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坂の途中から2026年1月25日中島善子
高校時代、古文の教師が授業中に、なぜか色々な現代詩を並べたプリ
ントを配布してくれた。初めて知る作品も多く、新鮮だった。特に記憶
に残った作家の詩集を、私は放課後、書店で買い求めた。その本は今も
手元にある。
「茨木のり子詩集」(現代詩文庫・1976年2月15日発行)。ページをめ
くると、あちこち感想が書き込んである。そんな茨木のり子の詩「こど
もたち」から、一部を紹介。

「こどもたちの視るものはいつも断片
それだけではなんの意味もなさない断片
たとえ視られても
おとなたちは安心している
なにもわかりはしないさ、あれだけじゃ……略
青春が嵐のようにどっと襲ってくると
こどもたちはなぎ倒されながら
ふいにすべての記憶を紡ぎ始める
かれらはかれらのゴブラン織りを織り始める…略」

子供の感性を侮ってはならない。子供だけじゃない。誰であろうと、
その魂が見て、肌身で感じているものを、私達が常識のものさしで勝手
に測って、侮ってはならない。

「子供達を私のところに来させなさい。
妨げてはならない。
神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。
子供のように神の国を受け入れる人でなければ、
決してそこに入ることは出来ない。」
マルコによる福音書10章14b~15節

ボッティチェリ展
上野にて

坂の途中から2026年1月18日中島善子
スマホで音楽などを流しながら仕事をしているが、最近、はまっている
動画がある。局アナによる「〇〇天国」と言うラジオ番組の音声配信動画。
視聴者からの様々な投稿を局アナが読み上げると、絶妙なタイミングと
愉快な言葉で相槌を打つ。それが実に愉快で、しばし仕事を忘れて、ゲラ
ゲラ笑ってしまう。
1月に入ったら急に寒くなり、心と体が縮こまっている。でも声に出して
ゲラゲラ笑うと、今まで縮こまっていた心と体が一瞬、ゆるむ気がする。
「笑う門には福来たる」という諺もあるが、案外これは、真実かも知れ
ない。次々と新たな試練がやって来るけれど、四面楚歌に思える状況で
あっても、必ず風穴が開き、危機を乗り越え、笑い合う時が来る。大丈夫。
乗り越えられる。

さて、イエスは目を上げ弟子達を見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。」
ルカによる福音書6章20~21節

埴輪展
埴輪展上野国立博物館にて

坂の途中から2026年1月11日中島善子
年明けの6日、鳥取・島根で震度5強の地震があったことをネットの
ニュースで知った。以前、松江市に転居された方のことを思い出して「ご
無事だろうか」と案じながら、朝刊に「震災篇」という小さなコラムを見
つけた。そしてコラムを読んだ途端、涙がこみ上げた。
2011年3月11日、東北大震災で被災された元看護師の方の言葉だった。
悲惨な状態があちこちに散乱している。だけどその方は、入院中の家族や
自宅の動物たちを案じて、必死で瓦礫の中を走った。
途中、大勢の人が助けを求めたが、手助けできないまま、「どうか神様、
私を許してください」と泣き泣き見過ごしたことを、看護師だったその方
は深い痛みと共に綴った。
看護師であれ誰であれ、予測できない事態に遭遇した時、人は何が出来
るか。「どうか神様、赦してください」。恐らく私もこう言って、泣きな
がら祈るだけだろう。

私達の救いの神よ
私達を助けて、あなたの御名の栄光を
輝かせてください。
御名のために私達を救い出し、
私達の罪をお赦しください。
詩編79編9節

そしてイエスは女に
「あなたの罪は赦された」と言われた。
ルカによる福音書7章48節

メノラー
メノラー(燭台)の展示エルサレムにて

坂の途中から2026年1月4日中島善子
難産の末に授かった子供は1人だけだが、生まれてからも手間のかかる
子供だった。ダッコしていないと眠らないし、授乳すれば吐くの繰り返し。
だから洗濯物は子供の物だけでなく、私の物も毎日山ほど溜まる。会社員
の夫は仕事で全く頼れない。次第に煮詰まり、このままではヤバくなる予
感。そこで大学時代の恩師に、近くの教会を紹介してもらった。
大学はキリスト教系だったが、礼拝出席は、入学と卒業の時だけ。でも
子供と初めて出席した教会で説教を聞いたら、「神様が私を知っていた!」
と驚いて、泣いた。
礼拝後、牧師に「洗礼を受けたい」と言うと「まず礼拝に通ってくださ
い」と牧師。そして1年後、親子で受洗。
もし育児が楽だったら、私も家族も教会には行かなかっただろうし、キ
リスト者にもならなかっただろうなぁ。

あなたがたを襲った試練で、
人間として耐えられないようなものは
なかったはずです。
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられないような
試練に遭わせることはなさらず、
試練と共に、それに耐えられるよう、
逃れる道をも備えていてくださいます。
コリントの信徒への手紙一10章13節

私は道であり、真理であり、命である。
私を通らなければ、
誰も父のもとに行くことが出来ない。
ヨハネによる福音書14章6節

生誕教会
聖誕教会ベツレヘムにて

坂の途中から2025年12月28日中島善子
クリスマス礼拝後に、ささやかな祝会を設け、その中で、「幸福の王子」
(オスカー・ワイルド作)の絵本をプロジェクターで映しながら朗読した。
良く知っている童話。それなのに朗読しながら、涙が込み上げて来て、
困った。
美しい銅像の王子はツバメの手を借り、町の貧しい人に、体の宝石や金
箔を与える。王子の銅像は薄汚れた姿になり、南に行く時期を逃したツバ
メも死ぬ。銅像は燃やされ、燃え残った王子の鉛の心臓と、ツバメの死骸
は捨てられた。
すると神様が、天使に「町で最も美しいものを2つ持って来るように」
と告げた。そして天使は、王子の鉛の心臓と、ツバメの死骸を神様のもと
に運ぶ。
あとがきに「王子の鉛の心臓は愛そのものと言って良いでしょう。
『火の中に投げ込まれた王子の鉛の心臓だけは溶けませんでした』と言う
のは、愛は永遠であることを原作者は言おうとしているのです」と記され
ていた。
永遠である神の愛の現物支給がキリスト。感謝します。

神は、独り子を世にお遣わしになりました。
その方によって、
私達が生きるようになるためです。
ここに、神の愛が私達の内に示されました。
私達が神を愛したのではなく、
神が私達を愛して、
私達の罪を償ういけにえとして、
御子をお遣わしになりました。
ここに愛があります。
ヨハネの手紙一4章9~10節

母子像
母子像マルタ島にて

坂の途中から2025年12月21日中島善子
教団出版「信徒の友」で豊橋東田教会が祈りに覚えられ、各地の教会
などから、祈りのお葉書がたくさん届いている(掲示板に貼りました。
ご覧ください)。お葉書の中に知人の名前をいくつも見つけて、うれし
かった。
A隠退牧師ご夫妻からのお葉書。私が牧師館のない教会に在任中、夫は
会社員。子供は中学生。仕事を終えたら、即、帰宅して家事という慌た
だしい生活をしていたが、ご夫妻が色々と配慮してくださった。心から
感謝。
また神学校同級生B牧師が仕えている教会の祈祷会からの寄せ書き。
幸いにも神学校の同級生は仲が良い。でも教会での祈りに、私達の小さ
な群れを招き入れてもらえたことが、うれしくて心から感謝。
毎週の祈祷会での祈りは小さいけれど、東田の地を超えて全国各地で
の祈りに繋がっていることに、心から感謝。

「私につながっていなさい。
私もあなたがたにつながっている。」
ヨハネによる福音書15章4節a

クリスマスカード
教会に届いたお葉書やクリスマスカード

坂の途中から2025年12月14日中島善子
12月8日、青森県沖で震度6強の地震が起きて、未だ余震が続く。
また青森県六ケ所村には使用済み核燃料の再処理工場があり、燃料貯蔵
プールから放射性物質を含む水が溢れたと、新聞が伝えている。
2011年3月11日に起きた東日本大震災は、地震被害に加え、津波によ
る被害の惨さに日本中がうちのめされた。また昨年の元日、能登半島地
震が起きた。同じ中部教区被災地教会は、未だ被災前の状況に、完全復
帰とは言えない。
「地震、雷、火事、親父」と怖い物のトップに地震がある。昔から地
震の恐怖を、私達は肌身に刻み込んで来た。だけど今やその恐怖は、た
だ大地が揺れ動き、津波が襲いかかり、住宅や道路が破壊されるだけの
恐怖ではない。
目には見えない放射性物質汚染による恐怖。それ以上に、目には見え
ない偏見や嫌悪が蔓延する恐怖が、私達に迫る。
だから何があっても決して揺らがず、失われない永遠の基である救い
主イエス・キリストに、今こそ立ち帰ろう。

私の手は地の基を据え
私の右の手は天を延べた。
私が彼らに呼びかけると、共に立ち上がる。
イザヤ書48章13節

マリアは言った。
「私は主のはしためです。
お言葉どおり、この身に成りますように。」
そこで、天使は去って行った。
ルカ福音書1章38節

聖マリア教会
聖マリア教会マルタ島にて

坂の途中から2025年12月7日中島善子
12月に入った途端、スマホのLINEが使用不可能になった。事前に
警告があったのかな?でもスマホで一番使うのがLINEなので、本当に
困った。仕方ないから、取扱店に行ってスマホを新たに購入すること
にした。
首をかしげる私に店の担当者は懸命に説明してくださる。主に使っ
ていたスマホ機能は、LINE、メール、写真、電話で多機能は必要ない。
しかし安全性だけは譲れない。知らないうちにデータを流失させてし
まって、悪利用されないよう、用心しなければならない。
まぁ今は、どんなにセキュリティを強化しても、その道のプロなら、
簡単に解除してしまうのだろう。だったら大事なことは、どこに保存
すれば良いのか。というより、そもそも大事なことって、何だ?時間
の経過とか、居場所の変化にもかかわらず、決して変わらない最も大
事なことって、何だ?

最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、
私も受けたものです。
すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり
私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、
また、聖書に書いてあるとおり
3日目に復活したこと、
ケファに現れ、その後
12人に現れたことです。
コリントの信徒への手紙115章3~5節

イスラエル
イスラエルにて

坂の途中から2025年11月30日中島善子
全国婦人会連合委員会研修会が行われた。講師は金城学院大学の学院長。
エフェソの信徒への手紙を通し「キリストにある平和」が熱く語られた。
神の民であるユダヤ人にとって、エフェソは異邦人の地。そこで生活す
る民は、神から遠い汚れた民。しかし人は皆、神から遠い異邦人。ユダヤ
人だろうが、キリスト者だろうが神に背を向け、「神への背き・罪」を抱
える異邦人。どんなに頑張っても、人は神の民として生きられない。
だから罪人しかいない世に神の御子キリストが来られた。天から眺める
だけじゃなくて、この世のどん底、罪のどん底、陰府のどん底までキリス
トが降り、そこに吹き溜まる民を、神の子供として引き上げてくださる。
この良き知らせ・平和の福音と1つにされることを、切に祈り、切に願う。

実に、キリストは私達の平和であります。
2つのものを1つにし、ご自分の肉において
敵意という隔ての壁を取り壊し、
規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。
こうしてキリストは、双方をご自分において
1人の新しい人に造り上げて
平和を実現し、十字架を通して、
両者を1つの体として神と和解させ、
十字架によって敵意を滅ぼされました。
キリストはおいでになり、
遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる
人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。
エフェソの信徒への手紙2章14~17節

エルサレム
エルサレムにて

坂の途中から2025年11月23日中島善子
金城学院大学での礼拝は、朝8時45分に始まる。そのため礼拝奉仕の当
日は、6時の豊橋行き路面電車に乗る。
豊橋から金山で(1番ホーム)乗り換え、大曽根で乗り換え(1番ホーム)、
金城学院大学で下車する。それを続けてきた。
豊橋から、電車内で本を読んでいた。だけど本に夢中で、乗り換え駅の
金山を過ぎてしまった。えっ?(;゚Д゚)💦
次の名古屋で下車し、慌てて乗り換えた。しかし1番線のホームに立っ
たら、豊橋方面の表示。えっ?(;゚Д゚)💦
スマホで確認してから、今度は8番線ホームに駆け上り、大曽根へ。
大曽根から大学方面の電車に飛び乗った。いつもなら準急で、3つ目の駅。
なのに乗った電車は各駅停車。えっ?(;゚Д゚)💦
大学には「遅れます」と連絡を入れた。駅に着くと、大学までの坂を駆
け上った(つもり)。すると礼拝堂の前に、心配した学長が職員の方と立っ
ておられた。
本当にごめんなさい。礼拝に支障はなかったが、礼拝前に学長はじめ、
大学の皆様にご心配、ご迷惑をかけてしまい、本当に申し訳なかった。
今後、電車内の読書は控えようと、深く反省しつつ、大学からの帰路に就
いた。

悔い改めにふさわしい実を結べ。
『我々の父はアブラハムだ』などという
考えを起こすな。
言っておくが、神はこんな石ころからでも、
アブラハムの子たちを造り出すことが
お出来になる。
ルカによる福音書3章8節

ホテル
夕食はカップ麺の一人旅マルタ島にて

坂の途中から2025年11月16日中島善子
3年前、突然パソコンが不調になって、パソコンを新しく購入した。
日々のパソコン使用は、ワードとメールくらい。なのに、パソコンの電
源コードが不調になって、パソコンに充電ができなくなった。(;゚Д゚)
電源が入らなければ、どんな機能が搭載されていようと、パソコンは
「単なる平たい箱」。
学生時代、レポートや卒論などは手書きだった。その後、ワープロが
登場したら、書く作業は格段に楽になった。更にパソコンの登場で、使
いやすさは格段に進歩。だから今は、手紙以外の文書作成は、ほぼパソ
コン頼み。
なのに、なのに充電ができなくて、パソコンが使えない。毎週の説教
原稿の他に、締め切りが迫っている原稿もある。だから長老に調べても
らい、中古パソコンを買った。
しかし「パソコンが無いと説教原稿が書けない」って、ちょっとヤバ
イ。否、かなりヤバイと思う。

私の神は、ご自分の栄光の富に応じて、
キリスト・イエスによって、
あなたがたに必要なものをすべて
満たしてくださいます。
私達の父である神に、
栄光が世々限りなくありますように、
アーメン。
フィリピの使徒への手紙4章19~20節

ホテル
ホテルのフロントで魚が泳いでいたラトビアにて

坂の途中から2025年11月9日中島善子
N牧師と長老が名古屋に出かける途中で、豊橋東田教会に立ち寄ってく
ださった。久しぶりの再会で、教会の話などで盛り上がっていたら、瞬く
間に時間が過ぎた。
そこで近くの「ナザレうどん」に行くことにした。ここは今春、教会に
宿泊したドイツ人女性と行った「うどん店」。「ナザレ」という店名通り、
お店の方はキリスト者。
初めてのメニュー「豊橋カレーうどん」にチャレンジした。目の前に運
ばれて来たカレーうどんは、かなりの量。大丈夫かなと思ったが、ついつ
い食べてしまうおいしさだ。そしてうどんを食べていたら、うどんの下か
ら、ご飯が出て来た。しかも「とろろ」が乗っている。(≧▽≦)ノ
今年も残り2ケ月を切り、どんどん時間は過ぎて行くし、どんどん年も
とって行く。だけど未体験な事柄は、うどんの下から出て来た「とろろご
飯」みたいに、まだまだ身近にもたくさんある。そう考えると、人生最後
まで、何が飛び出て来るか、何と出会うか、興味は尽きない。楽しみだ。

あなたを尋ね求める人が
あなたによって喜び祝い、楽しみ
御救いを愛する人が
神をあがめよと
いつも歌いますように。
詩編70編5節

カレーうどん
カレーうどんナザレうどん店にて

坂の途中から2025年11月2日中島善子
教会から3日間、今年度の休暇をいただき、約30年前から家族でお世話
になっているペンションに私1人で宿泊して来た(夫は猫の世話、娘は仕
事のために同行できなかった)。あと1年でペンションを閉じると伺った
し、何よりも昨年、亡くなられた夫人のためにお祈りがしたかった。
豊橋に来てから、コロナ禍のこともあって、ご無沙汰していたが、駅を
降りて驚いた。以前はあちこち寄り道を楽しみながら、ペンションまでの
道を歩いたが、駅の建物や道路が立派になった割に、店などがガクンと
減った。
とは言え、5年ぶりの懐かしいペンションに到着すると、嬉しさ爆上が
り。泊り客は私一人だけだったこともあって、夫人の平安をお祈りするこ
とができたし、ご主人とも時間を気にしないで、お話することが出来た。
そして寝る前には、大きな本棚から漫画本を何冊も部屋に持ち込んで、
ベッドの上で読みふけた。
家族で過ごした大切な場所が、来年で無くなってしまう。教会に戻って
から、「無事、帰宅しました。また伺います」とペンションのご主人に伝
えた。短かったけれど、とても良い休暇を過ごすことが出来たことに、心
から感謝。

イエスは「さぁ、あなたがただけで人里離れた所へ
行って、しばらく休むが良い」と言われた。
出入りする人が多くて、
食事をする暇も無かったからである。
そこで一同は舟に乗って
自分達だけで人里離れた所へ行った。
マルコによる福音書6章31~32節

ペンション
休暇中山梨のペンションにて

坂の途中から2025年10月26日中島善子
朝、窓から吹き込む風が熱風ではなく、涼しい風になっているのが嬉し
い。ただそれだけなんだけど、すごく嬉しい。10月下旬、間もなく11月。
朝晩の涼しい風、キンモクセイの蕾。当然のことだけど、当然のことが
今、本当に心から嬉しいし、有難くて、日々、神に感謝している。
ふりかえれば、この年まで生きて来て、当然と思い込んでいたことが何
度もひっくり返されて来た。良い事ばかりではない。思いがけない状況に
混乱し、泣き叫び、立ち尽くしたこともある。もうダメダと、心と体を病
んだこともある。
それでも、こうして生かされている。自分の思いや計画を超えて、生か
されている。自力で生きているのではなくて、生かされている。目には見
えない神の力で生かされている。
秋風に吹かれ「風」(プニューマ・ギリシャ語)には「息吹、生命力、霊」
の意味があることを、思い巡らす今日この頃。

あなたがたは、キリストが私達を用いて
お書きになった手紙として公にされています。
墨ではなく
生ける神の霊によって、
石の板ではなく
人の心の板に、書きつけられた手紙です。
コリントの信徒への手紙二3章3節

天地創造
ダビンチ「天地創造」大塚美術館にて

坂の途中から2025年10月19日中島善子
体調を崩して、半月が過ぎた。義務教育の9年間を皆勤で過ごすほど、
丈夫だけが取り柄だったのに、微熱と咳が続く今の現実に苛立つ。そして
子供が小さかった頃、私が肺炎になったことを思い出した。
医師からは入院を勧められた。しかし子供を預ける当てがなかったので、
注射を打つため、毎日通院することに。
だがその注射が太くて「家畜用の注射器じゃないの?」と思うほどだっ
た。勿論、痛い。非常に痛かった。でも注射のお陰で、入院しないまま、
肺炎は完治。今、考えると点滴が良かったのにとも思う。まぁ、若かった
から出来たことだが、これから先は弱くなるばかり。用心せねば。
だけど良いこともあった。この半月の体調不良のお陰で、痩せて、豊橋
に来る前の体重に戻った。(≧◇≦)/♪
体調が復活しても、体重まで復活しませんように。

見よ、私はあなたと共にいる。
あなたがどこへ行っても、
私はあなたを守り、
必ずこの土地に連れ帰る。
私は、あなたに約束したことを果たすまで
決して見捨てない。
創世記28章15節

あなたの重荷を主に委ねよ
主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え、
とこしえに動揺しないように計らってくださる。
詩編55編23節

家
家が笑っているタリンの町エストニアにて

坂の途中から2025年10月12日中島善子
今月に入った途端、体調を崩した。喉が痛いし熱っぽい。最初はのど
飴をなめて凌いでいたけど、食欲も無くなった。用心して早めに寝たが、
翌日も体調は戻らない。病院に行くしかないかなと、体温を計ってみた。
37度。
私の平熱は35度。面倒だけど病院に行った。そして病院の待合室で検
温したら、37.1度。待合室で説明されたことは、「体温が37.5度以上な
いと、コロナの検査は出来ません」。ガビィ~ン(;゚Д゚)…。
体がしんどくて、反論する言葉も気力も出ない。飲み薬を処方されて
帰宅した。食欲は無いから、とにかく薬を飲んでひたすら寝るしかない。
1日も早く体調を回復させて、次週の説教準備をしなければ……。
すると猫が布団に潜って来た。猫はいつも私と同じ部屋で寝てくれる
けど、私の寝相が悪いから、危険回避で布団の中には入らない。でも体
調が戻るまでは安全と判断したのか、熱が下がるまで布団に潜り込み、
一緒に寝てくれた。
そして熱が35.5度に下がったら、何も教えていないのに、猫が布団の
中に入って来なくなった。これって、身の安全を守るための野生の本能?

恐れることはない、
私はあなたと共にいる神。
たじろぐな、
私はあなたの神。
勢いを与えて、あなたを助け、
私の救いの右の手で、あなたを支える。
イザヤ書41章10節

夜警
レンブラント「夜警」大塚美術館にて

坂の途中から2025年10月5日中島善子
豊橋東田教会に赴任して初めて、前夜式と葬儀を行った。前任地でも数
多く、前夜式、葬儀を行って来たが、その度にキリストの救いの恵みに新
しく出逢う。その意味で葬儀は、召された方から残された者への「最後の
証しの場」でもある。
「私の人生にとって、キリストはどのようなお方だったか。また私は、
キリストのために何をして来たのか。キリストが愛しておられる人々を、
私は本気で愛して来たのか」。

今回の葬儀でも改めて自分の信仰を顧みる機会とされた。年を重ねる度
毎に、私達は弱く、低く、貧しくされて行く。だが反対に私達の弱さ、低
さ、貧しさを覆い尽くすように、キリストの救いの恵みが静かに、豊かに、
私達の全身全霊に広がって行く。このことを葬儀の度に気づかされる。
だから頭で理解するというより、いつもキリストの救いを体感しながら、
信頼しながら、人生を歩み通したい。罪人を惜しみなく愛してくださる神
に「アーメン(その通り)」と、全身全霊で応答しながら、キリストと共に、
最後まで人生を歩み通したい。

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、
神に向かっているのです。
栄光が神に、永遠にありますように。アーメン。
ローマの信徒への手紙11章36節

主をたたえよ、とこしえに。アーメン、アーメン。
詩編89編53節

十字架の丘
十字架の丘リトアニアにて

坂の途中から2025年9月28日中島善子
定期検診のため、歯医者の待合室にいたら、今月、大阪で2日間一緒
だった牧師からLINEが入った。「体調が悪くなり、病院で検査をしたら
コロナだった。大丈夫?」とのこと。
彼は神学校時代の同級生で、しかもゼミの仲間。神学校の同級生は、
神学生時代から仲が良くて、卒業しても10年毎に開催するクラス会には、
全国各地から参集する。
大阪の牧師会で久しぶりに会えた同級生と、夕食や朝食が一緒だった
し、運良く分団協議も一緒だった。だから心配になって、急いで私にも
連絡をしてくれたらしい。幸い、私は平熱だし、体調にも変化はない。
再びコロナが流行していると新聞などで知ってはいたが、他人事とし
て読み過ごしていた。情報として認知していても「自分事」としては認
知できない透明で頑なな壁が、自分の中にそびえていることに、同級生
のLINEで気づかされた。

実にキリストは私達の平和であります。
2つのものを1つにし、ご自分の肉において
敵意と言う隔ての壁を取り壊し、
規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。
こうしてキリストは、双方をご自分において
1人の新しい人に造り上げて、平和を実現し、
十字架を通して、両者を1つの体として
神と和解させ、十字架によって
敵意を滅ぼされました。
エフェソ2章14~16節

嘆きの壁
嘆きの壁の前で祈る人々エルサレムにて

坂の途中から2025年9月21日中島善子
大阪で開催された改革長老教会協議会牧師会に出席した。座りたいか
ら、早めに新幹線ホームに駆けつけたら、予定の「こだま」より1つ早
い新幹線が来たので、乗車。
新大阪に到着したが、時間に余裕があるから、駅で昼食をしようと
思ったが、新幹線改札を出てビックリ。連休最終のせいか駅構内は大混雑。
こんな新大阪は初めて。
人々の手荷物を見て、気がついた。万博帰りの家族連れが、お土産を
抱えて、駅構内に溢れていたのだ。炎天下、時間と大金と労力をかけて
万博に行く人たちが、こんなに大勢いる現実を目の当たりにして、正直、
驚いた。
隣りにいた人が家族に「トイレは長蛇の列だよ」と嘆いた。駅内のト
イレも、飲食店も、売店も大混雑だから、持参したパンをかじり、麦茶
を飲んで、私の昼食休憩は終了。
以前、韓国で宣教師をしていた友人から送られた写真に、礼拝に出席
するため、大勢の人たちが教会周辺を埋め尽くす様子が写っていた。
……日本の教会、伝道を頑張ろうね。

ヨハネが捕らえられた後、
イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
「時は満ち、神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
マルコ1章14~15節

わたしの唇は喜びの声をあげ
あなたが贖ってくださったこの魂は
あなたにほめ歌をうたいます。
わたしの舌は絶えることなく
恵みの御業を歌います。
詩編71編23~24a節

シベリウス
シベリウス記念公園ヘルシンキにて
讃美歌271番、532番シベリウス作曲

坂の途中から2025年9月14日中島善子
礼拝後、教会の方からお米を戴いた。ヾ(≧▽≦)ノ🎵
早速、お米を炊いて美味しくいただいた。炊き立てご飯を食べるのは、
3ヶ月以上ぶりだ。お米が食べられる有難さを感謝しつつ、深く噛みしめ
て味わった。
9月に入ったが、生協では、今も通常のお米の申し込みは出来ない。
猛暑が続いているし、カメムシ被害もあってか、お米の出来が良くないの
かも知れない。
多くの産業が私達の日常生活を支えている。でも食べ物がなければ、ど
んな産業も成立しない。多くの食品が工場から出荷される。でも食べ物は、
すべて自然界からの命の恵み。自然界から命の恵みを受けて、私達の命は
生かされている。
食事での「(命を)いただきます」「(命を)ごちそうさま」の恵み深さ
を、改めて思う今日この頃。

私は命のパンである。
ヨハネ6章48節

私は天から降って来たパンであり、
これを食べる者は死なない。
ヨハネ6章51節

私の肉を食べ、私の血を飲む者は
永遠の命を得、私はその人を
終わりの日に復活させる。
私の肉は、真の食べ物、
私の血は、真の飲み物だからである。
私の肉を食べ、私の血を飲む者は、
いつも私の内におり、
私もまた、いつもその人の内にいる。
ヨハネ6章54~56節

1人朝食
パンとスープの1人朝食エストニアにて

坂の途中から2025年9月7日中島善子
東京で生まれ、牧師になって東京と静岡。そして今は豊橋。転居の度
に色々な物を捨てて来た。今、持っている物の中で、昔からある物は何
かなと、部屋を見回した。
一番古い物は、整理タンス。これは両親が結婚して、すぐ買い求めた
タンスらしい。それを子供の時から使って来た。次に古い物は、小学生
の時、親に買ってもらった勉強机。
整理タンスも勉強机も合板家具ではなくて、ガッチリした木製家具。
半世紀以上前の物だから、あちこち傷はあるが、高校生の時、整理タン
スと勉強机を赤ペンキで塗ったから、まだまだ現役で使える。
だけど問題は使う側。女性の健康寿命は75.45歳(2022年の統計)との
こと。もう既に体のあちこちがガタガタだけど、ペンキの塗り直しもで
きないし、さて、どうしたものか。

すると主は「私の恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と
言われました。
だからキリストの力が私の内に宿るように、
むしろ大いに喜んで
自分の弱さを誇りましょう。
それ故、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、
そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。
なぜなら、私は弱い時にこそ強いからです。
コリントの信徒への手紙二12章9~10節

長寿の整理タンス
持ち主よりも長寿の整理タンス

坂の途中から2025年8月31日中島善子
葬儀後の会食で、喪主である夫人が突然、指で拳銃の形を作ると、私に
向けて「バキューン!」と言った。だから私は「ウッ」と言って、テーブ
ルに伏せた。すると夫人は、満足そうな笑みを浮かべた。突然のことにビ
ックリした親族が、大慌てで夫人をたしなめると、平身低頭で私に謝罪さ
れた。とっても前向きで、とっても朗らかな夫人だった。
80年前の夏、夫人は原爆雲の上部が薄桃色に染まっているのを見て「き
れいだ」と、心の中でつぶやいたと言う。勿論、その雲の下で起きた耐え
がたい惨劇も、夫人は体験した。
想像を絶する無数の苦しみが夫人の全身に刻み込まれていた。それでも
尚、夫人の笑顔は最後まで本当に明るくて、本当に美しかった。
後日、この方の葬儀も、私が担わせていただいた。そしてこの方の信仰
に私も連なりたいと、今も祈り、願っている。

娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声を上げよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者。
高ぶることなく、ロバに乗って来る。
雌ロバの子であるロバに乗って。
私はエフライムから戦車を、
エルサレムから軍馬を絶つ。
闘いの弓は絶たれ、
諸国の民に平和が告げられる。
彼の支配は海から海へ、
大河から地の果てにまで及ぶ。
ゼカリヤ9章9~10節

祈りのショール
ユダヤ人の祈りのショールアウシュビッツにて

坂の途中から2025年8月24日中島善子
先月、夫が足を痛めたので、杖を購入して、現在使用中。病院の検査で
は骨に異常がなく一安心。湿布を貼り、痛みが和らぐのを待っているとこ
ろ。
夫の杖を見ていて、小学生時代、足に補助具をつけていた同級生を思い
出した。当時、鉄腕アトムや鉄人28号が大人気だったこともあって、同級
生の補助具がカッコ良く見えた。実際、授業も、休み時間のドッチボール
も一緒にやったし、子供同士で何の違和感もなかった。
今日、高齢者が増えて、多種多様な補助具が必要になり、それらを使用
することへの配慮が、少しずつ広がっている。十人十色。人は皆、それぞ
れ違う。だから一人一人の弱さや違いを切り捨てるのではなくて、それら
を互いに認め合い、受け入れる生活が、社会全体にますます広がるといい
なぁ。

いかに幸いなことでしょう。
弱い者に思いやりのある人は。
災いの降りかかる時、
主はその人を逃れさせてくださいます。
詩編41編2節

まことに、あなたは弱い者の砦
苦難に遭う貧しい者の砦
豪雨を逃れる避け所
暑さを避ける陰となられる。
イザヤ書25章4節

捕虜収容所の寝床
障碍者の補助器具アウシュビッツにて

坂の途中から2025年8月17日中島善子
戦後80年目の8月。人類最初の被爆地である広島と長崎の平和祈念式典
を動画で見た。特に心に残ったのが、広島知事の挨拶と長崎での石破首相
の挨拶だった。
広島知事は、漢詩「国破れて山河あり」を引用しながら、「国守りて山
河なし」
と言い、「核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありま
せん。…実現しなければ死も意味しうる現実的・具体的な目標です」
と語
った。
また長崎において石破首相は、被爆者である永井隆博士の「ねがわくば、
この浦上をして、世界最後の原子野たらしめたまえ」
と言う言葉を引用し
「長崎と広島で起きた惨禍を2度と繰り返してはなりません」と語った。
今日、約1万発の核兵器が地球上にあると言われている。莫大な数字を
前に、無力感に陥る。でもそんな無力感を押しのけて、昨年、日本被団協
がノーベル平和賞を受賞した。
全人類は、私達は、否、誰も決して諦めてはならない。

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを、神に打ち明けなさい。
そうすれば、
あらゆる人知を超える神の平和が
あなたがたの心と考えとを
キリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピ4章6~7節

原爆死没者記念碑
高校の修学旅行で広島へ原爆死没者記念碑の前にて

坂の途中から2025年8月10日中島善子
ずっと不調だった牧師館2階のエアコンが、連日の猛暑に耐えきれず、
ついに終了したことを長老会に伝えた。そして新しいエアコンが入るこ
とになった。
でも即日に工事とはいかない。そのため新しいエアコンが入るまで、
私は2階から布団を応接間に持ち込み、応接間のソファの上に布団を細く
畳んで敷いて、その上で寝ることにした。
しかし問題は、子供の時から私の寝相が非常に悪いこと。案の定、
ソファで寝た初日、寝返りを打ち、床に落ちて目が覚めた。痛かった。
( ノД`)シクシク…
そこで、ソファの脇に折り畳み椅子を並べて、柵代わりにして、次の
日から寝ることにした。
すると寝返り打っても、椅子にはぶつかるけれど、床には落ちないで
済む。
とは言え、同じ姿勢で一晩中寝ることが、かなりの苦行であることを、
老いた体で新たに学んでいる。

怠け者は言う
「道に獅子が、広場に雄獅子が」と。
扉はちょうつがいに乗って回転する。
怠け者は、寝床の上で寝返りを打つ。
箴言26章13~14節

卑しめられたのは、私のために良いことでした。
私はあなたの掟を学ぶようになりました。
詩編119編71節

捕虜収容所の寝床
強制収容所の三段になった寝床ビルケナウにて

坂の途中から2025年8月3日中島善子
連日の猛暑。礼拝はクーラーを最稼働。更に自衛策として額と襟首に
冷感湿布を貼って説教する。それなのに説教中、暑さで頭がボンヤリし
てくる。
神学生時代、伝道実習先の牧師が黒ガウンを着て、説教をしていた。
「黒子に徹して御言を語るため」と教えられた。以来、それを肝に銘じ、
黒ガウンを着用して説教して来た。
しかしこの暑さ。汗をかきにくい体質だから、熱が体内に溜まり、説
教していて苦しくなる。これは危険だと判断し、先週、ついに黒ガウン
を脱いで説教してみた。すると暑さを気にせず説教できたし、礼拝後も
頭痛や吐き気がない。またクーラーの涼しさも体感できた。(゚Д゚;)!!
礼拝で御言だけが明らかにされるための黒ガウン。だけど「黒ガウン
を着なければ、黒子に徹して御言を語れない」と、自分勝手に思い込み、
自分を呪縛していた。
今後も神の道具、神の黒子として、神に仕えて行きたい。私達が礼拝
し仕える神は、常に私達に先立って、日々私達を更新させながら、救い
に向かって前進させてくださる。何があろうと、この神に大胆に信頼し
ながら歩んで行く。

キリストは私達のために呪いとなって、
私達を律法の呪いから贖い出してくださいました。
「木にかけられた者は皆、呪われている」と書いて
あるからです。
それは、アブラハムに与えられた祝福が、
キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、
また私達が約束された霊を信仰によって
受けるためでした。
ガラテヤ書3章13~14節

アウシュビッツ
絞首刑台アウシュビッツにて

坂の途中から2025年7月27日中島善子
7月に入っても、セミの声が聞こえないなと思っていた。でも先日の
豪雨の後、セミの声を聞いた。
連日35度を超す暑さで、セミも鳴く気力が無かったんだ。豪雨は困る
けど、豪雨のお陰で一時的に、熱気が鎮まった。すると「待ってました」
とばかりにセミの声。うるさいはずのセミの声が、何だか「喜びの歌」
に聞こえた。
その一方、牧師館の小さい庭で育てていた鉢植のバラは、葉っぱが強
い日差しで、茶色く焼け焦げてしまった。
人間の言葉は持たないけど、生きている物たちが、私達に警告してい
る。言葉を持たない小さな命、沈黙している命が、私達に向かって命懸
けの警告をしている。
私達の耳は、何を聞いているのか。
私達の耳は、何に向かって開かれているのか。

私の民よ、聞け、私は語る。
イスラエルよ、私はお前を告発する。
私は神、私はお前の神。
詩編50編7節

そこでイエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、
指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけて
その舌に触れられた。
そして天を仰いで深く息をつき、その人に向かって
「エッファタ」と言われた。
これは、「開け」と言う意味である。すると
たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、
はっきり話すことが出来るようになった。
マルコによる福音書7章33~35節

ショパン像
ショパン像ポーランドにて

坂の途中から2025年7月20日中島善子
我が家の猫は、前任地で拾った野良猫で、警戒心が強い。それでも毎日、
寝床と食事を用意する下僕(私達)の前では、だらしなく寝転がっている。
食事の支度やトイレの片づけ、また目ヤニや鼻クソをきれいに拭き取るの
も、下僕の務め。にもかかわらず、何か気に食わないことがあれば、鋭い
爪で下僕を遠慮なく攻撃してくる。(ToT)
だから爪を切ろうとするのだが、気配を察知して、自分の腹の下に素早
く4本足を隠してしまう。(ToT)
世話してもらっているのに、我が家の猫は「イヤなことはイヤ」と遠慮
なく主張し、行動する。だから「小さな脳みそしかないのに」と、下僕も
時々イラつく。
でも「イヤなことはイヤ」と、誰の目も気にすることなく、頑固に自分
の気持ちを主張できる猫の自由さに、正直言って憧れている。「私は貝に
なりたい」と言う映画があったけど、「私は時々、猫になりたい」。

主の霊が私の上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主が私に油を注がれたからである。
主が私を遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。
ルカによる福音書4章18~19節

猫の置物
屋根の上に猫の置物ラトビアのリガにて

坂の途中から2025年7月13日中島善子
日焼け止めを塗り、日傘をさし、バッグには水筒とペットボトルを入れ
て、名古屋にある教会に出かけた。地下鉄駅を降りて地上に出て、グーグ
ルマップと目に映る景色を照らし合わせても、現在位置がつかめない。
傍にいた方に尋ねたら、親切に教えてくださった。
炎天下、グーグルマップに従って、教会を目指して歩く。暑い。日傘は
使っていても、歩道の照り返し熱が半端ない。ペットボトルの水は、歩き
ながら飲み干した。目指す教会の所まで、グーグルマップに導かれて来た
けど、教会がない。あれれ??教会らしい建物も、十字架も見えない。
上からの日差しと、下からの照り返しと、焦りの三重苦。水筒の水も飲
み干した。これ以上、歩き回るのは危険なので、連絡したら、牧師が自転
車で駆けつけ、無事教会へ。
迎えが来る間、近くに自販機を見つけたから、水分補給が出来た。しか
し全身が熱波に包まれる昨今、地図の読めない年寄りの外出は「命取りに
なる」と実感した1日だった。

彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、
太陽も、どのような暑さも、
彼らを襲うことはない。
玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、
命の水の泉へ導き、
神が彼らの目から涙をことごとく
ぬぐわれるからである。
ヨハネの黙示録7章16~17節

子供たち
水遊びの子供たちバリ島にて

坂の途中から2025年7月6日中島善子
我が家の猫は、前任地で出会った野良猫。教会の庭で作業する私のそば
に、ずっとついて来た。でも私が会堂に入ると、会堂の玄関前に座り、私
が出て来るまで静かに待っていた。決して会堂に入ろうとはしなかった。
豊橋東田教会では、会堂と牧師館が渡り廊下で、棟続きになっている。
そのため我が家の猫は、牧師館から出て来て、会堂に入る渡り廊下を、匂
いを確認しながら、うろうろ歩き回ったりする。けれども、決して会堂に
入ろうとはしない。豊橋に来て5年目だが、このことは今も変わらない。
なぜだろう。会堂は神がおられる聖なる場、聖域なのだと、猫には分か
るのかも知れない。果たして人間様は?

万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。
あなたたちが畏るべき方は主。
御前に、おののくべき方は主。
(イザヤ書8章13節)

こういうわけで、兄弟達、神の憐みによって
あなたがたに勧めます。
自分の体を、神に喜ばれる
聖なる生ける生贄として献げなさい。
これこそ、あなたがたの成すべき礼拝です。
(ローマ書12章1節)

主の慈しみに生きる人々よ。
主に讃美の歌を歌い、
聖なる御名を唱え、
感謝を献げよ。
(詩編30編5節)

聖カジミエル礼拝所
大聖堂の聖カジミエル礼拝所リトアニアにて

坂の途中から2025年6月29日中島善子
ドジャースVSパドレス戦。パドレスは大谷翔平に対して、2度もデッド
ボールを与えた。最初、音声だけの動画中継で分からなかったが、試合後
に見た動画映像は衝撃的だった。
大谷選手の右肩へのデッドボール。今月、投手に復帰したばかりなのに、
選手生命に関わる危険球。即、ドジャースのベンチから同僚選手たちが飛
び出そうとしたが、大谷選手は痛みをこらえて下を向いたまま、同僚選手
に手を伸ばして「出て来るな」のサインを送った。(;゚Д゚)
それだけではなかった。パドレスの投手交代の間、塁上の大谷選手はパ
ドレスのベンチに近づいた。文句を言うのかと思ったら、パドレスの選手
に笑顔で話かけていた。(;゚Д゚)
今、世界中が不信と敵意に満ち溢れて、一発触発の気配。「やられたら
倍返し」が当然なご時世。そんな時だからこそ、とっさのアクシデントか
ら自然に出た、ひとりの野球選手の「平和と和解へのしぐさ」が、深く心
と目に焼きついた。

実にキリストは私達の平和であります。
2つのものを1つにし、ご自分の肉において
敵意と言う隔ての壁を取り壊し、
規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。
こうしてキリストは、双方をご自分において
1人の新しい人に造り上げて、平和を実現し、
十字架を通して、
両者を1つの体として神と和解させ、
十字架によって
敵意を滅ぼされました。
(エフェソ書2章14~16節)

ピース(平和)
ピース(平和)という名前のバラ

坂の途中から2025年6月22日中島善子
先日、「ジェンダーを考える」と言う新聞コラムを読んだ。記事に添え
て、昨年と今年の「男女平等ランキング」が記載されていた。それによる
と「男女平等ランキング」の1位は、昨年も今年もアイスランド。イギリ
スは昨年14位だったが、今年は追い上げて4位。
ヨーロッパと比較して出遅れているアメリカは昨年43位、今年は42位で、
一歩前進。さて日本はどのくらいかと紙面を目で追った。日本は昨年も今
年も、不動の118位。
お隣の韓国は昨年が94位、今年が101位で、やや下降気味。逆に中国は
昨年106位だったが、少し前進して今年は103位。最下位は昨年145位、今
年148位のパキスタンだった。
「日本は安全で便利だから」と、海外からの観光客も多い。確かに日本
には、見るべき観光地が各地にある。でも日本が韓国や中国より「男女平
等ランキング」が低いことに唖然。しかも日本は下から約30位。下から数
えた方が早い。
口にこそ出さないが、「空気を読め」という目に見えない縛りが、家庭、
学校、職場、政治、日本全体に今も蔓延る。教会も例外ではないはず。

神は地位のある者を無力な者とするため、
世の無に等しい者、身分の卑しい者や
見下げられている者を選ばれたのです。
それは、誰一人、神の前で
誇ることがないようにするためです。
神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、
このキリストは、私達にとって神の知恵となり、
義と聖と贖いとなられたのです。
「誇る者は主を誇れ」と
書いてある通りになるためです。
(コリントの信徒への手紙一1章28~31節)

モスタドーム
聖母被昇天教区教会マルタ島にて

坂の途中から2025年6月15日中島善子
米不足の中、備蓄米が市中に出回ると、不思議なことに、どこからか銘
柄米も湧いて来て、店頭に並び始めたらしい。だけど以前の価格と比べる
と、まだまだ米の値段は高い。
我が家は半世紀近く、生協の米を食べて来たけど、現在、生協は米の注
文が出来ない状態。従って食卓のメニューは、もっぱら麺類が中心。日本
そば、うどん、スパゲッティー、焼きそば、インスタントラーメン、番外
でお好み焼き。
年寄り2人の生活だから食べる量も、たかが知れている。でも部活に明
け暮れていた学生時代は、ご飯のお替わりが「朝昼3杯、夜5杯」だった。
いつも腹ペコで、身近にあるものを、手あたり次第に食べていた。
当時のことを思うと、せめて食べ盛りの子供たちを抱える家庭には、国
が優先的に「お米支援」をしてくれないかなぁ。子供たちは宝。そうだよ
ね?

軍馬のひづめの音、戦車の轟音、車輪の響きに
父親は力を失い、子供を顧みることもできない。
(エレミヤ書47章3節)

はっきり言っておく。
心を入れ替えて、子供のようにならなければ、
決して天の国に入ることは出来ない。
自分を低くして、この子供のようになる人が、
天の国で一番偉いのだ。
私の名のために、
このような一人の子供を受け入れる者は
私を受け入れるのである。
(マタイ福音書18章3~5節)

小人の像
広場に小人の像がたくさんあったポーランドにて

坂の途中から2025年6月8日中島善子
この時期、友人が梅酒などを作っていたことを思い出す。仕事や家事は
勿論、スキーの腕前も1級で、万能な彼女。私は仕事のついでに、彼女が
経営していた店に度々、立ち寄った。そんな彼女が病に倒れ、最後は自宅
で過ごすことに。
彼女が亡くなる直前、彼女の自宅を訪ねると、ベッド脇に座ったまま、
梅の実を割り、種を出していた。梅干しとか、梅酒を作るための準備だっ
た。私は驚いて、彼女の代わりに梅を割って、種を取り除いた。
1つ1つ、種を取り除いた梅の実で作った梅酒や梅干しを、彼女が口にす
ることは出来なかったけど、ご家族はそれらを大切に味わったはず。
自分以外の誰かのために、命の時間を使い尽くせる彼女の優しさ、たく
ましさ。私は大好きだ。

主は、御自分の民を喜び、
貧しい人を、救いの輝きで装われる。
主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み、
伏していても、喜びの声をあげる。
口には、神を崇める歌があり、
手には両刃の剣を持つ。
(詩編149編4~6節)

私は言う。
「闇の中でも、主は私を見ておられる。
夜も、光が私を照らし出す」。
(詩編139編11節)

トラカイ城
冬は凍った湖を歩いて行ける
トラカイ城リトアニアにて

坂の途中から2025年6月1日中島善子
先月、ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏が亡くなった。「世界で最も
貧しい大統領」と呼ばれて、絵本にもなった。ムヒカ氏は公邸ではなく、農
場に住み、古びた愛車を自分で運転して公務に出かけた。また大統領として
の収入の9割を、貧困層に寄付していたと言う。
退任後も、農場で花や野菜を育てながら生活をしていた。訪問者が来ると、
ボトルキャップを敷いたベンチ(応接間と呼ぶ)に一緒に座って、笑顔で対話
していた。
そんなムヒカ氏の生き方は、深くて大事な問いを、私達に投げかける。
「豊かさって何?貧しさって何?」と。
この世の豊かさを山のように積んでも、ムヒカ氏みたいな笑顔は作れない
なと、訃報を告げる新聞を読んで思った。

心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
(マタイによる福音書5章3~10節)

ムヒカ氏

坂の途中から2025年5月25日中島善子
1970年大阪万博のモニュメント「太陽の塔」が、国の重要文化財に指定
されたらしい。そして今、大阪万博が開催中。
当時、高校生だった私は大阪の叔母宅に泊まって、万博を楽しもうとし
た。けれども同じことを他の親族も考えていたようで、叔母宅には、次々
と親族が押し寄せていた。
私が行くと、叔母は接待疲れで寝込んでいた。しかも手のかかる幼児も
いた。私は寝込んでしまった叔母の代わりに、幼児の世話や家事をするこ
とに。そして東京に帰る前日に、叔父が万博に連れて行ってくれた。
当時の大阪万博について覚えているのは、太陽の塔の脇にあった階段に
座ったまま、ぼんやり万博会場の混雑を眺めていたこと。そして疲れ切っ
た叔母の姿。
半世紀以上の時が過ぎて、愛することに、人はどのくらい進歩したのか
な。

人生の年月は70年ほどのものです。
健やかな人が80年を数えても
得るところは労苦と災いにすぎません。
瞬く間に時は過ぎ、私達は飛び去ります。

御怒りの力を、誰が知りえましょうか。
あなたを畏れ敬うにつれて
あなたの憤りをも知ることでしょう。

生涯の日を正しく数えるように教えてください。
知恵ある心を得ることができますように。
(詩編90編10~12節)

奇跡の教会
タ・ピーヌ教会ゴゾ島マルタ共和国にて

坂の途中から2025年5月18日中島善子
「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足で歩くものは?」。これはスフ
ィンクスが問いかけた「なぞなぞ」。答えは人間。朝は、赤ちゃんが手足
を使ってハイハイしている姿。昼は、自分の足で歩く姿。夜は、自分の足
と杖で歩く老人の姿。
整形外科で、下半身の負担を減らすため、杖の使用を勧められた。今、
スフィンクスの「なぞなぞ」を思い出しながら、「人生の夜」を歩く覚悟
を具体的に迫られている。
駅の階段などで、踏ん張ったつもりの足が私を裏切って、思わず冷汗を
かくこともある。「信仰の杖」だけじゃなくて、「転ばぬ先の杖」も必要
かな。まぁ、御心のままに。

主は羊飼い、私には何も欠けることがない。
主は私を青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。

主は、御名にふさわしく、私を正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行く時も、私は災いを恐れない。
あなたが私と共にいてくださる。

あなたの鞭、あなたの杖、それが私を力づける。
私を苦しめる者を前にしても、
あなたは私に食卓を整えてくださる。

私の頭に香油を注ぎ、私の杯を溢れさせてくださる。
命の在る限り、恵みと慈しみは私を追う。
主の家に私は帰り、生涯、そこに留まるであろう。
(詩編23編)

復活のキリスト
イスラエルカナにて

坂の途中から2025年5月11日中島善子
朝刊コラムに「軽くありたいという希望は、どの老人にも共通する一番
切実なことだと思います」と書いてあった。
仕事柄、高齢の方々を訪問し、また最後を見送って来た。高齢の方々の
家には、多くの物が残されていた。後片付けについて、以前は他人事だっ
たが、今は自分事として切実。
迷惑をかけないよう身軽でいたい。仕事上、持ち物で一番多いのが本。
若い牧師に譲るなどして減らして来たけれど、まだまだある。だから買い
たい本があっても、我慢。
それなのに、ユ〇クロの広告で値引きされたマチスの絵柄Tシャツを見
つけて衝動買い。消え物以外は買わないと固く決意したのに、値引き広告
に簡単に負けてしまった。

まことに、あなたは弱い者の砦
苦難に遭う貧しい者の砦
豪雨を逃れる避け所
暑さを避ける陰となられる。
(イザヤ書25章4節)

さて、私達には諸々の天を通過された偉大な大祭司、
神の子イエスが与えられているのですから、私達の
おおやけに言い表している信仰を、しっかり保とうでは
ありませんか。
この大祭司は私達の弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、あらゆる点において私達と
同様に、試練に遭われたのです。
(ヘブライ人への手紙4章14~15節)

アングリカン教会
アングリカン教会の礼拝後茶話会に参加マルタ島にて

坂の途中から2025年5月4日中島善子
金城学院大学で礼拝奉仕を行った。広い礼拝堂いっぱいに学生たちが座
っている。いいなぁ。何でもチャレンジ出来る若々しい可能性が、礼拝堂
に満ちている。いいなぁ。
樹木に囲まれることで、心身への癒し効果があるという「森林浴」じゃ
ないけれど、無尽蔵の可能性を秘めた学生が詰めかける礼拝堂で、共に讃
美歌を歌い、御言に聴くことで、御言を語る私自身が癒されているのを、
毎回、実感する。
そして帰りの乗り継ぎ駅のホームで、ふと目を上げたら、若々しい萌黄色もえぎいろ
の樹木がある。「癒されるなぁ」と思った時、気がついた。
「そうか、命なんだ」。
人も、動物も、植物も、それぞれ朽ちる命だけど、同時に無尽蔵の命の
可能性を宿す。自分が生きるためのたった一つの命だけど、でもその命は
自分以外の命を支えて、慰めて、癒して、励ます無尽蔵の命でもある。私
達の命は弱い。でも私達の命は、自分以外の命を導いて、立ち上がらせる
命でもある。しかも復活の主が、私達の命に寄り添っておられる。
復活の主に、感謝します。

死は勝利に飲み込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前の棘はどこにあるのか。
(コリントの信徒への手紙115章54~55節)

アングリカン教会
アングリカン教会での礼拝マルタ島にて

坂の途中から2025年4月27日中島善子
病をおしてイースターのミサを行った翌日に、ローマ教皇フランシスコ
が召された。88歳だった。南米出身の教皇は、高齢だったが、各国を精力
的に訪問。日本にも来られ、広島・長崎の被爆地では、祈りをもって核兵
器廃絶を訴えた。
大勢の信徒が集まったバチカン広場で、葬儀のために棺が運ばれて行
くのを動画で見た。生前、教皇は信徒に短いけど、深く、暖かく信仰を
語っていた。子供にも届く言葉で、愛を込めて信仰を語っていた。その
言葉一つ一つに、教皇の信仰から、ほとばしる柔らかな体温があった。
弱い人々に寄り添い続けた信仰の生涯は、キリストに倣う生涯だった。
葬儀の後、教皇はバチカン内の大聖堂ではなく、ローマにある教会内に埋
葬される。教皇がバチカンではない教会に埋葬されることは、100年以上
なかったという。
キリストの復活を祝うイースターの翌日に召された教皇。愛された教皇
だから、信徒の嘆きは大きい。でもそれ以上に「死からの復活の希望」を、
すべての人に、置き土産として残して、天に旅立たれた教皇に、心から感
謝したい。

イエスは言われた。
「私は復活であり、命である。
私を信じる者は、死んでも生きる。
生きていて私を信じる者は、誰も
決して死ぬことはない。
このことを信じるか。」
(ヨハネによる福音書11章25~26節)

復活のキリスト
復活のキリストチャルトリスキ美術館ポーランドにて

坂の途中から2025年4月20日中島善子
礼拝で十戒を唱和するが、十戒を守って救われるためではない。十戒を
守れない自分の罪を知り、悔い改めるためだ。故に十戒に続き、罪の赦し
を聞く。そして罪の赦しを聞いた者は、神に愛されている神の子供として
新しく生かされる。でも神の子供として生きるとは、具体的にどういうこ
とか。その道標となるのが、十戒。
十戒は知っているが、私達は罪を犯す。だから罪の赦しの十字架の力が、
いつも私達に寄り添い、支える。私達が何度キリストを裏切ろうが、キリ
ストの十字架の力、赦しの力、愛の力、復活の命の力が、私達と共にある。
私達は弱い。だけど罪の赦しのため、死の底から復活したキリストは強
い。復活のキリストが、常に私達と共にいて、私達を助けてくださる。
だから失敗を繰り返しても大丈夫。十戒の道標を見つめ、復活のキリスト
と共に歩んで行こう。

十戒私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、
奴隷の家から導き出した神である。
あなたには、私をおいて他に神があってはならない。
あなたは、いかなる像も造ってはならない。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
安息日を心に留め、これを聖別せよ。
あなたの父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の家を欲してはならない。
(出エジプト記20:2-17,申命記5:5-21)

復活
キリストの復活(我に触れるな)大塚美術館にて

坂の途中から2025年4月13日中島善子
11年前、自転車で日本を旅するドイツ人高校生が、教会に宿泊した。
後に彼女は献身して、今月、立教大学で行われる研修のために来日。そし
て研修前、教会に来てくれた。
1日目は、彼女と豊川でパンを買い、豊橋公園でお花見。満開の桜と美
味しいパンで、ゆったり春を楽しんだ。教会に到着して一休みすると、彼
女はズームで英書購読。
2日目は、名古屋城と熱田神宮を目指して、彼女は1人で出かけた。
スマホを上手に使いこなして愛知の旅を楽しみ、名古屋城などの写真を送
ってくれた。豊橋に来て、5年目に入るが、私はまだ名古屋城も熱田神宮
も行ったことがない。
3日目は、豊橋東田教会の礼拝に、彼女も出席。礼拝後の長老会に陪席。
牧師の卵として初体験だったかも。夕食は、彼女がドイツ料理を手作りし
てくれた。牧師の務めは尊い。だけど多くの苦難もある。話をしながら涙
目になった私を、彼女がやさしくハグしてくれた。
 4日目は、豊川稲荷を一緒に初体験。大きな樹木が印象的だった。そし
て豊橋に戻り、新幹線に乗る彼女を見送った。前向きな彼女の生き方に勇
気をもらった。そして「十字架のキリストの後に、私も真っすぐ従って行
こう」と教会に帰る路面電車の中で、改めて思った。

私の後に従いたい者は、自分を捨て、
自分の十字架を背負って、私に従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、
それを失うが、
私のため、また福音のために命を失う者は、
それを救うのである。
(マルコによる福音書8章34~35節)

名古屋城
名古屋城にて

坂の途中から2025年4月6日中島善子
大リーグ開幕前、隙間時間を埋めるために、動画を探してハマったのが、
耳掃除の動画。極小カメラで耳掃除の様子が見られる。耳穴をふさぐ「怪
物」を医師がピンセットなどで引き抜いて行く。ウルトラマンが地の底で
退治した怪獣を、地上に引き上げて行く感じ。キモイが、再生回数が数百
万回という動画もあるから、変人は私だけではなかった。
耳の中は見えないから放置する。目に見えない罪も同じ。でも耳掃除動
画みたいに、罪が目に見えたら、どうだろう。礼拝で罪が赦され、罪が取
り除かれる現実が、目に見えたらどうだろう。風呂に入ったり、化粧した
りする以上に、人は真剣に教会に駆け込んで来るだろう。
十字架のキリストが献げてくださった命によって、私達の罪が赦され、
罪が清められて、「あなたは新しくなった」と、キリストに宣言していた
だける。この喜びと快感が耳動画のように目に見えたら良いのにと、密か
に思ってしまう。

「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを
知らせよう」。
そして、中風の人に言われた。
「私はあなたに言う。起き上がり、床を担いで
家に帰りなさい」。
その人は起き上がり、すぐに床を担いで、
皆の見ている前を出て行った。
人々は皆、驚き、
「このようなことは、今まで見たことがない」と
言って。神を賛美した。
(マルコによる福音書2章10~12節)

十字架の丘
十字架の丘リトアニアにて

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