2月18日 中島 善子
父ヤコブには12人の息子がいて、父の溺愛を良いことに、ヨセフは
「家族が皆、自分にひれ伏す」夢を見たと告げた。ヨセフは傲慢だが、
後に彼はエジプトで奴隷となって働き、冤罪で投獄される。だが彼の夢
解きの力で、エジプトが飢饉から救われ、彼の家族もエジプトに避難し
て来て救われる。(創世記37~45章)
神は救いの計画のためヨセフを奴隷として外国で働かせ、牢獄に閉じ
込めた。それは試練を通して、従順な神の道具に打ち直してから、ヨセ
フを用いるためだ。
だが神に打ち直された最も偉大な神の道具はキリストだ。キリストは
神の御子なのに、徹底的に神に打ち直され、人となり、全人類の罪を背
負ったまま「神に呪われた者」として十字架で死んだ。神の救いの道具
となるために、キリストは誰よりも低くなることに徹した。それはなぜ
か。
私達を見捨てることができないほど、神が私達を愛して、私達を求め
ておられるからだ。
神は私達の救いのためなら何でもする。御子さえも、打ち直して用い
るほど、神は何でもする。今度は神の愛を知った私達の番だ。隣人の救
いのため、神の愛と救いを現わす道具として、今度は私達の人生が用い
られて行く番だ。

神はわたしたちを憐れみの器として、
ユダヤ人からだけでなく、
異邦人の中からも召し出してくださいました。
ローマの信徒への手紙9章24節

聖墳墓教会
聖墳墓教会エルサレムにて

坂の途中から2024年2月11日 中島 善子
豊橋駅に隣接する施設で中村哲さんのドキュメンタリー映画を見た。
中村哲さんは医師だが「医療の前に食糧を」と、砂漠地帯における灌漑
工事をアフガニスタンの人々と共に行っていた。見渡す限りの砂漠地帯
が、灌漑により緑豊かな土地に変わって行く映像に驚いた。しかし2019
年12月4日、中村哲さんは、何者かによって射殺された。
映画は彼が現地で行っていた働きのほんの一部分だけを切り取ったも
のだが、それでも映画を見ていた私達の心は、大いに揺さぶられた。
彼には多くの著書がある。その中でタリバンに破壊されたバーミヤン
の大仏を見た彼が「本当は誰が私を壊すのか」と、大仏の声なき声を記
している。
熱狂→弾圧→報復→熱狂。この狂気のリングは、破滅へと向かう。
そして狂気のリングの前に立つ人たちは殺される。それでも、その前に
立ち続ける人たちがいる。罪と言う狂気のリングの前に立ち続けた人た
ち、「十字架のキリスト」に続く人たちがいる。
中村哲さんもその中のひとりだった。私達はどうする。

わたしは不毛の高原に大河を開き
谷あいの野に泉を湧き出させる。
荒れ野を湖とし乾いた地を水の源とする。
イザヤ書41章18節

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、
日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
わたしのために命を失う者は、それを救うのである。」
ルカによる福音書9章23b~24節

荒野に希望の灯をともす
穂の国とよはし芸術劇場にて

坂の途中から2024年2月4日 中島 善子
婦人教職のつどいに、オンライン参加した。今回の主題は「婦人教職の
今までとこれから」。オンライン参加者には、子育て最中の若い教職の
方々もいた。
教会は女性信徒が多い。でも教会の教職は圧倒的に男性が多い。神学校
に3年編入の神学生で、女性は2人だけだった。しかも神学校では、子育
て最中の主婦の入学は、私が初めてだったらしい(子供は小学校1年生)。
神学校時代の4年間、通学の往復4時間を含め、学業と家事の両立は、近
所に住む主婦仲間の支えがあってこそだった。
つどいの中で、育児休暇の要望が出た。聞いていた私も、難産で入院が
長引き、体力が戻らなかった昔を思い出して「そうだよね」と納得。そし
て更に、夫である牧師への育児休暇の要望も、最後に出た。
これは予想外だったけど、心も体もシンドイ時期だから、1人で頑張る
んじゃなくて、夫婦で寄り添いながら、教会の祈りと応援を受けて、教会
全体で子育てが出来たら、本当にうれしいし、幸せだ。そんな日が早く来
ますように。

47イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、
御自分のそばに立たせて、48言われた。
「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、
わたしを受け入れるのである。
わたしを受け入れる者は、
わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。
あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、
最も偉い者である。」
ルカによる福音書9章47~48節

ポーランド
岩塩抗の地下礼拝堂ポーランドにて

坂の途中から2024年1月28日 中島 善子
金城学院大学での礼拝奉仕日、天気予報が「雪」と言っている。ありゃ。
駅から大学まで坂道が続く。坂道が凍結していたり、雪が積もったりして
いたら、普通のパンプスだと、滑って危ない。そこで前日、靴底がゴツゴ
ツの黒靴を買った。しかも外反母趾も余裕の5E。初めて見た。5Eの靴
なんて。まぁ、デザインとか贅沢を言える身分じゃない。「機能性よ。機
能性が大事」と自分に言い聞かせた。
防寒対策のおかげで、問題の坂道も無事にクリアできた。また早めに着
いたので、礼拝前の祈祷会にも参加することができた。教職員が礼拝前に
数人集まり、学生のため、大学のために祈りを合わせている。
大学はこれから卒業式や入試に備えて、忙しくなる。でもこうして具体
的に教職員から祈られている学生って、なんて幸せなんだろう。祈りがあ
るって、そこに神の愛があるってことだよね。雪だったけど、幸せで、あ
たたかい朝だった。

7万物の終わりが迫っています。
だから、思慮深くふるまい、
身を慎んで、よく祈りなさい。
8何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。
愛は多くの罪を覆うからです。
ペトロの手紙一4章7~8節

金城学院
金城学院大学にて

坂の途中から2024年1月21日 中島 善子
悪名高いソドムとゴモラの町を神が滅ぼすことを知り、「町に正しい人
が50人、40人、30人、20人、10人いたら」と、アブラハムは神に執拗に
とりなした。しかし町は滅ぼされることになり、御使いがソドムに住むア
ブラハムの甥ロトに、「振り返らないで逃げろ」と告げた。
聖書は「神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅の只中から救い出さ
れた」
と言う。ロトたちが救われたのは彼らが善人だったからではない。
「誰も滅びないように」と、必死に神にとりなしたアブラハムの祈りのせ
いだ。
とりなしの祈りは無駄にされない。決して赦されるはずのない罪が赦さ
れるようにと祈る、その祈りの先頭に十字架のキリストがおられるから。
神の御子なのに、罪人の頭として命を献げたキリストのとりなしは、決し
て空しくされない。
ロトの一家は逃げたが、滅ぼされる町を見ようと、ロトの妻が振り返っ
た途端、彼女は塩の柱となった。
滅びに向かう私達の片道切符が、キリストの命と引換えに破棄された。
私達が救われたのは「神の御子のとりなし」という尊い代価があるから。
この尊さを忘れ去り、罪の時代に後髪ひかれるなら、私達は塩の柱に変え
られる。
罪の時代を懐かしまずに、キリストが命懸けで用意された赦しの道、救
いの道を、命ある限り、ひたすら歩み続けろ。

だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。
死んだ方、否、むしろ、復活させられた方である
キリスト・イエスが、神の右に座っていて、
わたしたちのために執り成してくださるのです。
ローマの信徒への手紙8章34節

十字架
山の上の十字架リトアニアにて

坂の途中から2024年1月14日 中島 善子
動画で毎日、被災地状況を注視している。ライフラインが破壊されてい
る上に、雪や雨の悪天候も重なり、苦境が続く。でも「もうあかんと思っ
て過ごしていた時、全国から続々と緊急車両が入って来るのを見て、思わ
ず涙があふれた」と、被災者の方が語っていた。それを見ていた私も思わ
ず涙目になった。同じ日本列島に住み、今を生きているすべての人が運命
共同体だ。
また台湾からの支援コメントで「日本有事は台湾有事」と、日本の政治
家の言葉を転用して語っていたのを聞いて、これまた涙目になった。そう
だ。同じ地球に住んで、今を生きているすべての人が運命共同体だ。
自然災害、紛争、飢餓、貧困、病苦など。明日は我が身。他者の苦難を、
我が身の苦難として受け留める愛はあるか。互いに支え合いながら、与え
られた命を生き抜いて、次へとつないでいかなくてはならない。互いの足
を引っ張っている場合じゃない。

1目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
2わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。

7主がすべての災いを遠ざけて
あなたを見守り
あなたの魂を見守ってくださるように。
8あなたの出で立つのも帰るのも
主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。
詩編121編1~2、7~8節

杉浦千畝記念館
リトアニアの杉浦千畝記念館にて

坂の途中から2024年1月7日 中島 善子
新年から驚愕の出来事が続いている。元旦の夕方、突然の横揺れに驚い
て、固まった。
能登地方を震源とするM7.6の地震だった。動画を見ると津波の警報が
繰り返されており、しばらくすると、倒壊した建物なども映し出された。
被災地には、私達と同じ中部教区の教会がいくつもある。しかも2007年
の能登半島地震で被災したために、困難の中で会堂建築を果たした教会も
ある。今はまだ諸教会の具体的な被害状況は分からない。
厳しい寒さの中にある。子供や病人、高齢者もおられる。安全の確保を
はじめ、速やかな救援が一人一人に届くこと、また必要な支援を受け、痛
みと嘆きの中から立ち上がって、再び歩き出されることを祈り続けます。
主よ、あなたに望みをおく方々を、落胆と苦難の中から、何度でも、何
度でも、立ち上がらせてください。命の希望である主に向かって、日々、
新しく生かしてください。

2主にのみ、わたしは望みをおいていた。
主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。
3滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ
わたしの足を岩の上に立たせ
しっかりと歩ませ
4わたしの口に新しい歌を
わたしたちの神への賛美を授けてくださった。
人はこぞって主を仰ぎ見
主を畏れ敬い、主に依り頼む。
詩編40編2~4節

教会
豊橋東田教会

坂の途中から2023年12月31日 中島 善子
豊橋東田教会に転任して3年。夏の暑さには全く慣れず、だけど夏バテ
も夏ヤセもしなかった今年1年をふりかえり、大感激した出来事、上位3つ
を挙げたい。
第3位。WBCで日本チームが大活躍の末に優勝したこと。韓国戦で、
ヌートバーが魅せてくれたダイビングキャッチ。オーストラリア戦の初回
で、大谷翔平が3ラン。メキシコとの準決勝では、村上の二塁打で逆転
サヨナラ勝ち。アメリカとの決勝は、同僚のトラウトを大谷が空振り三振
に仕留めて優勝した。あの歓喜、感激、興奮は忘れられない。
第2位。半年前から腰痛でリハビリに通っているものの、この1年間、
礼拝に必要な備えをすべて神からいただいて、休まず礼拝を献げることが
できた。これは人の努力を超えた神からの一方的な恵みによるもの。本当
に有難い。
第1位。3回目のクリスマス礼拝で洗礼を行う幸いを得た。ずっと祈って
いたことだったけど、神が一方的な恵みの時を与えてくださった。「洗礼
を受けませんか」と唐突な問いに自分でビックリしたが、「はい」と即答
が返って来たことにまたビックリ。躍り上がって歓喜した。洗礼準備と試
問会を経て、ご家族が見守るクリスマス礼拝で、キリストと1つに結ばれ
た新しい人が誕生した。感謝、感謝、感謝。
主よ、あなたの大いなる養いと導きを心から讃美します。

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。
イザヤ書41章10節

洗礼
ヨルダン川で洗礼を受ける人たちイスラエルにて

坂の途中から2023年12月24日 中島 善子
金城学院大学の学院長とメサイヤのコンサートに行った。学院の卒業生
もコーラスで参加しているとか。コンサートに行くのは数年ぶりだったか
ら、大感激。
そしてメサイヤの第二部の最後、ハレルヤコーラスの時、聴衆が次々と
起立し始めた。えっ?立っていいの??そして隣にいた学院長を始め、起
立した聴衆がハレルヤコーラスを歌い始めた。私もおずおずと起立して、
ソプラノになったり、アルトになったりの「なんちゃってハレルヤ」だっ
たけど、高揚した気分でハレルヤコーラスを歌った。うれしい。
「ハレルヤ」とは「主をほめたたえよ」と言う意味。神の御子キリスト
が人として世に生まれた。それほど私達は神に徹底的に愛し抜かれている。
うれしい。本当にうれしい。

6わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水の
とどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。
「ハレルヤ、全能者であり、
わたしたちの神である主が王となられた。」

16この方の衣と腿のあたりには、
「王の王、主の主」という名が記されていた。
ヨハネの黙示録19章6、16節

メサイヤ
メサイヤ愛知県芸術劇場にて

坂の途中から2023年12月17日 中島 善子
N牧師が、他教会での礼拝奉仕を終えて、牧師館にやってきた。親子
ほどの年齢差があるけど、豊橋に転任後も気軽に泊まりに来てくれて、
話が尽きない。そのN牧師が「近くにナザレという、うどん店がある」
と教えてくれたので、翌日、一緒に出かけることにした。
教会から約1キロの所にお店があるから、徒歩20分ほどで行けるはず。
N牧師がスマホの道案内を見てくれて、先導。無事、「ナザレ」に到着。
店内は先客で賑わっていた。
店の名前がついた「ナザレうどん」を注文。豊橋に来て、ほぼ初めて
の外食。「ナザレうどん」は麺もスープも極うま。朝食から、あまり時
間が経っていなかったけど、完食した。N牧師はスープまで飲み干してい
た。さすが若い!!
お店の方はキリスト者だった。ナザレはイエス様が住んでおられた地
名。日本のキリスト者は1/100人だけど、信仰を隠さず、ナザレを店名に
して、長くお仕事を続けて来られたご一家の信仰の勇気が嬉しかった。
また「ナザレ」に行って、今度は別メニューにチャレンジしてみよう!

26六か月目に、天使ガブリエルは、
ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけである
おとめのところに遣わされたのである。
そのおとめの名はマリアといった。
28天使は、彼女のところに来て言った。
「おめでとう、恵まれた方。
主があなたと共におられる。」
ルカによる福音書1章26~28節

受胎告知教会
受胎告知教会イスラエルナザレにて

坂の途中から2023年12月10日 中島 善子
天使は祭司ザカリアに、年老いた妻のエリザベトに子供が産まれると告
げたが、彼は信じなかった。天使の言葉であれ、神の言葉であれ、人は自
分の器を超える神の知恵や出来事を信じない。でも人の器を超えられない
神って、なんだ???
神だから「そんなバカな」と、驚きの出来事を実現させる。そしてエリ
ザベトは天使の言葉通り、子供(洗礼者ヨハネ)を産んだが、その間、天使
はザカリアの口を閉ざした。
神は私達のために最上の救いを用意しておられる。それを礼拝で聞くが、
腹では「そんなバカな」とつぶやく。私達も不信仰なザカリアと同じだ。
しかしキリストは人の姿で既に世に来られた。キリストの誕生を私達は
知っているし、信じている。そして神の救いが完成する終わりの日に、勝
利者キリストが再び世に来られることも、私達は聞いているし、知ってい
るし、信じている。だから私達はザカリアみたいに、黙っていない。
まだ実現していない神の救いを、私達は語り続ける。語り続けながら、
勝利者キリストが再び世に来られて、すべての救いを完成してくださる終
わりの日を信じて、備える。
終わりの日に備えるすべての日々は、勝利者キリストが、再び世に来ら
れることを待望するアドヴェントだ

更に、あなたがたは今がどんな時であるかを
知っています。
あなたがたが眠りから覚めるべき時が
既に来ています。
今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、
救いは近づいているからです。
ローマの信徒への手紙13章11節

受胎告知教会
「日本からの寄贈絵画」
イスラエル受胎告知教会にて

坂の途中から2023年12月3日 中島 善子
先月、中部教区教師研修会(一泊)に初参加して、相部屋になった先生方
と夜通し語り合った。女性教職はいるけれど、まだまだ圧倒的に少数であ
り、弱者。
かといって男性教職は、周回遅れの女性教職に寄り添えるほど暇ではな
い。重責を背負いメチャクチャ忙しい。だけど男性教職のように先頭に立
てず、周回遅れの女性教職だからこそ、見えて来る景色もある。
知的ハンデをもつ青年と継続的に面会している女性教職の言葉が心に残
っている。ある日、面会の終わりに、青年が女性教職に言った。「気持ち
良くなる、あれやって」。
あれとは「祈り」のことだった。面会を終える時に、女性教職は青年の
ために毎回、祈っていた。祈りの言葉の意味は分からなかったかも知れな
い。だけど祈りの中にいる気持ち良さ、暖かさを実感していた。だから彼
は祈りを求めた。
祈りは神にもぐる井戸。祈りの「つるべ」を降ろしていくと、不思議だけ
ど、神の愛に触れる。人の言葉を超える神の愛に包まれると、人は新しく
生まれる。

47「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
48身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
49力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。」
ルカによる福音書1章47~49節a

受胎告知教会
受胎告知教会イスラエルにて

坂の途中から2023年11月26日 中島 善子
コロナ禍で実現しなかった対面の中部教区教師研修会に、今回、初参加。
豊橋~名古屋~近鉄長島駅~マイクロバスで会場に行く予定。名鉄名古屋
の1番線ホームから近鉄に乗り換えるつもりなのに、えっ、1番線、どこ?
どこ?
階段を昇ったり降ったりして、ようやく目指す近鉄の乗車ホームに着地。
「この電車は長島駅に停まりますか」と、車掌さんに聞いて、そのまま最
後尾の車両に乗車。
壁に貼ってある電車路線図で長島を探したけど、見つからない。名古屋
さえ見つけられない。(;一_一)困る。
余程、不安そうに見えたのか、座席に着くと、隣の女性が「長島に着い
たら教えますよ」と言ってくださり、「ここは金魚で有名よ」など、近鉄
あれこれを紹介してくださった。でももっと驚いたのは、途中交代した車
掌さんが「次は長島です」と私に言ってくださった。乗客が少ないことも
あったけど、最初の車掌さんが不慣れな乗客のサポートを次の車掌さんに
伝言してくださっていた。ビックリしたのと同時に、本当にありがたかっ
た。
今回、近鉄電車に初めて乗ったけど、何、この優しさは。長島に着いた
時、隣の女性にお礼を言い、握手して、電車を降りた。うれしかった。

7憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
8心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
9平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
マタイによる福音書5章7~9節

山上の垂訓教会
山上の垂訓教会イスラエルにて

坂の途中から2023年11月19日 中島 善子
誰も罪と共に滅んで欲しくないから、神は御子キリストを十字架につけ
た。御子の命と引き換えに、すべての人の罪を清算した。十字架を見上げ
るたび、神に愛されていることを私達は確信する。私達は神に愛されてい
る命であり、存在。この恵み、この幸い、この良き知らせを「福音」とい
う。
「あなたは神に赦され、愛されている」という、神からの良き知らせ・
福音は決して変わらず、消えず、永遠に残る。この良き知らせ・福音を受
け取ったら、愛する家族、隣人に伝えずにはいられなくなる。
「神からの良き知らせ・福音」を知らせる人は、この世が愛を見失った
暗闇にならないよう、福音と共に神の光を世にもたらす人。この世が罪の
毒で腐敗しないよう、福音と共に神の塩で、世にある敵意を清める人。
礼拝で私達は福音を受け取る。良き知らせを世にもたらす世の光、地の
塩として生きるためであり、これが伝道。だが何も心配することはない。
真の世の光であり、真の地の塩であるキリストが、私達の先頭におられ
る。真の世の光、地の塩であるキリストの後に従って、私達は生きて行く。
それだけでいい。

いかに美しいことか
山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
救いを告げ
あなたの神は王となられた、と
シオンに向かって呼ばわる。
イザヤ書52章7節

パウロ像
聖パウロ教会マルタ島にて

坂の途中から2023年11月12日 中島 善子
イエス様は言われた。「私があなたがたを愛したように、互いに愛し
合いなさい」
。聖書を読む前、教会に行く前から、イエス様を知る前か
ら、私達はイエス様に知られていたし、愛されていた。そしてイエス様
は神の愛の現物支給のお方
。このイエス様から、すべての人が愛されて
いる。
教会が伝える救いは、家内安全でも、商売繁盛でも、無病息災でもな
い。「どんな時でも私達の命は丸ごとイエス様に愛されている」。これ
だ。だから私達も命の条件を問わずに、命を愛して生きて行ける。これ
がイエス様の救い。
健康でも、大金持ちでも、超有名人でも、愛されていない人は悲しい
し、満たされない。でもイエス様はどんな時でも私達を愛してくださる
神。この方に出会えた喜びを独り占め出来ないから、大昔から無数の教
会が「あなたはイエス様に愛されている大切な人。あなたは生きるに値
する」と伝えて来た。だから時も国も越えて、ここに教会が生まれた。
私達の「愛せない」と言う罪の負債を、イエス様がご自分の命と引き
換えに十字架の上で完済して、私達を神の家族としてくださった。これ
ほど私達はイエス様に愛されている。一人の例外もなく愛されている。
神は愛だから、生も死も越える最強の力は「愛」。そして、愛されて
いる喜びを伝えるのが、伝道。伝道とは、ますます愛して生きること。
目の前の人を、現実を、神の愛で愛して生きること
。だから、神の愛の
現物支給のイエス様を伝えて生きる。互いに愛し合うために、神の愛の
深みの中で、神の愛を伝えて、私達は生きて行く。

わたしがあなたがたを愛したように、
互いに愛し合いなさい。
これがわたしの掟である。
ヨハネによる福音書15章12節

聖ペテロ教会
聖パウロ教会マルタ島にて

坂の途中から2023年11月5日中島善子
金城学院大学の礼拝後、学院長に図書館でルター訳聖書の現物を見せ
ていただいた。金城学院大学の所蔵品だ。
聖書を見た学院長が「絵入り部分が出てない」と言って、展示ケース内
の貴重な聖書を素手でペラペラめくった。
「おいおい、白手袋は?」と言いたいのをこらえた。
豪華な印刷文字に加えて、多色刷りの色鮮やかな版画が現れた。しか
し1606年の「フランクフルト版絵入りルター聖書」の印刷は見事だけど、
革表紙など劣化はまぬがれることができず、400年以上の時を経た古文書
を実感。
後で学院長が「白手袋より、人の油脂がついた手で触る方が古文書に
は良いのよ」と教えてくれた。ビックリして横で見ていた私の表情に気
づいていたようだ。(;゚Д゚)
そうだったんだ。「手垢のついた手で貴重品に触るな」と言われそう
だけど、人の手が触れないことで、逆に劣化することもあるんだね。
「手入れ」って言うもんね。
人の手や人の体は、あなどれません。

初めからあったもの、
わたしたちが聞いたもの、
目で見たもの、
よく見て、
手で触れたものを伝えます。
すなわち、命の言について。
ヨハネの手紙一1章1節

ルター聖書
ルター訳聖書

坂の途中から2023年10月29日中島 善子
電車の中や病院の待合室では本を読んでいる。読む本は色々。教会史に
関する本、祈りに関する本、聖餐に関する本。そして今は「神様のファイ
ンダー」と言う本を読んでいる。書籍案内を見て注文した本で、有名な
「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した元米従軍カメラマン(ジョー・
オダネル)のことが綴られている。
いつだったか、新聞に載っていた「焼き場に立つ少年」の写真を見て凍
りつき、それを切り抜いて日記に貼りつけた。写真の見出しに「ローマ法
王『これが戦争の結果』」と大きく書いてあった。
写真は、長崎に原爆が投下された後、撮影されたもので、死んだ弟を背
負って焼き場に立つ少年の写真入りカードを、ローマ法王が教会関係者に
配布したという。
饒舌な言葉より、一瞬の真実を切り抜いた写真が、戦争の罪深さ、敵意
の罪深さ、エゴイズムの罪深さ、神を無視する罪深さを私達に突きつける。

13互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、
赦し合いなさい。
主があなたがたを赦してくださったように、
あなたがたも同じようにしなさい。
14これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。
愛は、すべてを完成させるきずなです。
15また、キリストの平和が
あなたがたの心を支配するようにしなさい。
この平和にあずからせるために、
あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。
いつも感謝していなさい。
コロサイの信徒への手紙3章13~15節

教会

坂の途中から2023年10月22日中島 善子
日帰りで東京に行った。上野で「キュビスム展」を見た後、別の美術
展に行くつもりだったけど、ネットで映画「旅するローマ教皇」を上映
中と知って、急遽、渋谷へ。
カトリック教会をまとめる教皇フランシスコは現在86歳。年齢を知っ
て驚いたけど、教皇になってから、50ヵ国以上を訪問していることにも
驚いた。しかも訪問先は、カトリック信徒が多い国だけではない。日本
もそうだが、キリスト者はほとんどいないであろう中東やアフリカなど
の国々も訪問している。押し寄せる人々と教皇の近さを見て、暗殺され
てしまわないかと、映画を見ながら勝手に心配した。ガザなど今、世界
は緊迫している。しかし教皇はすべての人の平和のために祈り、働き続
けるだろう。後に続いていきたい。

「平和の祈り」
主よ、わたしを平和の器にしてください。
憎しみのあるところには愛を
傷つけ合うところには赦しを
疑いのあるところには信仰を
絶望のあるところには希望を
暗闇のあるところには光を
悲しみのあるところには喜びを与えられるように
ああ主なる神よ
わたしが慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも理解することを
愛されるよりも愛することを
求めるようにしてください
なぜなら与えることでわたしたちは豊かに受け取り
赦すことで赦され
死ぬことで永遠の命に甦るからです
(アッシジの聖フランシスコ)

十字架の道
十字架の道エルサレムにて

坂の途中から2023年10月15日中島 善子
幼児だった子供と一緒に、私は洗礼を受けた。その後も、一緒に礼拝
生活を続け、子供は信仰告白を経て、聖餐に与るようになった。私だけ
が救われるのではなく、子供も一緒に、否、子供こそ救われて欲しいと
切望していたから。現在も、子供は都内の教会で礼拝生活をしている。
洗礼は救いの終点ではなく、始まり。だから救いの完成を目指して信
仰の旅を続けて行く。信仰の旅を導く羅針盤は、神の愛・キリスト。
洗礼で、この神の愛・キリストに結ばれ、人は、神の子供、キリスト
の兄弟姉妹とされる。死も、この恵みを取り消せない。洗礼の恵みを受
けた人は皆、神に属し、永遠に神の国を本籍とする者とされているから。
「この人は神のもの、神の子供、キリストの兄弟姉妹」と告げる洗礼
の豊かさを、教会も私達も常に語り続けていく。でもそれは聖書を教え
るだけではない。「あなたも私も神に求められ、愛されている大切な人
だ」と礼拝や日常生活で、私達が具体的に神の愛を現わして生きて行く。
そのためには、まず大人が神の愛で養われる必要がある。神から見た
ら大人も子供も同じ「神の子供」。洗礼を受けた人は誰でも神の子供。
「神の愛・キリストという天のマナ」を礼拝で受け取りながら、神の愛
がすべてを覆い尽くす神の国の到来を、皆で目指して生きたい。
この恵みを独り占めするのは、神の愛に反するから。

5あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。
6今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
7子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも
道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、
これを語り聞かせなさい。
申命記6章5~7節

教会
ボルトガルにて

坂の途中から2023年10月8日中島 善子
金城学院大学の帰り、名古屋市美術館で「福田美蘭展」を見た。福田
美蘭氏を知らなかった。でも作品から作者が持つユーモアや時代を見つ
める深い機微が伝わって来た。
ダ・ビンチの「聖家族」は、幼いキリストと両親を描いた作品だが、
それがキリストの視線で描かれている。「そうか、キリストから見たら
こうなるのか」と思わずニタニタ。
ブッシュ元米国大統領とキリストが対談している作品もあったし、モ
ジリアニ風に、目がうつろなプーチンを描いた作品もあって、心の中で
大笑い。
狩野芳崖の「悲母観音」は地上に生れる赤ちゃんを見送る観音を描い
た作品だが、福田氏の「悲母観音」は赤ちゃんを観音が抱きしめている。
グッジョブ!と心で拍手喝采。
地上の獲物を狙う大鷲を描いた歌川広重の作品は、作者によって背景
が青と黄色に大胆に塗られていた。そして解説に「………ロシアのウク
ライナ侵攻を思った。しんしんと雪が舞う広重の絵柄はそのままに、ウ
クライナ国旗の青と黄色のイメージを重ねて、2023年の年賀状の絵柄と
した」と書いてあった。
誰かが得をするかたよった平和ではなく、神の真実が中心に立つ「神の平
和」が実現するために、一人一人が出来ること、やるべきことが、一人
一人に与えられている。そんなことを心の中で反芻しながら、帰宅の途
に着いた。

また、キリストの平和が
あなたがたの心を支配するようにしなさい。
この平和にあずからせるために、
あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。
コロサイの信徒への手紙3章15a~b節

て杉原千畝の記念碑
リトアニアにて
杉原千畝の記念碑

坂の途中から2023年10月1日中島 善子
金城学院大学での礼拝奉仕後、学院長の研究室で現存する最古の日本
語聖書「ギュツラフ訳聖書」(1837年)の関係資料コピーを見せていただ
いた。
この聖書の日本語翻訳には愛知県美浜町小野浦の漁師が関わっている。
彼らは舟が難破して北米に漂着したが、当時、日本が鎖国していたため
に、帰国することができなかった。そんな彼らのことを三浦綾子が小説
『海嶺』に書いている。(学院長が『海嶺』のDVDを貸してくれました。
主演の日本人漁師役は西郷輝彦でした)
先月、彼らを題材にした演劇を学院長と観たばかりだったので、彼ら
が日本語翻訳に関わった「ギュツラフ訳聖書」の資料コピーを、今回、
見せてもらった驚きは半端ない。
そして最古の日本語訳聖書「ギュツラフ訳聖書」は現在、日本に7冊だ
けあるという。その貴重な1冊が東京神学大学にあることを聞いて、鳥肌
が立った。
貴重な関係資料コピーの1つ。ヨハネ福音書の最初には「ハジマリニ
カシコイモノゴザル。コノカシコイモノゴクラクトモニゴザル。
コノカシコイモノワゴクラク」
と、とても丁寧なカタカナで書いてあっ
た。これを見て、日頃の聖書の取り扱い方を反省すると同時に、先人の
方々の想像を絶する労苦に、心からの感謝を献げずにはいられなかった。

初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
ヨハネによる福音書1章1節

教会
ボルトガルにて

坂の途中から2023年9月24日中島 善子
洗礼盤が講壇の前に置いてある。洗礼で使われるのは水。ただの水道
水だけど「父と子と聖霊の名によって、あなたに洗礼を授ける」と宣言
され、洗礼を受けた人は、永遠に神の家族として「命の書」に名前が記
される。見た目は全く変わらないのに、なぜそんなことが起こるのか。
洗礼では、神の言葉と共に聖霊が働くからだ。絶大な神の力が、奇跡の
力が洗礼を受けたその人に働くからだ。
そして洗礼を受けた人の過去、現在、未来すべてが聖霊に飲み込まれ
て、神の国のパスポートを持つ新しい人として、産声をあげる。これは
一方的な神の恵み。
勿論、洗礼には信仰が必要だけど、赤ちゃんだって洗礼を受けられる。
それは人の知識や信仰よりも、神の愛と恵みの導きが、圧倒的にまさっ
ているからだ。
洗礼を受ける時、人は水と聖霊と一緒に、キリストの血も浴びる。そ
してキリストの十字架の血で、罪の赦しで、全身丸ごとコーティングさ
れる。洗礼を受けた人は、キリストの血と愛と命と祈りで、全身丸ごと
コーティングされる。でも罪の赦しは、罪をくりかえすためじゃない。
罪の赦しは罪を離れ、今度は神に向かって新しく出発して行くための
「神からの後押し、神からの大声援」だから。

講壇の前に置かれた洗礼盤は、飾りじゃない。神が愛しておられる
一人一人が洗礼を受けて、救われるためだ。

神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、
御自分の憐れみによって、わたしたちを救って
くださいました。
この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、
新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
テトスへの手紙3章5節

教会
ボルトガルにて

坂の途中から2023年9月17日中島 善子
リハビリのため車で送ってもらおうとしたけど、凄い雨。イヤな予感
がする。予感は的中して、道路は大雨で冠水している。このままだと、
20年以上も乗っている車がオシャカになるから、私は下車。車は教会に
戻った。
側溝から噴水みたいに雨水が吹き出している。膝まで水に浸かって歩
く私めがけ、猛スピードで走る車の水しぶきが、頭から降り注ぐ。雨水
に足を取られ、よろめく自分に驚く。「年をとるって、日々、老いる自
分との未知との遭遇だな」とか思いつつ、ずぶぬれ姿で病院を目指して
歩く、歩く。
リハビリの後、水たまりのない(初めての)道を、頭の中のナビを頼り
に、帰宅することにした。でも私のナビは当てにならないから「路面電
車が走っているのは、どの方向ですか」と、出会った3人の方々に道を
尋ねた。
やがて前方で、車が行き来しているのが見えた。近づくと大通りを挟
み、教会とは反対側の道に出た。いつも見ている方向とは全く逆で、初
めて見る景色。これも未知との遭遇。無事に帰宅したけど、リハビリ効
果は全部、使い果たした。

17主がわたしの助けとなってくださらなければ
わたしの魂は沈黙の中に伏していたでしょう。
18「足がよろめく」とわたしが言ったとき
主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。
19わたしの胸が思い煩いに占められたとき
あなたの慰めが
わたしの魂の楽しみとなりました。
詩編94編17~19節

教会
ボルトガルにて

坂の途中から2023年9月10日中島 善子
今朝、起きたら、いつもより涼しかった。そして駐車場に隣接する牧
師館の庭に白い朝顔が咲いていた。昨年、朝顔の種を蒔いたけど、余り
にも今年の夏が暑すぎて、8月の間は咲くことをずっとガマンしていた
のだろう。9月に入って、やっと咲いた今年最初の朝顔を見て、うれしい
と言うより、正直、悩ましかった。
股関節などのリハビリで通院している病院から、施術者の家族がコロ
ナに感染していることが分かったので、リハビリ予定変更の電話があっ
た。2020年から2023年。コロナのため様々なガマンを長い間、強いられ
ている。
しかし今年の異常な暑さの中で、マスクをして歩いたり、マスクをし
て話をするのは、正直、しんどい。体質的に汗をかきにくく、体内に熱
がこもるので、次第に頭が痛くなる。
日本人はガマン強いというけど、ガマンしながら、突然、ポッキリと
折れて、倒れてしまうことがありませんように。

55深い穴の底から
主よ、わたしは御名を呼びます。
56耳を閉ざさず、この声を聞き
わたしを助け、救い出してください。
57呼び求めるわたしに近づき
恐れるなと言ってください。
哀歌3章55~57節

アサガオ
牧師館の朝顔

坂の途中から2023年9月3日中島 善子
小学生の頃、1人でカトリック教会のミサ(礼拝)に通っていた。大人に
混じってのミサだから、内容も分からないのに、それでも1人で通い続け
ていた。そしてミサの最後の方で、一列に並んだ人たちが、祭壇の前に
立っている神父さんから毎回、何かをもらっている。
それが欲しくてたまらなくて、ある日、私も列に並んで、それをもら
った。キリストの体(後から知った)を表す小さな丸いウエハース。ただ
単純に私はうれしかった。
ミサが終わって、玄関で皆を見送っていた神父さんから、「あれは洗
礼を受けた人だけなんだよ」というようなことを言われた。「すごく悪
いことをしたんだ」と思った私は、急に怖くなって、それからミサには
行かなくなった。
すっかり忘れていたのに、今頃になって思い出した。でも小学生の時
はフライングしたけど、今は礼拝で聖餐を受け、キリストの体をいただ
くことが赦されている。ありがたい。
この喜びが広く行き渡るように。そのためにもキリストを信じて洗礼
を受ける幸いが、多くの方に与えられるように、小学生だった私と一緒
に祈っている。

23わたしがあなたがたに伝えたことは、
わたし自身、主から受けたものです。
すなわち、主イエスは、引き渡される夜、
パンを取り、24感謝の祈りをささげて
それを裂き、
「これは、あなたがたのためのわたしの体である。
わたしの記念としてこのように行いなさい」
と言われました。
コリントの信徒への手紙一11章23~24節

リガ聖マリアマグダレン教会
ラトビアの教会にて

坂の途中から2023年8月27日中島 善子
8月のカレンダーは11日が祝日になっていたけど、これ、何の日だっ
け。「山の日」???いまいち意味が分からない。だけど8月には、6日、
9日、15日など、国民の記念日としてふさわしい日があるのに、これらを
差し置いて、なぜ山の日なのかな???これを祝日にする必要があるの
かな???
6日でも、9日でも、15日でも良い。どれか1つでも良い。
「平和祈念日」とか「不戦祈念日」とか、国が定めてくれないものか。
そしてカレンダーにちゃんと記載してくれないものか。
気づかせないために、思い出させないために、立ち止まらせないため
にと、この世の大きな力が働く。しかし広島原爆慰霊碑に刻まれていた
文字は「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と告げ
ている。
時代を超えて、世界中の死者たちが未来に託し続けて来た「死に至る
道ではなくて、愛と平和に至る命の道」
への尊いバトンを、今、生きて
いる私達がしっかり受け止めて、ほんの半歩でも良いから、キリストに
導かれて前進しつつ、歩き通していきたい。無数の未来の命のためにも。

9平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
10義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
マタイによる福音書5章9~10節

アウシュビッツ
アウシュビッツにて
THE ROAD OF DEATH

坂の途中から2023年8月20日中島 善子
人は気づくと神になっていて、自分の正しさを曲げない。これを否定
する者は敵であり、敵の存在は認めず、赦さず、憎んで、ついには削除
する。これが私達の世界の現実。
でも「あなたの正しさは神の正しさではない。敵意にふり回されて滅
びるな。神の平和に立ち帰れ」と聖書は告げる。そして神の平和とは、
キリスト

人と人を隔てる敵意がある。自分に対する敵意さえある。過去、現在、
未来、すべての人がかかえる敵意という爆弾を、キリストが飲み込んで、
十字架の死と共に葬った。人と人が和解するより先に、キリストがご自
分の体の中で、神と人を和解させ、人と人を和解させた。これがキリス
トによる和解。キリストによる平和。
時代や国や民族など、すべての垣根を超える平和の土台は十字架と復
活のキリスト。ここにこそ本物の平和が立つ。
だから自分の敵意を、また自分自身を、キリストの平和に明け渡そう。
長い間、敵意に振り回されて来た自分を、敵意から解放して、キリスト
の平和を思いっきり生きてみよう。

14実に、キリストはわたしたちの平和であります。
二つのものを一つにし、御自分の肉において
敵意という隔ての壁を取り壊し、
15規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。
こうしてキリストは、双方を御自分において
一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
16十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、
十字架によって敵意を滅ぼされました。
エフェソの信徒への手紙2章14~16節

アウシュビッツ
アウシュビッツにて

坂の途中から2023年8月13日中島 善子
朝刊を開くと、見たことのある顔写真があった。動画登録しているウ
クライナ人の男性だった。彼は子供時代を日本で過ごしており、日本語
が堪能で、彼の動画からウクライナの日常(日本からの支援物資の配布な
ど)を知ることができる。事故を起こしたチェルノブイリ原発がウクライ
ナにはあるから、核の平和利用という危うさも、彼は知っている。
今、ウクライナに核兵器はない。「核兵器を放棄したから侵略された
のではないか」と彼が祖父に聞いたら、「核兵器なしで、独立を守り抜
かなければならない」と、祖父は彼に答えたそうだ。
「核なしで戦うことを、ウクライナに与えられた試練と、受け止める
ようになりました。核で脅かされても、ひるまなければ、核兵器自体が
意味のないものになるのではないかと今、考えています」と、朝刊記事
は閉じられていた。
神の平和を実現するための試練を、私達も受けている。

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らはつるぎを打ち直してすきとし
槍を打ち直してかまとする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
イザヤ書2章4節

わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの
恵みと平和が、あなたがたにあるように。
フィレモンへの手紙3節

アウシュビッツ
アウシュビッツにて

坂の途中から2023年8月6日中島 善子
数年前、米国人の青年が帰国する時に、「はだしのゲン」の英語版を
プレゼントした。「はだしのゲン」は、ゲンと周辺の人たちの生活を通
して、原爆体験を子供にも伝わるように、しかも真摯に描いている漫画
で、英語だけでなく、ロシア語、ウクライナ語など、20ヵ国語以上の言
語に翻訳されている。言葉の垣根を超えて多くの人に読まれて来たし、
これからも多くの人に読まれて行くだろう。
しかし「はだしのゲン」を、広島市教育委員会が今年から小学校での
平和教材から削除することを決めた。どうして?なんで?何を隠そうと
しているの?何から目をそらそうとしているの?
今年の7月は本当に暑かった。45年ぶり気温を更新したと知り、寒気が
走った。45年前の夏に、冷房は要らなかった。加速度をつけて、私達
の生活は狂って来た。その中心にあるのは、足ることを知らない貪欲の
罪。私達の貪欲はすべてを焼き尽くす炎となって、地球も平和も命も飲
み込んで行く。それは原爆の熱線よりも熱くてむごい。最悪の熱さの中
で、かけがえのないもの、尊く大切なものが失われてしまわないよう、
目をそらさず、祈りながら、注意深く、誠実に生きる。それが未来に対
する私達の務めだ。

13だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、
しっかりと立つことができるように、神の武具を身に
着けなさい。14立って、真理を帯として腰に締め、正義を
胸当てとして着け、15平和の福音を告げる準備を履物と
しなさい。16なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
エフェソの信徒への手紙6章13~16a節

アウシュビッツ
アウシュビッツにて

坂の途中から2023年7月30日中島 善子
先月の大雨が、この地域にも予想外の被害をもたらした。教会が支援
している団体の車が水没し、使用不能になった。でも車が無いと活動が
困難になるので、新たな車を準備する必要があり、献金箱が教会内に設
置されている。
戦禍のウクライナやトルコ・シリア地震被災地のために、教会内に募
金箱を設置して、わずかな額だが関係機関に送金してきた。ほんの数人
で、礼拝を献げている小さな教会で、できることは限られている。いや、
できないことの方が多いだろう。でも教会には最も頼りになる力がある。
祈りだ。愛を込め、神の助けを求め、ひたすら祈ることだ。祈りが束
ねられる時、大きな愛の力となって、神の出来事が必ず起きる。

【献金先は以下の通り】
郵便振替口座:00830-7-135303
加入者名:特定非営利活動法人三河ダルク
…………………………………………………………………………………………

12希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、
たゆまず祈りなさい。
15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
ローマの信徒への手紙12章12、15節

16いつも喜んでいなさい。
17絶えず祈りなさい。
18どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、
神があなたがたに望んでおられることです。
19“霊”の火を消してはいけません。
テサロニケの信徒への手紙一5章16~19節

機上
ポルトガル上空にて

坂の途中から2023年7月23日中島 善子
ベランダに干してあった洗濯物を取り込もうとしたら、まるで乾燥機
から出した直後みたいに洗濯物がアツアツになっていて、驚いた。
Σ( ̄□ ̄|||)
夕方、スマホのニュースでは全国最高気温は、豊田市の39℃だと。
豊橋も暑かったはずだ。翌日、金城学院の礼拝奉仕なので予想気温を調
べたら38℃だと。私の体温よりも高い(ちなみに私は低体温)。
翌日の金城学院。礼拝が終わって、外に出ると、吸い込む空気が熱い。
駅で電車を待っている時、「動き出す浮世絵展」の広告を見つけた。
ちょうど帰り道。涼みがてら、美術館に立ち寄ろう。金山駅南口を降り
て、すぐそばにある美術館は初めてだ。浮世絵は珍しくないけど、動く
浮世絵は珍しい。四季折々を描いた浮世絵が動きながら変わっていく。
有名な葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」の大波も激しく動く。楽しい!
気がつくと2時間以上、経過しており、すっかり涼んだ。ついでに撮影
した浮世絵動画を友人知人に送信して、涼しさのお裾分けをしていた。
すると「熱中症にならないうちに、無事に帰宅を」と返信が来た。

6主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。
呼び求めよ、近くにいますうちに。
7神に逆らう者はその道を離れ
悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。
わたしたちの神に立ち帰るならば
豊かに赦してくださる。
イザヤ書55章6~7節

機上
ポルトガル上空にて

坂の途中から2023年7月16日中島 善子
礼拝後、礼拝に来られた方々を玄関でお見送りする時に、「いってら
っしゃい!」
と私は言う。神の恵みに包まれて、教会から新しく出かけ
て行く一人一人だから。
すると、ある方が礼拝に来られて、会堂に入られた時に、「ただいま!」
と言われた。こんなの初めて。♪(≧▽≦)ノ
私はスゴーーークうれしくて「おかえり!♪」と言った。
そうなんだよ。教会は、送り出された人が帰ってくる所。教会は「た
だいま!」
と帰ってくる所なんだよ。
空を飛んでる鳥だって、飛びっぱなしじゃ生きられない。飛ぶのを止
めて、疲れた羽を休ませ、養われる所が必要だ。一年中、心と体をすり
減らしている私達なら、尚更だ。
教会は、生きたキリストがいてくださる「キリストの体」。疲れ切っ
て、カラッポになった心と体のまま、キリストの体の中に「ただいま!」
と飛び込めば良い。
私達には帰る所がある。キリストが両手を広げて待っていてくださる。
キリストが両手を広げて私達を抱きしめ、受け止めてくださる。そして
キリストの中で愛されて、癒されて、力を受けるから、私達はまた新し
く出かけて行ける。
「おかえりなさい」そして「いってらっしゃい」

28「疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
29わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
30わたしの軛は負いやすく、
わたしの荷は軽いからである。」
マタイによる福音書11章28~30節

コンサート
マルタ島のアングリカン教会にて

坂の途中から2023年7月9日中島 善子
婦人会活動で、地区の教会まで出かけた。背中に背負ったリュックには、
婦人会資料だけでなく、返却するための教会記録が詰め込んである。ズッ
シリ、かなり重たい。
電車を降りて、日傘をさして歩いた。男性も日傘をさして歩いている。
今や日傘は誰にでも当たり前の日常品なんだ。昼過ぎで、暑さが半端ない。
持参の水筒で水分補給しながら歩いていたけど、水筒はすぐカラになった。
リュックが重いのと異常な暑さで、だんだん歩くのがしんどくなってくる。
とは言え、礼拝担当だから、寄り道している場合ではない。
目指す教会に到着したが、コンビニ行って、飲み物を買うほど時間の
余裕はない。ボ~とした頭のまま、礼拝に突入。何とか礼拝の務めを終
えた。
婦人会活動の最後、地区の教会を具体的に紹介しながら、祈りを献げ
ていた。婦人会が、これまで地区の教会のために祈って来たことを今日、
初めて知った。
知らない誰かから、私達は必ず祈られている。今日ここに来られて、
良かった。

6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。
7そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、
あなたがたの心と考えとを
キリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピの信徒への手紙4章6~7節

聖パウロ教会
聖パウロ教会 マルタ島にて

坂の途中から2023年7月2日中島 善子
教会記録審査を担当することになった。担当教会からお預かりしている
記録を、なるべく早めに審査して返却したいと努力している。そして審査
を終えた教会記録を近隣の教会に返却するため、出かけた。勿論、歩きで。
リハビリ中の私にとって良い運動になると思った。
午後7時近くだけど、外はまだ明るい。そしてスゲー暑い。しかも教会資
料は重たい。重い荷物をもって歩くって、良い運動を通り越しているかも。
無事、教会資料を返却して、軽くなった体で帰宅の途へ。すると今度は
体の内側にどんどん熱がたまっていく。元々、汗をかきにくい体質なので、
帰宅した時は顔が真っ赤。
ひとまずアイスを食べながらスマホの歩数計をチェック。約4000歩。消
費カロリーは120カロリー。こんなに熱いのに、これだけしか消費してない
の?その上、アイス食べたからカロリーオーバーですか。( ノД`)シクシク…

21わが子よ、力と慎重さを保って
見失うことのないようにせよ。
22そうすれば、あなたは魂に命を得
首には優雅な飾りを得るであろう。
23あなたは確かな道を行き
足はつまずくことがない。
24横たわるとき、恐れることはなく
横たわれば、快い眠りが訪れる。
25突然襲う恐怖、神に逆らう者を見舞う破滅に
おびえてはならない。
26主があなたの傍らにいまし
足が罠にかからないように守ってくださる。
箴言3章21~26節

ケルスス図書館
エフェソスのケルスス図書館 トルコにて

坂の途中から2023年6月25日中島 善子
日曜学校教案誌の原稿締め切りを2日過ぎても提出できないまま、バタ
バタ礼拝準備をして礼拝を献げた。礼拝後、ある団体からの献金領収書を、
長老から預かったのに、その領収書をどこにしまったのか、全く思い出せ
ない。あちこち探したけど、全然、見つからない。ヤバイ!(;゚Д゚)
恥を忍んで長老に連絡して、領収書を再度発行することとなり、事情を
お詫びしつつ、団体にお話しすると、「領収書はすでに受け取りました」
とのこと。( ̄д ̄)えっ?!
全部、忘れてるじゃん。きれいサッパリ跡形もなく完全に忘れてるじゃ
ん。おい、どうする、私。
締め切りを過ぎた原稿を提出して実感した。私のキャパが狭く小さく縮
んでいる。だからキャパに入りきれないものがポロポロ抜け落ちている。
だけど、そのことに私は気づいてない。これが「老い」なんだなと、冷や
汗が出た。
「周りに迷惑をかけないよう、コマメに記録しよう」と、メモ帳を入れ
たポシェットを身につけることにした。これをどこかに置き忘れないと良
いけどなぁ。

15この大祭司は、
わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、
あらゆる点において、
わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
16だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、
時宜にかなった助けをいただくために、
大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
ヘブライ人への手紙4章15~16節

ケルスス図書館
エフェソスのケルスス図書館 トルコにて

坂の途中から2023年6月18日中島 善子
金城学院大学での礼拝奉仕。毎度のことだが、当たり前のように学生が
礼拝に集うのは本当に嬉しい。なぜなら聖書を通して、若い人が神と出会
えるから。そして聖書が指し示す神は。神は永遠の愛であり、最強の愛
のお方だ。
人が何より身につけるべきは愛されているという確信。愛されているか
ら、人を愛せる。パウロは「愛がなければ、無に等しい」と言ったけど、
愛がなかったら、無どころか、ものすごいマイナスを世にもたらす。
若い人は多くのことを学んで、多くの知恵を持っている。けれども、多
くの知恵があったとしても、愛のない知恵、神なしの知恵であって欲しく
ない

神を畏れ、愛することを知らない独りよがりの知恵が暴走する時、人も
家庭も社会も破壊していく。今日も世界各地で、神を忘れて暴走する愛の
ない知恵と正義が、尊い命、暮らし、地球さえ破壊している。
若い人には未来があるし、無限の可能性があるからこそ、愛である神と
出会い、愛を土台とした知恵を身に着けて欲しいと切望する。今なら間に
合うかも知れない。

7主を畏れることは知恵の初め。
無知な者は知恵をも諭しをも侮る。
箴言1章7節

13目を覚ましていなさい。
信仰に基づいてしっかり立ちなさい。
雄々しく強く生きなさい。
14何事も愛をもって行いなさい
コリントの信徒への手紙一16章13~14節

受胎告知教会
受胎告知教会イスラエルにて

坂の途中から2023年6月11日中島 善子
突然、スマホが聞き慣れない音をならしてビックリした。台風2号が猛威
をふるう中、線状降水帯による河川の増水で避難勧告が出たらしい。外に
出ると、教会の前の道を雨水が勢い良く降って行く。週報コラムのタイト
ルの通り、教会は「坂の途中」にある。もしここが洪水で浸水したら、ど
こに逃げても助からないだろうなと思い、教会に戻った。
豊橋でも洪水によって大きな被害が出た。そのことが報道されると、各
地から教会を気遣うメールなどをいただいた。
ご心配をいただき、ありがとうございます。
教会は無事でした(廊下の雨漏りはありましたが)。教会を心に留めてい
ただけることが、本当にうれしかったです。
礼拝を守っている人数だけでなく、遠くにいても、互いに祈り合う大き
な絆に支えられていることを実感して、本当にうれしかったです。ありが
とうございます。
今週、「台風3号が発生した」とスマホが告げていました。命や生活が、
無残に失われることがありませんように。そのためにも、神が創造された
世界を破壊し続ける人の傲慢を、どうか主よ、阻止してください。

3だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。
そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、
好き勝手に教師たちを寄せ集め、4真理から耳を背け、
作り話の方にそれて行くようになります。
5しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、
苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、
自分の務めを果たしなさい。
テモテへの手紙二 4章3~5節

イスラエルにて
イスラエルにて

坂の途中から2023年6月4日中島 善子
首が痛くなり、仕事がやりにくいから整形外科に行った。ついでに、腰
痛と股関節の痛みがあることも医者に告げた。で、レントゲンとMRI検査を
することになった。
首はたいしたことないけど、腰の脊柱管狭窄症と股関節がかなりヤバか
った。このまま放置していると歩けなくなり、手術することになると医者
は言う。それは困ります。絶対にイヤです。日常的に猫背でパソコンを見
つめる生活。しかもコロナ禍の出不精で、6kgも太ってしまった。血流改善
の薬などを処方され、週1でリハビリ通いとなった。トホホ。
リハビリは「こんなんで良いんですか」と思うくらい楽勝だった。まぁ
患者のリハビリだから、ムリなことはしないのだろう。理学療法士の方に
「リハビリで脊柱管狭窄症が治りますか」と聞いたら「いいえ」と即答。
リハビリをやるのは筋肉をつけて、股関節を守るためらしい。まぁ、痛み
を感じないで歩けるようになれば良いか。
でも外科と薬局の会計で、たちまち10,000円近くが消えてしまったの
が、非常に痛かったですよ。

23恐怖に襲われて、わたしは言いました
「御目の前から断たれた」と。
それでもなお、あなたに向かうわたしの叫びを
嘆き祈るわたしの声を
あなたは聞いてくださいました。

24主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。
主は信仰ある人を守り
傲慢な者には厳しく報いられる。
25雄々しくあれ、心を強くせよ
主を待ち望む人はすべて。
詩編31編23~25節

シモンの家
革なめし職人シモンの家イスラエルにて

坂の途中から2023年5月28日中島 善子
文書原稿と自作の絵をメールで送ろうとしたが、スキャンした絵の保存
方法が分からない。使用中の新しいパソコンとのお付き合いは1年未満だけ
ど、意思疎通がいまだに難しい。パソコンが色々と語ってくれるけど、カ
タカナ言語の意味が理解できない。
締切のこともあるので、文書原稿はメールで先に送った。メールで送れ
なかった絵は、中部教区総会(5/23-24)に持参して、担当教会の牧師に手渡
しした。パソコンと周辺機器を使いこなせない私が最後に頼ったのは超ア
ナログな方法。でも相手の顔を見て、言葉を交わしながら絵を手渡すこと
ができて、良かったなと思う。
復活のキリストが天に昇られた後、地上に残った弟子達に聖霊が降った。
すると彼らは今まで以上にキリストに触れ、キリストの言葉を聴いて、キ
リストと共にいて、キリストを知って、キリストを愛することができた。
あれほど無理解な弟子達が聖霊を受けてから、一変した。
この聖霊が教会に、礼拝に集う私達に与えられる。そしてキリストのも
のとして新しく生かされて、用いられて行く。うれしい。スッゴクうれし
い。

希望の源である神が、
信仰によって得られる
あらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、
聖霊の力によって
希望に満ちあふれさせてくださるように。
ローマの信徒への手紙15章13節

教会
イスラエル聖ぺテロ教教会にて

坂の途中から2023年5月21日中島 善子
カッコつけても、恐れ、不安、敵意を捨てられず、他人も自分も愛せな
い私達の弱さ、貧しさを神は知っておられる。知っておられるから、神は
ご自分の懐に、私達を招き入れてくださる。「私のもとに来るが良い」と。
生きている時だけでなく、この世での絆がすべて断ち切られて、すべて
を失った時も「命を得よ」と神は私達に命じて、神と共に永遠に生きる命
と体を備えてくださる。
人は命に必要なことを悟らないまま、命の時間を浪費し、蜃気楼のよう
に人生を終えてしまう。でもこのことにNO!と言ってくださるのが私達を
創り、私達を愛してくださる神。この神の言葉に聞いて生きることが、私
達の本来の姿。
その生き方を具体的に世に示すため、神が人となって世に来られた。
キリストだ。神は愛であり、神の愛の現物支給がキリストだ。
キリストを知らず、キリストと愛し合うことがなければ、巨万の富があっ
ても、X(かける)ゼロになる。
あれが無い、これが無いと嘆かなくても良い。キリストと出会い、神の
言葉に聞いて、キリストを愛して歩む時、神の愛と命に養われた豊かで幸
いな者
とされる。そうなるようにと私達は神に招かれている。同時に自分
だけでなく、隣人のための「神の言葉の配達人」となるよう、私達は神に
招かれ、神の愛・キリストに養われている。

耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂に命を得よ。
わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。
イザヤ書55章3節

ゴゾ島
マルタからゴゾ島へのフェリーにて

坂の途中から2023年5月14日中島 善子
去年、牧師館の洗面所の水道管を修理してもらったから、コバエ騒動は
終了したと思っていたが、甘かった。コバエの来襲です。('Д')
でも今回はどこが発生源か、分からないため困っている。洗面所の水道
管は修理したから、ここじゃあない。念のため洗面所の水道は使った後、
必ず排水口に栓をする。洗面所の網戸には防虫スプレー。更に昨年、効果
を発揮した長い柄のコロコロを今年も常備。天井や壁に貼りついているコ
バエをコロコロしながら、連日、かなりのコバエを退治している。ぜんぜ
ん自慢にならないけど。
しかし今年は洗面所だけでなく、風呂場や台所、仕事場にも現れる。ど
こに現れてもジャマなんだけど、仕事しているデスク周りを飛び交うコバ
エは、スゲー鬱陶しい。飲もうとしたコーヒーに飛び込むヤツもいるし、
夜はデスクライトに誘われて、なんと私の目の中に飛び込むヤツもいる。
それも一度や二度じゃない。
おい、コバエ!調子に乗るなよ!コバエ退治のプロに依頼して、根絶や
しにしてもらうぞ。

「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように
注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のように
あなたがたを襲うことになる。
その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに
襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、
起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、
人の子の前に立つことができるように、
いつも目を覚まして祈りなさい。」
ルカによる福音書21章34~36節

イスラエル
イスラエルにて

坂の途中から2023年5月7日中島 善子
憲法記念日の朝、「軍拡・改憲に反対します」という題で、小さな活字
の署名が、新聞紙面いっぱいに並んでいた。そこに知人夫妻の名前を見つ
けた。夫妻はキリスト者だ。
財産も知恵も力もない私が、未来を生きる人たちのために何を残せるだ
ろうか。戦争を実体験せずに今日まで生きられたこと。そしてキリストを
信じて生かされてきたこと。
これらは自分で得たものじゃない。幸いなことに一方的に与えられたも
のだ。ただで得たものは粗末にしがちだけど、これらは粗末にできない。
否、粗末にしてはならない。
しかし時計の短針がいつの間にか進んでいるように、誰も気づかないう
ちに、なし崩し的に、これらのものは歪められ、破壊され、失われて行く。
私が受け継いだ尊いもの、かけがえのないものは、いつも危機にさらさ
れている。だからそのことに充分、心を留めて今を生きよう。未来を生き
る人たちのためにも。

10主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく
人の足の速さを望まれるのでもない。
11主が望まれるのは主を畏れる人
主の慈しみを待ち望む人。
詩編147編10~11節

祭壇
パウロの難破教会マルタ島にて

坂の途中から2023年4月30日中島 善子
急逝された恩師のお連れ合いがおられる施設を訪問した。ご高齢のため
体調も整わない状況だったが、聖餐式の用意があると告げると喜んでくだ
さった。そのお姿を見て思った。
キリストを求めている。自分でも気がつかない細胞の一つ一つが、キリ
ストを求めていると。
付き添ってくださったご家族が、聖餐用のウエハースを小さく砕いて、
ベッドにおられる方に食べさせてくださり、ブドウジュースも飲ませてく
ださった。
教会の聖餐と同じように聖餐を行った。聖霊の助けによりキリストを食
べて、キリストを飲んだ。そしてキリストと益々ひとつにされた。この確
かさは何にも代えがたい。
単なるお見舞いではなく、聖餐を通してキリストが中心にいてくださる
交わり。キリストが与えてくださる深く豊かな命の交わりが、施設の小部
屋の中で確かに実現している。
私達は限りある頼りない存在だ。けれどもキリストを信じる信仰が与え
られたなら、滅びない。キリストにつかまれたら誰も滅びない。私達をつ
かむのは十字架の死から復活されたキリストだ。そして聖餐では、キリス
トの体と血をいただくこと、キリストご自身をいただくことが、私達には
赦されている。だから私達はどこにいて、どんなに遠く離れていても、死
の垣根さえも、楽々と跳び越えて、復活のキリストの只中で、キリストに
包まれて、共に生きることが赦されている。

54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
永遠の命を得、
わたしはその人を終わりの日に復活させる。

56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
いつもわたしの内におり、
わたしもまたいつもその人の内にいる。
ヨハネによる福音書6章54、56節

祭壇
リーガ大聖堂の祭壇 ラトビアにて

坂の途中から2023年4月23日中島 善子
パウロの最後は殉教。なぜ彼は命の危険をおかしてまで、各国を巡り歩
いてキリストを伝えたのか。
キリストの救いが本物だと分かったからだ。キリストこそ私達を罪と死
の中から救い出し、復活の命をもたらす唯一の救い主だと、全身全霊で確
信したからだ。この熱い確信は、自分の中だけに閉じ込めておけない。
キリストには神の愛、神の命、神のすべてが詰まっているからだ。
キリストを信じるとは、生きておられる真の神に、神の愛、神の命に、
自分のすべてが乗っ取られること
。そうなったら、キリストは私達を突き
破り、外に飛び出す。キリストの中に満ちる神の愛、神の命が、私達の全
身、私達の生活、私達の人生から飛び出して、外に向かって溢れ出て行く。
キリストを信じたら、キリストを伝えずにはいられない。自分だけでな
く、皆が救われるよう願わずにはいられない。そして誰かの救いのために
祈り願い、働く者とされていく。その時、私達はキリストと神の愛と命と
一つにされている。全存在を賭けて、キリストを信じて現わす器、神の愛
と命に満ちた器として、生涯、私達も神に用いられて行きたい。
パウロもそうだった。これは神からの宿題。

13「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いて
あるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。
14主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたち
をも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせて
くださると、わたしたちは知っています。
コリントの信徒への手紙二4章13~14節

パウロ
「パウロ像」マルタ島にて

坂の途中から2023年4月16日中島 善子
近くの郵便局まで歩いて行った。帰り道、いていたゲタの鼻緒が切れ
た。時代劇だと、鼻緒を直してくれる武士が、ここで登場するけど、そう
はいかない。
仕方ないから、切れた鼻緒の先を足の指で挟んで、ゲタをズリズリ引き
ずりながら歩いたけど、スゴーク歩きにくい。鼻緒は短いから、足の指で
挟んでいても鼻緒は、すぐスッポ抜ける。その度に、しゃがんで指の間に
鼻緒を挟み直して、ソロリソロリと歩き出す。これを何度も何度も繰り返
した。だけど面倒くさくてダメ。根性ないわ。
思い切って鼻緒の切れたゲタを片手に持ち、裸足になってスタコラ歩い
た。足の裏が少し痛かったけど、素早く教会に戻ることができた。
「鼻緒が切れた」をネットで検索してみたら「気のゆるみ」との書き込
みを見つけた。そうか。イースター礼拝を終え、ホッとした「気のゆるみ」。
あるある。新年度はまだ始まったばかりだ。先頭を行くキリストを見失う
ことが無いように、気を引きしめて、歩いて行こう!!

35イエスは言われた。
「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。
暗闇に追いつかれないように、
光のあるうちに歩きなさい。
暗闇の中を歩く者は、
自分がどこへ行くのか分からない。
36光の子となるために、
光のあるうちに、光を信じなさい。」
ヨハネによる福音書12章35~36節

タピーヌ教会
ゴゾ島のタピーヌ教会マルタ共和国にて

坂の途中から2023年4月9日中島 善子
仕事柄、多くの方をお見送りしてきたが、不思議なことも色々と体験さ
せていただく。
普段から厳しい顔をしている方が病の床についた。何度もお見舞いに伺
うけど、いつもそっけなくて恐い。
やがて回復の見込みがなくなり、ご家族の希望によって、その方に病床
洗礼を授けることになった。そして病床洗礼を授けた翌日、訃報を聞いて、
急いで駆けつけた。
「えっ、誰?」と、思わず心の中で叫んでしまった。顔がぜんぜん違う。
別人になっている。今まで一度も見たことがない優しい顔。優しいと言う
のか、穏やかで、とても美しい顔で、その方は横たわっておられた。どう
いうこと?
葬儀などを終えてから、ふと思った。
何一つ抵抗できない死の中で、あの方は復活のキリストとお会いしたん
だ。そして無抵抗のまま自分のすべてを復活のキリストに包まれたから、
復活のキリストの明るさ、暖かさ、柔らかさに丸ごと包まれたから、あの
方はビックリするほど優しくて、美しくて、穏やかな顔に変えられたんだ。
信仰者が次第に柔和な顔つきに変えられて行くのは、復活のキリストが
近づいてくださるせいなのかも知れない。

10わたしは、キリストとその復活の力とを知り、
その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、
11何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
12わたしは、既にそれを得たというわけではなく、
既に完全な者となっているわけでもありません。
何とかして捕らえようと努めているのです。
自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
フィリピの信徒への手紙3章10~12節

タピーヌ教会
ゴゾ島のタピーヌ教会マルタ共和国にて

坂の途中から2023年4月2日中島 善子
東京の友人から送られた桜並木の写真を見て、私も見たくなって、桜並
木の情報を頼りに出かけた。車で通ったことのある道を歩いた。歩き始め
ると、すぐ暑くなる。春だわ。
多分、この辺りだと思ってウロウロしていたら、目の前に交番。親切に
教えていただいて、目指す並木道に到着。でも遅かったせいか、思い描い
た桜並木は既になかった。
そういえば入学式に咲く桜が、卒業式に咲くとも聞いた。桜ではないけ
ど、柔らかい新芽の出た木立がおおいかぶさる並木を歩いた。木に囲まれ
ているだけなのに、さっきまでの車通りの道とは感触が全く違う。不思議
だね。
濃淡ある葉の色の重なり、自由な枝ぶりの重なりの木立を見上げなが
ら、ゆっくりゆっくり歩くのは、すっごく楽しい。こりゃ儲けたな。
(´∀`*)ウフフ
帰りは行きとは違う道を歩いた。多分こっちだろうなと。やがて頭の中
の地図と現実とは、似て非なるものだと実感。私の方向音痴の才能は一級
品。ともあれ無事に、教会到着。かなり歩いたので嬉々としてスマホを見
たが、消費したのはたったの100カロリー。それなのに外反母趾と股関節が
痛い。コロナで外出しなかった分、太ったからねぇ。( ;∀;)
とにかく新年度はマメに体を動かそう。新年度、何があるか分からない
けど、神が用意しておられる新たな発見や驚き、出会いを全身全霊で受け
とめながら、大いに喜んで、大いに感謝して生きて行こう。

山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。
イザヤ書54章10節

牛川遊歩公園
牛川遊歩公園にて

2022年度のコラム

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