東田教会 Menu

坂の途中から2025年1月19日中島善子
30年前の1月17日の早朝、阪神淡路大震災が起きた。当時、被災地の
教会に仕えていた牧師が、後年、ポツリと口にした言葉を、今も覚えて
いる。
「いきなりテレビが真横に跳んで来た。あわてて妻と子を抱えて逃げ
た」。
それ以上、聞くことはしなかった。否、聞けなかった。
「地の基は震え動く」(イザヤ24:18)と聖書は言う。私達は大地が動く
どころか、大地が失われてしまうことさえあるという現実を忘れて生活し
ている。というより「自分で自分を支えられない現実」を、私達は忘れて
いる。
だけど落胆しなくていい。自分で自分を支えられない私達だから、キリ
ストが私達を支えてくださる。私達がどこで、何をしようと、否、私達が
何一つできなくなっても、尚も、私達を支え、私達を最善へと持ち運んで
くださるキリストがおられる。キリストがどんな時も、私達と共にいてく
ださる。これを確信して生きる。これが一番の命の備えだ。

8わたしの救いと栄えは神にかかっている。
力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
9民よ、どのような時にも神に信頼し
御前に心を注ぎ出せ。
神はわたしたちの避けどころ。
詩編 62編8~9節

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」
という言葉は真実であり、
そのまま受け入れるに値します。
テモテへの手紙一 1章15a節

最後の晩餐
ダビンチ「最後の晩餐」(修復後)大塚美術館にて

坂の途中から2025年1月12日中島善子
2025年の新しいカレンダーを、仕事部屋に飾った。版画が好きなので
「渡辺禎雄」聖画カレンダーを毎年購入している。もう1つ購入している
のは、山本容子の版画カレンダー。
昔、大きな書店で版画が販売されていて、一目で気に入り、腹をくくっ
て購入したのが、山本容子の版画。小さなサイズだけど、以来、机の前に
飾ってある。
そして数年前、山本容子の版画のカレンダーが雑誌付録になっているの
を知り、付録の版画のカレンダーが欲しくて、毎年、その雑誌を買い求め
るようになった。
あいにく雑誌の内容には興味がなく、パラパラとぺージをめくったら、
ハイ、おしまい。付録だけが目当ての雑誌購入。オマケ欲しさに、お菓子
を買いあさるガキのようだ。だけど毎年、魅力的なオマケに負けてしまう。
(;゚Д゚)

14b人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、
唆されて、
誘惑に陥るのです。
15そして、欲望は
はらんで罪を生み、
罪が熟して死を生みます。
ヤコブの手紙 1章14b~15節

41誘惑に陥らぬよう、
目を覚まして祈っていなさい。
心は燃えても、肉体は弱い。
マタイによる福音書 26章41節

最後の晩餐
ダビンチ「最後の晩餐」(修復前)大塚美術館にて

坂の途中から2025年1月5日中島善子
1年前の1月1日午後16時10分。能登半島を襲った地震。その復興も
ままならない9月、豪雨が能登半島を襲った。
度重なる自然災害を受け、住み慣れた能登半島での生活を諦めて、能
登から去った方々も少なくないと聞く。
瓦礫の撤去や寸断された道路の整備などが、様々な困難の中で進めら
れて来た。仮設住宅の整備がやっと整い始めて、被災者の方々の新しい
生活が、これから始まる。
被災地で祈る方々の動画を見た。同じ時代、同じ地球上で生きる私達
は、どこにいようが運命共同体。引き続き祈りを合わせて行く。祈りを
合わせながら、互いに愛し合いながら、助け合いながら、たった一つの
命を尊びながら、これからも共に生きて行く。

2主よ、我らを憐れんでください。
我々はあなたを待ち望みます。
朝ごとに、我らの腕となり
苦難のとき、我らの救いとなってください。
イザヤ書33章2節

15女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない。
16a見よ、わたしはあなたを
わたしの手のひらに刻みつける。
イザヤ書49章15~16a節

聖家族
ミケランジェロ「聖家族」大塚美術館にて

坂の途中から2024年12月29日中島善子
イブ礼拝、クリスマス礼拝を終えて、脱力。
25日、整形外科のリハビリを終えて「週報原稿を」と思いパソコンを開い
たが起動しない??? パソコンは買い換えてまだ3年くらいなのに??
クリスマスの山を越えて、ホッと気を抜いたらパソコンも気を抜いてボケ
てしまったのか?
今、手書きで原稿を書いている。手書き原稿から遠ざかっていたせいか、
漢字がスラスラでてこない。
パソコンに全てを委ねていたせいだ。
キリストに委ねていたはずなのに・・・。
一年の締めくくりがコレだ。
「気を抜くな!ボケ」と神さまから言われている気がする。
「命の終わりまで、しっかり気を引き締めて生きろ」と言われている気が
する。

偶像を造り、それに依り頼む者は
皆、偶像と同じようになる。
詩編115編8節

主を畏れる人よ、主に依り頼め。
主は助け、主は盾。
詩編115編11節

エジプトへの逃避
ジョット「エジプトへの逃避」大塚美術館にて

坂の途中から2024年12月22日中島善子
前任地の教会で、幼い時から日曜学校に出席して、ずっと礼拝につな
がっていたKちゃんが、大学に進学すると共に、新たな地において、新
たな仲間と共に礼拝に参加しながら、楽しく教会生活を続けていた。
大学生になったKちゃんの様子は、度々、写真付きで先方の教会の牧
師から連絡をいただいていた。そして今日、その教会の牧師から、「K
ちゃんがクリスマスに洗礼を受けます」というLINEをいただいた。
うれしい。うれしい。本当にうれしい。今度の礼拝では、初めての聖
餐にも与るんだね。良かった。本当に良かった。何よりも、若いKちゃ
んに、洗礼の決意を与えてくださった主なる神に、心から感謝します。
神が、若い魂をとらえてくださり、神の家族、キリストの兄弟姉妹と
して永遠に養い、導いてくださる幸いに、心から感謝します。洗礼によ
って、ますますKちゃんを、神の家族として顧み、神の愛の内を歩ませ
てください。私も遠くから引き続き、祈っています。

「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
ルカによる福音書 2章14節

大公の聖母
ラファエロ「大公の聖母」 大塚美術館にて

坂の途中から2024年12月15日中島善子
暗い早朝、金城学院大学の礼拝奉仕のために、出かけた。路面電車の乗り
場に行こうと、車道を渡った時、つまずいて派手に転んだ。周りに人がおら
ず、無様な姿を見られなくて良かったが、スラックスの左ひざが破けてしま
った。
電車の中では、破けた箇所をカバンで器用に隠し続けた。大学に到着後、
事務室でセロテープを借りて、スラックスの裏側から破れを貼り合わせ、無
事に礼拝奉仕を終えた。
礼拝後、学長と談話していた時、スラックスのことを打ち明けて、二人で
爆笑。だが学長も豊橋市内の道路状況を良く知っており、「新しくアリーナ
を造る財源があるなら、道路のメンテナンスが先だよ」という話も出た。
帰り道、換えのスラックスを買おうとしたが、20年以上も着たスーツだし、
色違いになるが、今あるものを組合わせて着れば良い。何よりも「キリスト
を着ている」ことを思えば、大丈夫。大丈夫どころか、上等!上等!!

26あなたがたは皆、信仰により、
キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
27洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは
皆、キリストを着ているからです。
ガラテヤの信徒への手紙3章26~27節

47「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
48身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
49a力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。」
ルカによる福音書1章47~49a節

受胎告知
ダビンチ「受胎告知」 大塚美術館にて

坂の途中から2024年12月8日中島善子
2011年3月11日の東日本大震災の時、一切の光が消えた。上下左右も分
からない恐怖の闇を経験した。でも人は1人の例外もなく「罪と死の暗闇」
を歩む者。だから光に留まりたい。この世から一切の光が消えても、決し
て失われない光に照らされて、光の中を歩んで、光の中に留まりたい。
暗闇を照らす光が現れた。神の光から来られたキリスト。キリストだけ
が、罪と死の暗黒に飲み込まれている私達を、光に輝く神の懐に導き入れ
てくださる。
そして私達が探すよりも先に、キリストが私達を見出し、神の懐に導い
てくださる。「偽物の光」に惑わされて、迷子になっている面倒な私達。
だけどキリストは私達を諦めない。どんなに厄介であろうと、キリストは
私達を諦めない。光である神の只中に私達を、すべての人を、招き導いて
くださる。

1闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

5ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
6ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない。
王国は正義と恵みの業によって
今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。
イザヤ書9章1、5~6節

受胎告知
ボッティチェッリ「受胎告知」大塚美術館にて

坂の途中から2024年12月1日中島善子
再び子供の頃の話。隣の家に同学年の男の子がいたので、一緒に遊んで
いた。幼稚園も小学校も、一緒に通っていた。小学校入学の朝、朝日がま
ぶしかったのか、変顔をしたまま一緒に記念撮影に収まっている。
しかし三年生の時、彼は校内にある別棟の教室に移った。教室には絵本、
おもちゃがたくさんあり、うらやましくて、私は休み時間になると、出か
けて行き、彼と一緒に遊んだ。そして学校が終わると、また彼と一緒に遊
んだ。
彼がいた教室が「特殊学級」と呼ばれていたことを、私はだいぶ後にな
って知った。そして彼と私は、大人の目からは違うことを知って、驚いた。
大人になって、彼の家に飾ってあった絵(多分、写真)を、絵画図鑑で見
つけて、彼を思い出した。フラアンジェリコの「受胎告知」だった。同時
に彼が家族から、心から祈られ、深く愛されていたことを、私は改めて確
信した。

7いかに美しいことか
山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
救いを告げ
あなたの神は王となられた、と
シオンに向かって呼ばわる。
8その声に、あなたの見張りは声をあげ
皆共に、喜び歌う。
イザヤ書52章7~8a節

受胎告知
フラ・アンジェリコ「受胎告知」大塚美術館にて

坂の途中から2024年11月24日中島善子
中部教区教師研修会(1泊2日)に出席。昨年、初参加したが、相部屋にな
った先生たちとのコミュニケーションは、今年も盛会だった。
1日目の予定を終えて、布団が敷かれた部屋に戻ってから、それぞれの
伝道牧会について自然と話が始まる。部屋の中に女性教職だけの安心感も
あり、ウンウンと共感しながら話を聞いたり、話したり、思いっきり怒っ
たり、大笑いしたり…。瞬く間に時間は過ぎ、1人ずつ祈ってから眠った。
翌朝、目覚めると、他の先生は朝風呂を堪能したとのこと。私は寝つき
が悪く、寝ても短時間しか眠れないのに、昨夜は布団に入って即、爆睡し
たようだ。更に起きる時、いつもは腰をかばうのに、腰の痛みもない。
昨夜の温泉が効いたのか、はたまた分厚い敷布団の寝心地が良かったのか。
やはり女性教職同士、同じ目線から見える世界を共有し、心と体に積も
っていた塵芥ちりあくたを、クリスマス前に大掃除できたのが良かったのかな。
しかも交わりのシメは、主イエス・キリストの御名による祈り。完璧だぁ。

11立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ
汚れたものに触れるな。
その中から出て、身を清めよ
主の祭具を担う者よ。
12しかし、急いで出る必要はない
逃げ去ることもない。
あなたたちの先を進むのは主であり
しんがりを守るのもイスラエルの神だから。
イザヤ書52章11~12節

ヘルシンキ
ヘルシンキ駅ホームにて

坂の途中から2024年11月17日中島善子
「30歳を超えたら子宮摘出」など限度を超えた暴言の次は、不倫騒動
など、政党代表者たちの言動を伝える報道に触れ、嫌悪と吐き気がこみ
上げ、全身が冷えて、体調がおかしい。政治家、しかも政党代表者は、
頭脳明晰で有能な方々ばかりなのだろう。有能だから、自分以外は愚か
者で、搾取対象、利用対象にしか見えないのだろう。
スマホで「ゴールデンカムイ」という漫画を読んでいる。その中で
「愛のない革命家はただの殺人者だ。真の革命家は大きな愛によって導
かれるんだよ」
というセリフがあった。
うんざりする日々の出来事に辟易へきえきしていたから、漫画にあったセリフ
を思わずスクショで保存した。
一度きりの人生を生きるため、各自に与えられている命。最後かも知
れない今日と言う日。何を目指して生きるのか。政治家の皆様。あなた
がたの日々の言動は、漫画のセリフに負けてますよ。

8ああ、エフライムよ
お前を見捨てることができようか。
イスラエルよ
お前を引き渡すことができようか。
アドマのようにお前を見捨て
ツェボイムのようにすることができようか。
わたしは激しく心を動かされ
憐れみに胸を焼かれる。
9わたしは、もはや怒りに燃えることなく
エフライムを再び滅ぼすことはしない。
わたしは神であり、人間ではない。
お前たちのうちにあって聖なる者。
怒りをもって臨みはしない。
ホセア書11章8~9節

歓楽の園
「歓楽の園」大塚美術館にて

坂の途中から2024年11月10日中島善子
大谷翔平が移籍したドジャーズは、ポストシーズンを勝ち抜き、ワール
ドシリーズを勝ち抜き、MLB覇者となった。それまで動画が映らない実
況中継に耳を傾けながら、仕事をしていた(仕事していたはず……多分)。
その後、優勝の瞬間やインタビュー、シャンパンファイトなど、歓喜の
動画を見ることができた。その中で特に驚いたのは、ニューヨークで優勝
した翌日、ロサンゼルスに戻り、市内で行われた優勝パレードだった。
ワールドシリーズ優勝を、既に見越していたかのように、ちゃんと装飾
されている特注バスに選手、家族、関係者らが乗り込むと、スタジアムを
出て、ロサンゼルス市内を巡る。そのパレードを待ち構えて、沿道に集ま
っていたファンの数の多さに驚いた。約25万人という。(゚Д゚)
コロナのこともあって、大規模な優勝パレードは36年ぶりということ。
選手たちが乗った特注バスは終始、沿道からの大歓声に包まれていた。
上からの映像では、沿道の周囲は、隙間なくファンで埋め尽くされている。
ファンは勿論だが、闘い抜いた選手たち、すっごく嬉しかっただろうなぁ。
私達が信仰の生涯を闘い抜いた後、私達の信仰を見守り、祈りながら、
ずっと応援してくれた無数の信仰の証人たちがいたことに驚いて、彼らと
一緒に私達も大歓声をあげるんだろうなぁ。楽しみだ。
♪ヾ(≧▽≦)ノ ヾ(≧▽≦)ノ♪

こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい
証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく
罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く
走り抜こうではありませんか、
ヘブライ人への手紙12章1節

ヘントの祭壇画
「ヘントの祭壇画」大塚美術館にて

坂の途中から2024年11月3日中島善子
昔、フォーククルセダーズの「帰って来たヨッパライ」を聞いて驚き、
お小遣いでレコードを買ったのを覚えている。繰り返し聞いて「天国良い
とこ、一度はおいで♪」と学校の教室で、友達と大声で歌った。
そのフォーククルセダーズのメンバーの北山修が作詞で、アルフィーの
坂崎幸之助が作曲の「七色の光の中で」と言う曲を、先日、動画で初めて
聞いた。この曲は、フォークルの仲間だった加藤和彦に献げた歌だった。
彼は自死だった。
「七色の光の中で」という曲の中で、作詞した北山修は、「本当に自由
になったのかい」というフレーズを繰り返している。北山修は精神科医で
もあるから、心の病を抱えた人の痛みは熟知している。だから「自由にな
って欲しかった」という北山修の叫びが、詩からも伝わって来る。死んで
も尚、癒されない痛みがある。だからキリストは陰府に降った。
陰府の底に沈んでも尚、自由になれず、苦しむ多くの人と向き合うため
に、キリストは陰府の底に降って、一人一人に「復活の命に至る道」を指
し示してくださっている。

17b恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、
18また生きている者である。
一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、
死と陰府の鍵を持っている。
ヨハネの黙示録1章17b~18節

25bわたしは復活であり、命である。
わたしを信じる者は、死んでも生きる。
ヨハネによる福音書11章25b節

キリストの復活
「キリストの復活」大塚美術館にて

坂の途中から2024年10月27日中島善子
牧師館の庭にキンモクセイの花が咲いている。10月31日の宗教改革記
念日近くに、咲いてくれるが、今年は早かった。そして今、朝顔も咲い
ている。(;゚Д゚)
「今頃、朝顔が咲いてたら、小学生にとって夏休みの宿題の定番でも
ある『アサガオの観察』が使えないじゃん」と、一人でつぶやく。
このつぶやきを、ある方にしたら、「今、アジサイが咲いている」と
のこと。鬱陶しい梅雨時に咲いてくれるアジサイが10月に咲いている
の?(゚Д゚;);;;
日本には「季語」と言う言葉があり、俳句などで使われて来た。秋な
ら「菊、紅葉、柿、栗」など。しかし春夏秋冬が狂ってしまった今、季
節にふさわしい言葉が見つからない。
神が「良し」とするゴールポストを、勝手に動かし続けて来た全人類
のツケを、もの言えない自然が、真っ先に支払わされている気がして、
心が痛い。

シオンは裁きをとおして贖われ
悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。
イザヤ書1章27節

神の御心に適った悲しみは、
取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、
世の悲しみは死をもたらします。
コリントの信徒への手紙二7章10節

キンモクセイ
牧師館の庭に咲いたアサガオとキンモクセイ

坂の途中から2024年10月20日中島善子
大学生の時、帰りの電車で、かなり深刻な顔をしていたのだろう。
目の前で同じように立っていた小柄な老人が突然、私の顔を覗き込む
ようにして、話しかけて来た。
「何をそんなに思い詰めてるの?」。
見知らぬ老人にそう言われた私は、不意を突かれ、完全に思考停止。
「頭が真っ白」とは、このことだろう。
他人が怪しく思うほどの様子で、あの時、何を思い詰めていたのか。
昔の自分が思い詰めていた内容を思い出せない。けれども、そんな怪し
い私に声をかけてくれた老人の姿は、今でもシッカリ覚えている。
「憑き物が落ちる」とは、こういうことかなとも思った。
(祖父が宮司だったので、こんな言い方をしてしまう)
あれから半世紀が過ぎ、色々な思い煩いは今もあるけど、物忘れが半
端なくて、「あれ?何だっけ。まぁ……いいか」と前を向いて歩き出し
てしまう。ありがたい。

6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。
7そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、
あなたがたの心と考えとを
キリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピの信徒への手紙4章6~7節

7思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを
心にかけていてくださるからです。
ペトロの手紙一5章7節

マルタ島
マルタ島にて移動はバスで

坂の途中から2024年10月13日中島善子
昨日まで、起きたら即、クーラーをつけていたのに、今朝、クーラー
をつけなかった。やっと秋が来たのかも知れない。早速、押入れから、
長袖の衣類を引っ張り出した。秋が来てくれたことに、心底、ホッとし
ている。
季節が移り変わるのは当然ではなく、「尊い恵み」と、今更だが、気
づかされる。先人が好き勝手に生きて来たツケを、後の人が背負う。だ
から私達は、先人が残したツケを、今、背負っている。ということは、
今、私達が好き勝手に生きて残すツケを、次の世代が背負って生きるこ
とになる。
「生まれて、すみません」という誰かの言葉を思い出す。卑屈になる
必要はないけど、この世のものはすべて神からの「預かり物」。これ以
上、汚さずに、今よりも良くしてから、次に手渡したい。そのためにも
「人は神ではない」ことを、肝に銘じ、神に生かされている今を、深く
味わう幸いな者とされて行きたい。

9味わい、見よ、主の恵み深さを。
いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
10主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。
主を畏れる人には何も欠けることがない。
11若獅子は獲物がなくて飢えても
主に求める人には良いものの欠けることがない。
詩編34編9~11節

3あなたがたは、主が恵み深い方だということを
味わいました。
4aこの主のもとに来なさい。
ペトロの手紙一2章3~4a節

最後の晩餐
サンタポリナーレ聖堂の「最後の晩餐」
大塚美術館にて

坂の途中から2024年10月6日中島善子
9月26日、袴田巌さんの再審で無罪判決が出た。58年前に起きた殺人事
件の犯人として逮捕され、1日10時間以上もの厳しい取り調べを受けてい
た。密室の取り調べでは、罵声を浴びるだけでなく、暴力も振るわれてい
たはず。事件発生から2年後、死刑判決が出た。救いが見えないまま、死
が目前にはりつく毎日を過ごし、次第に心も病んでしまうしかない。
9/27の朝刊に「58年間の闘い」として、今日までの経過が記されていた。
58年目の無罪判決。30歳だった袴田さんは、88歳になっていた。人生の半
分以上を死刑囚として過ごしてきた。紙面には、袴田さんが獄中から送っ
た手紙の内容が、幾つか紹介されていた。その一部(9/27朝日新聞より)。
「この死刑台から私を救済して下さいますようお願いします」
(1988年10月姉・秀子さんへの手紙)

罪人として死ぬ恐怖を、来る日も来る日も味わい尽くしていた袴田さん
は、1984年12月、東京拘置所で洗礼を受けた。このことを新聞で知り、支
援者の方々の熱い祈りを思った。神は地上の命を超えて、この祈りを実ら
せてくださる。
新約聖書には「獄中書簡」と呼ばれ、伝道者パウロが獄中から送った手
紙がある(エフェソ書、コロサイ書、フィリピ書、フィレモン書)。パウロ
は獄死したが、パウロが命懸けで残した信仰は、時代も国境も死をも超え
て、多くの人の命を今も生かし、励まし、支え続けている。

10最後に言う。主に依り頼み、
その偉大な力によって強くなりなさい。
11悪魔の策略に対抗して立つことができるように、
神の武具を身に着けなさい。
エフェソの信徒への手紙 6章10~11節

戦争
ミケランジェロ「最後の審判」大塚美術館にて

坂の途中から2024年9月29日中島善子
昨年までは優勝争いに無縁だった大谷翔平が願っていた「ヒリヒリする
9月」を今、彼は味わっている。でも私達は今、別の意味で「ヒリヒリす
る9月」を痛感している。
新年早々に、大震災に襲われた能登の被災地を、9月の末、更なる窮地
へと追いつめるような豪雨が襲った。現地からの動画を通して、濁流に流
されて行く家屋、土砂崩れ、大量の倒木が山のように高く、広く積み重な
っている様子を見た。この豪雨のため、未だ行方不明の方もおられる。
大震災からの復興もままならず、半年以上も避難所生活を強いられた
方々の生きようとする意欲を、今回の豪雨が木端微塵に粉砕してしまった。
動画の中で「怖いと言う思いもマヒする」と、つぶやいた被災者の方の
言葉が、私の胸に深く突き刺さり、ヒリヒリを通り越して、苦しくて、つ
らくて、情けなくて、泣いた。

4あなたは大地を揺るがせ、打ち砕かれた。
どうか砕かれたところを癒してください
大地は動揺しています。
5あなたは御自分の民に辛苦を思い知らせ
よろめき倒れるほど、辛苦の酒を飲ませられた。
6あなたを畏れる人に対してそれを警告とし
真理を前にして
その警告を受け入れるようにされた。
7あなたの愛する人々が助け出されるように
右の御手でお救いください。
それを我らへの答えとしてください。
詩編60編4~7節

戦争
アンリ・ルソー「戦争」大塚美術館にて

坂の途中から2024年9月22日中島善子
生協で注文したお米が欠品だった。結婚してから、ずっと生協を利用し
てきたけど、初めての事で驚いた。
13日の朝日新聞の見出しに「米不足、最悪のシナリオが」「50年続いた
減反 弱まった生産力」「高齢化で離農、農家は絶滅危惧種」
と言う文字
が並んでいた。
最初の大学(社会学部社会学科)で、教授が「すべての人が従事しても生
活が成り立つのが農業」と言っていた言葉を、半世紀が過ぎた今、思い出
している。
農業はすべての命の土台となる営み。その農業を営むためには、太陽の
恵み、水の恵み、土の恵みなど、自然の生きた命の恵みが欠かせない。
人は皆、命の恵みを食べて、命の恵みで生かされている。だから食事で
「(命を)いただきます」という。すべての命を司る神を無視したままで、
人は生きられない。

4この幕屋に住むわたしたちは重荷を負って
うめいておりますが、
それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからでは
ありません。死ぬはずのものが
命に飲み込まれてしまうために、
天から与えられる住みかを上に着たいからです。
5わたしたちを、このようになるのに
ふさわしい者としてくださったのは、
神です。
神は、その保証として“霊”を与えてくださったのです。
コリントの信徒への手紙二5章4~5節

大原美術館
大原美術館の前の風景

坂の途中から2024年9月15日中島善子
教会から休暇をいただき、1泊2日で大原美術館(岡山県)と大塚美術館
(徳島県)に行って来た。大原美術館は日本最初の私立美術館で、エル・グ
レコの受胎告知など、20世紀初頭に買い求めた貴重な作品たちが並ぶ。
一方、大塚美術館は、様々な絵画を陶板で再現している。日本でも絵画
は見られるが、壁画や祭壇画は移動がなかなか困難のため、見る機会が限
られている。だから大塚美術館で、見たかったのは壁画や聖堂画。トルコ
のカッパドキアにあるテオドール聖堂も、ぜひ見たかったものの1つ。
テオドール聖堂は凸凹した石の床の質感や、壁に描かれた聖人たちの顔
が、異教徒により手荒に削り取られた跡まで、忠実に再現されていたこと
に驚いた。
狭い聖堂で、信徒が身を寄せ合いながら、祈っていた遥か昔の礼拝の姿
を思い巡らしながら、私も先人たちの祈りに、独り静かに祈りを重ねた。

24はっきり言っておく。
わたしの言葉を聞いて、
わたしをお遣わしになった方を信じる者は、
永遠の命を得、また、裁かれることなく、
死から命へと移っている。
25はっきり言っておく。
死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。
今やその時である。
その声を聞いた者は生きる。
ヨハネによる福音書5章24~25節

聖テオドール聖堂
聖テオドール聖堂大塚美術館にて

坂の途中から2024年9月8日中島善子
各地をゆっくり迷走した台風10号が、8月末から9月初めにかけて、日本
各地を襲った。今回の台風は、2018年に大きな被害をもたらした大型台風
と同じ進路を進むだろうと、天気予報が警告していた。
昨年、線状降水帯の発生で近隣に被害が出たこともあり、礼拝の行き帰
りに事故がないよう、9月1日の礼拝は、中止とした。早速、台風に備えて
雨戸を閉めて、飛びそうなものを屋内に運び込んだ。
着任して4年目、初めての礼拝中止となった。前任地でも、1週間ほどの
休暇を、教会から年に1度もらったが、休暇中の説教者を事前に依頼して、
礼拝は通常通り行っていた。
だが今回は、完全に礼拝を休んだ。9月1日は時々、豪雨はあったものの、
被害はなかった。それは有難いことで、感謝すべきこと。それなのに、私
は鬱々としている。
もし9月1日が午前中、豪雨だったら、「礼拝中止は当然の判断だった」
と、鬱々とはしなかったのかも知れない。
神に赦されているから、神に用いられている。それなのに「自分を赦せ
ない」自分と闘っている。これを解決する場は、罪の赦しを告げてくださ
る神が臨在する礼拝しかない。

20イエスはその人たちの信仰を見て、
「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。

24「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを
知らせよう。」そして、中風の人に、
「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで
家に帰りなさい」と言われた。
ルカによる福音書5章20、24節

教会
ガリラヤ湖畔のペテロ召命教会

坂の途中から2024年9月1日中島善子
日帰りで東京に行った。都内の美術館巡りをするためだ。東京駅を降
りて即、東京ステーションギャラリーに入った。「フォロン展」。マグ
リット、たむらしげるを思い出させる作風をネットで見て、絶対に行こ
うと決めた。行って大正解。発想も色も構成も、ゾクゾクするくらい大
好き!!没頭して作品を見ていたら、3時間ほどが経過していた。
我に返ると股関節が痛い。痛いけど、次は国立近代美術館。ここでも
タップリ堪能してから、早めに東京駅に戻り、18時過ぎの新幹線に乗っ
た。でも発車すると、滝のような豪雨。そして品川駅で新幹線は緊急停
車した。
「安全確認のために停車します」とアナウンスがあった。停車は1時
間ほどだったけど、お詫びのアナウンスが何度もくりかえされた。「そ
んなに何度もお詫びしなくて良いよ」と言いたくなるほど、お詫びの言
葉がくりかえされた。
礼拝では十戒で「罪の告白」をする。そして気がついた。十戒で罪の
告白することが、定型句のくりかえしになってはいないか。そこに、本
気の罪の告白が込められているのか。整った言葉を口にするだけで、安
心してしまうのは怖い。

1初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。
言は神であった。

11言は、自分の民の所へ来たが、民は受け入れなかった。
12しかし、言は、自分を受け入れた人、
その名を信じる人々には
神の子となる資格を与えた。
ヨハネによる福音書1章1、11~12節

フォロン展
フォロン展東京ステーションギャラリーにて

坂の途中から2024年8月25日中島善子
仕事の合間、書棚にあった本を読んだ。「総員玉砕せよ!」。壮絶な
戦争体験記だった。作品は「ゲゲゲの鬼太郎」などで有名な漫画家の水
木しげる氏。本の内容は元より、水木氏の「あとがき」に鋭い衝撃を受
けた。その一部を紹介したい。

「…混成三連隊の連隊長は、この玉砕事件についてこう言った。
『あの場所をなぜ、そうまでにして守らねばならなかったのか』。
ぼくはそれを耳にした時『フハッ』と空しい溜息みたいな言葉が出る
だけだった。あの場所をそうまでにして……、
なんという空しい言葉だろう。死人(戦死者)に口はない。ぼくは戦記
物を書くとわけのわからない怒りがこみ上げて来て仕方がない。多分、
戦死者の霊が、そうさせるのではないかと思う。1991年8月水木しげる」

また末尾の解説の中で「生き地獄にも似た戦場での体験がなければ、墓
場から甦ってくる鬼太郎のようなキャラクターは生まれるわけがない。
もっともらしい価値観をあざ笑い、徹頭徹尾、自分のために生きようとす
るネズミ男も、創造し得ない。水木しげるは、何よりも不条理な玉砕を生
き延びた漫画家なのである」
と、A氏が記した言葉にも納得した。

3神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。
4わたしの咎をことごとく洗い
罪から清めてください。
詩編 51編3~4節

チクロンB
毒ガスのチクロンBアウシュビッツにて

坂の途中から2024年8月18日中島善子
東京都大田区で生まれた。四畳半二間のアパートの前には車線の間に
緑地帯がある道路(現在の環状七号線)があった。車も少ないから、一人
で道路を渡り、緑地帯で良く遊んだ。
幼稚園はあちこち寄り道をしながら通園した。当時は高層ビルもなか
ったから、幼稚園の園庭から、右に東京タワー、左には富士山が良く見
えた。幼稚園に入っても、相変わらず近くの原っぱや神社の境内で、友
達とひたすら遊んだ。
小学校四年生の終わり、東京の郊外の団地に転居したが、ワクワクす
ることばかりだった。友達の家に遊びに行けば、庭に本物のニワトリや
牛がいて、養蚕も(「おかいこさん」と言っていた)やっていた。
団地の周りは里山で、学校帰りに友達が大勢やって来て、ランドセル
を私の部屋に投げると、靴も服も体も泥だらけにして、暗くなるまで毎
日毎日、遊び抜いた。東京でも郊外は、空気が澄んでいたせいもあって
か、とにかくお腹が空いた。朝から、ご飯を四杯食べていたことを覚え
ている。たっぷり遊んで、たっぷり食べる子供時代だった。
どうか世界中の子供がたっぷり遊んで、たっぷり食べて、たっぷり愛
されて、平和に、すこやかに過ごせますように。どうか偏った平和では
なく、神の平和が実現しますように。

どうか、平和の主御自身が、
いついかなる場合にも、あなたがたに
平和をお与えくださるように。
主があなたがた一同と共におられるように。
テサロニケの信徒への手紙二3章16節

アウシュビッツ
子供たちの衣服労働力にならない子供は抹殺された
アウシュビッツにて

坂の途中から2024年8月11日中島善子
まだ小さかった子供と一緒に映画館に行った。館内には、子供の遊び
仲間も保護者と一緒に大勢来ていた。「となりのトトロ」を見るためだ。
楽しい「トトロ」の世界に、親子でグイグイ引き込まれ、超楽しかった。
「トトロ」は2本立てで、次は「火垂るの墓」だった。
「火垂るの墓」は、戦争で両親を亡くした兄と妹の物語。しばらく親
戚を頼って生活するものの、戦後の貧しい時代、兄妹は邪魔者扱いされ、
居づらくなる。そこで兄妹は洞穴を見つけて暮らし始める。真っ暗な夜、
兄がホタルをたくさん洞穴に放って、妹を喜ばせる。しかし充分な食べ
物もなく、次第に妹は弱って行き、ついに息を引き取る。兄も続いて、
死んでしまう。
映画館を出てショックのあまり、子供に何と声をかけたか私は忘れた。
だけど3日間、「火垂るの墓」の映画の場面が、くりかえし夢に出て来て、
夜中に何度も飛び起きた。
そして「火垂るの墓」で、今も目に焼きついているのは、遠くの夜景
を見ている2人の姿だ。
死んだ兄と妹が、遠くの夜景を寄り添いながら見ている。何も言葉を
交わさないまま、兄妹がじっと夜景を見ている。2人はあの夜景の中で何
を感じ、何を言いたかったのだろう。
2人が憧れる平和を、私達は築いて来れたのだろうか。

わたしは、平和をあなたがたに残し、
わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。
心を騒がせるな。おびえるな。
ヨハネによる福音書14章27節

アウシュビッツ
野焼きされる死体アウシュビッツにて

坂の途中から2024年8月4日中島善子
1964年の東京オリンピックは子供の頃だったので、特別な興味はなかった
が、東京オリンピック公式映画を学年全体で観たことを、パリオリンピック
開催中の今、思い出した。
跳躍したり、疾走したり、水を切って泳ぐ選手達の美しい姿に、小学生の
私は見とれたし、結果は分かっているのに、アベベの後から円谷選手が、
代々木の競技場に現れた時は、「円谷ガンバレ!円谷ガンバレ!」と、皆で
声援を送った。でも私の心に最も強烈なインパクトを与えたのは、閉会式の
映像だった。
開会式の整然とした入場行進とは全く雰囲気が違う。列も作らずバラバラ。
でも笑顔で肩を組んだり、肩車をしたり、手をふりながら、選手達が競技場
を歩いている。国の区別も取っ払って、互いに仲間として、実に楽しそうに
歩いてる。それを見て子供心に驚いた。「これって、ありなんだ」。
あれから半世紀以上が経った。多くの発明、発達、繁栄が地上を覆ったが、
東京オリンピックで見た「すべての垣根を取っ払った仲間の笑顔」は、まだ
実現してない。だから今、私達が成すべき務めを、出来る限り果たして、生
きたい。

わたしの戒めに耳を傾けるなら
あなたの平和は大河のように
恵みは海の波のようになる。
イザヤ書48章18節

無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。
平和な人には未来がある。
詩編37編37節

アウシュビッツ
アウシュビッツにて

坂の途中から2024年7月28日中島善子
愛知県など各地で連日、熱中症警戒アラートが出ている。牧師館の
一階でパソコンに向かい、仕事をしている。勿論、起きてから寝るまで
エアコンは稼働。エアコンの設定温度を初めて20度にしたけど、暑い。
「変だなぁ」と室内の温度計を見たら30度。えっ、完全にエアコンが負
けてるじゃん。
礼拝後の教会外周り掃除は、暑いため中止した。日没後に帽子をかぶ
り、日焼け止めを塗り、グングン伸びる雑草処理などをしている。しか
し汗をかきにくく、熱が体内にこもる体質なので、やがて息が苦しくな
る。ここは日本だよなぁ。しかもまだ7月なんだけど。
熱中症で倒れて、緊急搬送されるケースも増加していると聞いた。
友人の牧師夫婦が高熱で倒れた。暑い地域なので、熱中症かと思ったら、
2人ともコロナだった。
コロナ予防のために、マスクをつける生活は、当たり前の風景になっ
てきたが、この猛暑の中でマスクを着けるのは、拷問とも言える。
パリオリンピックが開催され、屋外競技もたくさんある。選手や観戦
者の命は大丈夫か。

「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
マタイによる福音書6章21節

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛するか、
一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。
あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
マタイによる福音書6章24節

リトアニア
常に祈りがささげられるリトアニアの教会にて

坂の途中から2024年7月21日中島善子
聖書研究祈祷会では互いにヨシュア記を読み、語り合い、祈りを合わせ
て来た。ヨシュア記が終わり、今月から時代を少し下り、イザヤ書を読み
始めた。祈祷会では聖書の内容を簡単にまとめたB5サイズのレジュメを、
毎回配布している。
そこで読み終えたヨシュア記のレジュメを保存しようと、牧師館の本棚
を探したが、あいにくB5サイズの紙ファイルの在庫がなかった。仕方ない
ので買いに行くことにした。
店でB5サイズの紙ファイルを探した。探したけど、ない!別の店も探し
た。探したけど、B5サイズの紙ファイルがない。店の棚に並ぶのはAサイズ
のものばかり。今まであったのに、え、これって、どういうこと??
(;゚Д゚)!!
これだけ探してもないということは、世間はBサイズからAサイズへと、
シフトチェンジしていたの?知らなかった。ということは、私って型落ち
人間だったの?知らなかった。B5サイズは、ちょうど良い大きさで、使い
やすかったのに。
新しい出来事に追いついていけない自分の姿に直面して、あぁ、立ちく
らみ……。

わたしに尋ねようとしない者にも
わたしは、尋ね出される者となり
わたしを求めようとしない者にも
見いだされる者となった。
わたしの名を呼ばない民にも
わたしはここにいる、ここにいると言った。
イザヤ書65章1節

エストニア
昔の扮装で働く店員さんエストニア・タリンにて

坂の途中から2024年7月14日中島善子
梅雨明け宣言はまだ聞いていないけど、叩きつける豪雨が降ったかと
思うと、翌日は、体温を上回る暑苦しさになる。この暑さで洗濯物は、
2時間ほどで乾く。それだけは有難いけど、外に出て行く勇気が持てな
い。仕事をしながら、毎日アイスを食べてばかり。今年も順調に、夏太
りの予感。
この暑さの中、全国の高校球児たちは、甲子園を目指して日々、練習
に励んでいるのだろうか。でも大丈夫か?根性で頑張れば良い時代は過
ぎた。大会は甲子園球場ではなくて、ドームのある球場で実施したら良
いのではないか。熱中症で死んで欲しくない。関係者は、かけがえのな
い命を最優先で決断し、行動して欲しい。
記録的な猛暑は世界中に広がっている。メッカの巡礼者が猛暑の中、
大勢死亡したという。彼らは信仰を最優先して、メッカまで駆けつけた
熱心な人なのだろう。でも神が与えてくださった尊い命を大切にして欲
しい。
限られた地球の上で、同じ時代を生きているすべての命が愛されて、
守られて、尊ばれますように。

20生きているのは、もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に生きておられるのです。
わたしが今、肉において生きているのは、
わたしを愛し、わたしのために身を献げられた
神の子に対する信仰によるものです。
21aわたしは、神の恵みを無にはしません。
ガラテヤの信徒への手紙2章20~21a節

聖ヴィート大聖堂
聖ヴィート大聖堂プラハにて

坂の途中から2024年7月7日中島善子
元旦に起きた能登半島地震から、半年が経過した。未だに上下水道が
復旧していない地域も多い。被災した家屋などの撤去作業がなかなか進
まないので、仮設住宅の広がりも充分ではない。
能登半島の珠洲市に原発建設計画があったことを、最近、知った。珠
洲市の一般市民が粘り強く原発建設の反対運動を続けたことによって、
原発建設が見送られたことも合わせて知った。
元旦に起きた地震で半島の海岸は数メートルも隆起した。幸いなこと
に、能登半島の志賀原発は稼働していなかった。更に幸いなことに、珠
洲市に原発は建設されなかった。
地震被害を予測していたのか。原発建設に反対された市民の方々の先
見の明に心から感謝したい。もし珠洲市に原発が建設されていたら、も
し志賀原発が稼働していたら、地震による原発被害は長野、新潟などに
も広がったはず。
自然を支配できると思い上がった人間の傲慢さを、神から糾弾、叱責
された気がする。時を逃さず、悔い改めないと、取り返しがつかなくな
る。今は、未来を創る今だ。

起こるべきことをわたしたちに示し、告げてみよ。
初めにあったことを告げてみよ。
我々はそれを心に留めよう。
あるいは、来るべきことを聞かせてみよ。
未来のことを悟るとしよう。
イザヤ書41章22節

無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。
平和な人には未来がある。
詩編37編37節

チェコ産業貿易省庁舎
プラハで原爆ドームを思い出す

坂の途中から2024年6月30日中島善子
N牧師が土曜日の夜、牧師館に泊まりに来た。翌日、豊橋市内の教会と
の講壇交換で、日曜学校と大人の礼拝の奉仕をするためだ。N牧師の宿泊
に加えて、私は土曜日に金城学院同窓会の礼拝奉仕があるため、日曜の礼
拝原稿を早く仕上げなくてはならず、頑張った。(やれば出来るじゃん)
N牧師は午前中の講壇交換を終えたら、静岡に移動して、牧師療養中の
教会で礼拝奉仕をした。
また「季刊・教会」の最新号を読んだら、神学校の同級生牧師が関わっ
ている他教会の礼拝や地域の関係施設などについて、報告がされていた。
今、神学校の入学者数より、牧師の引退・逝去数が上回り、1人の牧師が
複数の教会を兼牧することは珍しくない。
どうしたんだ?日本の教会は。どこを向いて、何を求めているのか。何
を聞いて、何を信じて、何を語っているのか。
主なる神、どうか一人一人に、すべての教会に、神の愛を、罪の赦しを、
救いの確信を深く、豊かに与えてください。

28あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。
29疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
30若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
31主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
イザヤ書40章28~31節

教会
クトナー・ホラの聖バルボラ教会
チェコにて

坂の途中から2024年6月23日中島善子
アダムが神に背いてから、人は神の愛と命とは反対方向、罪と死の深淵
に沈んだ。それでも神は人を見捨てられない。神は愛だから。だから神は、
人が沈んだ罪と死の深淵まで、手を伸ばす。その神の手は神の独り子キリ
スト
。キリストは罪人をつかみ、神に連れ戻せる唯一の方。それはなぜか。
過去、現在、未来。すべての罪人の保釈金を、キリストの命で、神が全
額、支払ってくださったから。
教会が掲げる十字架は、「あなたの罪が赦されるための保釈金は、支払
い済み」という揺るぎない領収書だ

だからキリストの十字架の赦しを信じて、キリストの中に飛び込んで、
新しく生き直さなかったら、勿体ない。
神は愛だから、神は私達を罪の中に見捨てないし、決して私達を諦めな
い。そして神は礼拝に招き、告げてくださる。「I Love You」。これが礼拝
の中身。私達がどんなに弱く貧しくても、私達は神に愛されている。その
確かな証しが、十字架だ。誰も神の愛から漏れていない。礼拝の度に私達
は神からの「I Love You!」を聞いている。

38わたしは確信しています。
死も、命も、天使も、
支配するものも、現在のものも、
未来のものも、力あるものも、
39高い所にいるものも、低い所にいるものも、
他のどんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスによって
示された神の愛から、
わたしたちを引き離すことは
できないのです。
ローマの信徒への手紙8章38~39節

十字架の道
カレル橋の十字架プラハにて

坂の途中から2024年6月16日中島善子
今週もリハビリに行ったが、リハビリ効果は怪しい。腰も股関節も、
とっくに賞味期限が切れているから、パソコンに向かう時間が長くなっ
てくると、下半身の痛みも半端ない。そして痛みが我慢できなくなると
寝そべり、スマホで動画を見るしかない。サボっているんじゃないの。
ストレッチなの。寝そべったまま、ストレッチしているのよ。
信仰の友人と先月、電話で話した。友人も私と同年代で、私よりもず
っと酷い痛みを全身に抱えている。過酷な痛みを抱えながら、日常生活
全般をこなすのは、大変だろうなぁとつくづく思う。でもその友人が言
った。
「痛いけど、つらくはない」。
全身に痛みをかかえている。でも信仰者として生きている友人は、
「痛いけど、つらくはない」と言う。
体の痛み以上に耐えがたい「生きる苦しみ、悲しみ」が、神を信じる
信仰生活を通して、徐々に癒されてきた幸いを、友人は全身全霊で味わ
いながら今を、神と生きている。

3「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
4悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。

11わたしのためにののしられ、迫害され、
身に覚えのないことであらゆる悪口を
浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
12a喜びなさい。大いに喜びなさい。
天には大きな報いがある。」
マタイによる福音書5章3~4、11~12a節

十字架の道
エルサレム十字架の道にある教会で

坂の途中から2024年6月9日中島善子
全国連合長老会日曜学校委員会編「カテキズム教案」に、委員の一人と
して関わって来た。現在は年2回、教案作成の奉仕をするだけ。とは言え、
今回で38号。子供が楽しく日曜学校に取り組めるよう、毎回、分級教案原
稿のアイディアを絞り出すのは楽ではなく、締切を過ぎることもある。
でも今回、締切の1週間前に、1か月分の原稿を仕上げて発送できた。
なぜだろう。
教案の発行などの奉仕を担当されているのは、羽咋教会。今年の元旦、
能登半島の地震で被災した教会だ。そして今月3日も震度5強の地震があ
った。
自分の教会が危うい時に、外部に関わる余裕はないはず。しかし教案発
行の奉仕教会が変更になったとは聞いてない。ならば、せめて原稿の締切
を守りたいと思った。すると今回、締切前に、すべての原稿を作成して発
送できた。と同時に、今までの自分の甘えが心底、恥ずかしかった。

6主よ思い起こしてください
あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
7わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず
慈しみ深く、御恵みのために
主よ、わたしを御心に留めてください。

12主を畏れる人は誰か。
主はその人に選ぶべき道を示されるであろう。
13その人は恵みに満たされて宿り
子孫は地を継ぐであろう。
14主を畏れる人に
主は契約の奥義を悟らせてくださる。
詩編25編6~7、12~14節

鶏鳴教会
鶏鳴教会エルサレムにて

坂の途中から2024年6月2日中島善子
先月、金沢教会で中部教区総会が行われた。新幹線を乗り継ぎ、金沢へ。
駅からバスを利用して金沢教会。ここまでの移動で外国人観光客の多さに
驚いた。治安が良く、便利で、円安。外国人にとって、日本での旅行は最
高かも知れない。
総会では、元旦に起きた能登半島地震の被災地教会から、現状報告があ
った。報告しながら、言葉をつまらせる牧師。その姿から、現地での苦し
み、うめき、嘆きが津波のように押し寄せて来て、胸が痛かった。
地震発生から半年が経過するが、先の見通しは立たない。上下水道が整
わない所も多くある。受験、進学に備えていた人たちはどうなったか。
弱さを抱えている人たちは、今後、どうすれば良いのか。
また今総会で小さな教会が1つ解散になった。中部教区の前年度決算は
34,190,940円。1人の政治家が税金も納めず、懐に入れた金額と、ほぼ同
額かと悲しくなった。
日本の教会の貧しさを知ってか、知らずか、外国人観光客の気楽な姿を
見かけるのが、豊橋への帰り道、つらかった。

18神よ、耳を傾けて聞いてください。
目を開いて、わたしたちの荒廃と、
御名をもって呼ばれる都の荒廃とを御覧ください。
わたしたちが正しいからではなく、
あなたの深い憐れみのゆえに、
伏して嘆願の祈りをささげます。
19主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。
主よ、耳を傾けて、お計らいください。
わたしの神よ、御自身のために、
救いを遅らせないでください。
あなたの都、あなたの民は、
御名をもって呼ばれているのですから。」
ダニエル書9章18~19節

Servant of the Lord
鶏鳴教会エルサレムにて

坂の途中から2024年5月26日中島善子
先日、名古屋市美術館に行ったけれど、休館だったので、リベンジで
東京まで足を延ばし「キリコ展」(東京都美術館)「ブランクーシ展」(ア
ーティゾン美術館・旧ブリジストン美術館)「マチス展」(国立新美術館)
をハシゴして来た。
国立新美術館(2007年開館)は初めてだった。国立新美術館のフォルム
が柔らかくユニークで、黒川紀章の設計だとか。乃木坂の改札口から即、
美術館に入れたのも嬉しかった。
マチスは大好きな芸術家の1人。今回は絵画だけでなく、彫刻、空間
創造などもあり、ワクワクドキドキが止まらない。年を重ねても作品の
質は落ちず、むしろ新分野を目指して、とことん探求していく。晩年、
ベッドに横たわったマチスが腕を伸ばし、長い棒の先に絵筆をつけ、製
作している写真があった。命ある限り、与えられた賜物を発揮したいマ
チスの熱情が、1枚の写真から伝わって来た。
そのマチスの姿と先月末、逝去された星野富弘さんの姿が重なった。
マチスも星野さんも神から与えられた人生を余すところなく、最後まで
熱く生き抜いて逝かれた。見事。

25b『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。
主がわたしの右におられるので、
わたしは決して動揺しない。
26だから、わたしの心は楽しみ、
舌は喜びたたえる。
体も希望のうちに生きるであろう。
27あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、
あなたの聖なる者を
朽ち果てるままにしておかれない。
28あなたは、命に至る道をわたしに示し、
御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』
使徒言行録2章25b~28節

バラ
ステンドグラスからの光が壁を照らすマチス展にて

坂の途中から2024年5月19日中島善子
神はご自分にかたどって、人を造られた(創世記1:26-27)。そして
神は愛。神の愛を体現する者として、人が造られた。だが最初の人アダ
ムは神に背を向け、神の愛に背を向けた。それ以来、人は「愛する歴史」
ではなく、「愛せない歴史」を重ねて来た。そして人は、神の愛から離
れれば離れるほど、愛することができない「人でなし」になって行った。
地上の歴史は「人でなしの歴史」かも知れない。でも神は人を諦めな
い。神は愛だから。だから神は人をあるべき姿に立ち返せるために、ご
自分の御子キリストを地上に送った。「この人を見よ」と。
キリストこそが、神にかたどられた人の姿。本来あるべき人の姿が、
キリストにこそある。
キリスト。この人を見て、この人に聞き、この人に倣い、この人に愛
されて、この人を愛して生きる時にこそ、私達にキリストが刻まれてい
く。私達に「神の形」「神の愛の意志」「神の愛で生きる力と道」が刻
まれていく。そして私達は、本来あるべき人の姿で、命を生きるように
されていく。
キリストと出会うことは、本来の自分の生き方と出会い、あるべき生
き方で生き始めることだ。

神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
創世記1章27節

造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、
日々新たにされて、真の知識に達するのです。
コロサイの信徒への手紙3章10節

キリスト像
ポルトガルにて

坂の途中から2024年5月12日中島善子
雨の朝、金城学院大学の礼拝奉仕へ。新年度、学生が多く礼拝に参加
している。多くがノンクリスチャンだろう。私もそうだった。でも真の
神と出会うチャンスが与えられていることが嬉しい。命にとって最も大
切な神との出会いは、時を経て、必ず実を結ぶことを私も実感している
から。
礼拝後、久しぶりに名古屋市美術館へ。せっかく出かけたのだから、
寄り道しないと勿体ない。以前は栄駅で降りて、かなり歩いて靴ずれが
できたから、地図では、少し近くなる矢場町駅で降りて、スマホを頼り
に歩いた。
雨が上がり、暑くなってきた。近いはずなのに以前と同じくらい歩い
て、やっと名古屋市美術館に到着。すると入口に「本日休館日」の立て
札。え、うそ!!月曜日が祝日だったため、代休の休館日だった。
( ノД`)シクシク…
帰り道、矢場町駅に戻ろうとしたが、さっきと風景が違う。あれ?あ
れ?スマホを見ながら、駅を求め、ひたすら歩く。やがて持っていた傘
が、杖代わりに。(;一_一)
ヨタヨタで教会へ。すると教会の入口で、雨の粒を宿したバラが「お
かえり」と言ってくれた。ありがとう。

1「心を騒がせるな。神を信じなさい。
そして、わたしをも信じなさい。
2わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、
あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
3行ってあなたがたのために場所を用意したら、
戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」
ヨハネによる福音書14章1~3節

バラ
バラ豊橋東田教会にて

坂の途中から2024年5月5日中島善子
動画の見出しに、痩せ細った子供の写真があった。一瞬、ビアフラの
子供かと思ったが、ガザの子供だった。
中学生か高校生の頃、ビアフラ戦時下、痩せ細って老人のような子供
の姿を新聞で見て、心底、恐怖したことを、今も肌身に記憶している。
あれから半世紀が経ったのに、大人の強欲のために、今も飢えて、老
人のような姿で目をつむるしかない子供が、大勢いる。弱った子供の姿
を見るのは、イヤだ。本当にイヤだ。痛い。痛い。針で刺されたみたい
に心が痛い。全身が痛い。痛い。痛い。だから、もうやめて。本当にや
めてくれ。
今朝、朝刊一面に「ハマス、ガザ停戦交渉へ」の見出しを見つけた。
とにかく争いはやめて。大人の勝手な屁理屈で、子供をつぶさないでく
れ。子供をつぶすことは未来をつぶすことだ。未来を歪め、未来をつぶ
す権利なんぞ誰にもない。地球上どこであれ、争いは即刻やめてくれ。

17だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で
善を行うように心がけなさい。
18できれば、せめてあなたがたは、
すべての人と平和に暮らしなさい。
19愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。
「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と
主は言われる」と書いてあります。

21悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
ローマの信徒への手紙12章17~19、21節

岩のドーム
イスラムの聖地岩のドームエルサレムにて

坂の途中から2024年4月28日中島善子
愛知東地区の婦人会総会に出席した。この日は礼拝奉仕もあるため、
日曜日と同じ礼服で、会場の岡崎教会へ急いだ。総会は10時半~12時ま
で。議事進行を踏まえて、説教原稿は短い。でも「早く終えなくちゃ」
との思いが先立ったせいか「早口でしたね」との感想を聞いた。
(;゚Д゚)あちゃ~!
総会後、能登地震被災地教会を支援するために、バザーが行われた。
手造りの品などが並んだ。私も手作りの絵ハガキ5枚1組を200円で提供
して、無事に完売した。
バザーで売れ残った品は各自が引き取るのだが、ある方が「持って帰
るのが面倒だから」と赤いセーターをくださった。「赤は好きな色だけ
ど、今まで赤い服を買ったり着たりしたりしたことは、なかったなぁ」
と思いつつ、感謝して戴いた。
赤い服を着る還暦は、とっくに過ぎたし、古希も過ぎてる。しかし限
りある残り時間。主が許してくださる限り、これまでやったことがない
こと、新しいことにチャレンジするのも良いかも知れない。

13怠け者は言う
「道に獅子が、広場に雄獅子が」と。
14扉はちょうつがいに乗って回転する。
怠け者は寝床の上で寝返りを打つ。
15怠け者は鉢に手を突っ込むが
口にその手を返すことをおっくうがる。
16怠け者は自分を賢者だと思い込む
聡明な答えのできる人七人にもまさって。
箴言26章13~16節

教会
バザーに出品したハガキの一葉

坂の途中から2024年4月21日中島善子
神が土の塵で人を造り、命の息を吹き入れることにより、人は生きる
者となったと、創世記2章7節は記している。
塵はゴミクズ。そんなものに、神はご自分の尊い命の息を吹き込み、
ご自分の命を分け与え、神と共に生きる者とした。このようにして神か
ら造られたのは万物の中で、人だけだ。それなのに人は神に背を向け、
罪と死の中に堕ちて行った。それでも神は、人を罪と死の中に放置され
ない。人が罪と死の中で朽ち果てることを、神は良しとされない。
それどころか神は、塵・ゴミクズに過ぎない人を罪と死の中から救う
ために、ご自分の御子キリストの命を差し出す。塵の輩、ゴミクズの輩
が、死ぬべき者ではなく、生きるべき者とされるため、神は御子の命、
神の命を使い尽くす
それが、十字架だ
アホらしい。どこに塵やゴミクズの命を救うため、我が子の命を捨て
る親がいるか。でも神はそれをされた。私達を罪と死から救うため、死
んでも尚、神と共に生きる者とするために、神は、御子を十字架の祭壇
で献げることを良しとされた。
それほど私達は神に愛されている。御子の命さえ惜しまないほど、私
達は神から愛されている。だから私達は生きて良い私達は1人の例外
もなく、神から愛されている

だから何があろうと、私達は生きて良い
このことを知るために、知って、神と共に生きるために、神は私達を
造られた

神は、独り子を世にお遣わしになりました。
その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
ヨハネの手紙一4章9節

教会
テンペリアウキオ教会フィンランドにて

坂の途中から2024年4月14日中島善子
4月最初の礼拝の時、教会の桜が満開だった。その後、強い雨が降った
ので、桜の花びらが、たくさん散ってしまった。そして今日、仕事を中断
して、教会の桜の周りをなんとなく歩いた。
すると足元が白い水玉模様になっている。教会の階段も、教会の前の
道路も、あたり一面が桜の花びらで、小さな白い水玉模様になっている。
なんだか可笑しくなって、心の中で笑った。
高い木の上で咲いている桜。散ってしまった桜。どちらも同じ桜。でも
私の足元を、水玉模様にしてくれている桜に、感謝した。私の上と下。
桜で暖かくサンドイッチされていることに、心から感謝した。

わたしに尋ねようとしない者にも
わたしは、尋ね出される者となり
わたしを求めようとしない者にも
見いだされる者となった。
わたしの名を呼ばない民にも
わたしはここにいる、ここにいる
と言った。
イザヤ書65章1節

「わたしは、
わたしを探さなかった者たちに見いだされ、
わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」
ローマの信徒への手紙10章20節

花屑
花屑豊橋東田教会にて

坂の途中から2024年4月7日中島善子
週の初めに、体調を崩してしまった。新年度の準備など、やるべきこと
は山ほどあるのに、何もする気にならなくて、エンジンが全くかからない。
豊橋公園に行った。教会の桜はまだ2分咲きだったけど、豊橋公園の桜
はシッカリと咲いていた。まだ春休みなのか、子供連れも多くいた。しば
し桜の下でくつろぐ。
牧師になって31年目。毎年、桜が咲いても、桜並木の下を通り過ぎるだ
けで、バタバタ仕事に走り回って来た。だから桜は、毎年、通り過ぎるだ
けの景色だった。
こうして桜の木の下に座り込み、ゆっくりお花見なんて、何十年ぶりか
な。思い出せないくらいの「久しぶり」。
その時にしか見えない、味わえない景色がある。それらを果たして私は、
五感を尽くして、味わって来ただろうか。
2024年度が始まった。神から手渡されている一瞬、一瞬をしっかり受け
止めていきたい。神から新たに手渡されていく一つ一つを、その甘さ、苦
み、優しさ、激しさを、逃げずにキリストに癒されながら、支えられなが
ら、導かれながら、とことん味わい尽くして、生きていきたい。

6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。
7そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、
あなたがたの心と考えとを
キリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピの信徒への手紙4章6~7節

桜
豊橋公園にて

2023年度のコラム 2022年度のコラム

このサイトの聖書の言葉はすべて以下から引用しています。
聖書新共同訳:
©共同訳聖書実行委員会
ExecutiveCommitteeofTheCommonBibleTranslation
©日本聖書協会
JapanBibleSociety,Tokyo1987,1988