ントを配布してくれた。初めて知る作品も多く、新鮮だった。特に記憶
に残った作家の詩集を、私は放課後、書店で買い求めた。その本は今も
手元にある。
くると、あちこち感想が書き込んである。そんな茨木のり子の詩「こど
もたち」から、一部を紹介。
「こどもたちの視るものはいつも断片
その魂が見て、肌身で感じているものを、私達が常識のものさしで勝手
に測って、侮ってはならない。

動画がある。局アナによる「〇〇天国」と言うラジオ番組の音声配信動画。
愉快な言葉で相槌を打つ。それが実に愉快で、しばし仕事を忘れて、ゲラ
ゲラ笑ってしまう。
ゲラゲラ笑うと、今まで縮こまっていた心と体が一瞬、ゆるむ気がする。
ない。次々と新たな試練がやって来るけれど、四面楚歌に思える状況で
あっても、必ず風穴が開き、危機を乗り越え、笑い合う時が来る。大丈夫。
乗り越えられる。

ニュースで知った。以前、松江市に転居された方のことを思い出して「ご
無事だろうか」と案じながら、朝刊に「震災篇」という小さなコラムを見
つけた。そしてコラムを読んだ途端、涙がこみ上げた。
悲惨な状態があちこちに散乱している。だけどその方は、入院中の家族や
自宅の動物たちを案じて、必死で瓦礫の中を走った。
私を許してください」と泣き泣き見過ごしたことを、看護師だったその方
は深い痛みと共に綴った。
るか。「どうか神様、赦してください」。恐らく私もこう言って、泣きな
がら祈るだけだろう。
御名のために私達を救い出し、

子供だった。ダッコしていないと眠らないし、授乳すれば吐くの繰り返し。
だから洗濯物は子供の物だけでなく、私の物も毎日山ほど溜まる。会社員
の夫は仕事で全く頼れない。次第に煮詰まり、このままではヤバくなる予
感。そこで大学時代の恩師に、近くの教会を紹介してもらった。
子供と初めて出席した教会で説教を聞いたら、「神様が私を知っていた!」
と驚いて、泣いた。
い」と牧師。そして1年後、親子で受洗。
リスト者にもならなかっただろうなぁ。
神は真実な方です。
試練と共に、それに耐えられるよう、

(オスカー・ワイルド作)の絵本をプロジェクターで映しながら朗読した。
良く知っている童話。それなのに朗読しながら、涙が込み上げて来て、
困った。
箔を与える。王子の銅像は薄汚れた姿になり、南に行く時期を逃したツバ
メも死ぬ。銅像は燃やされ、燃え残った王子の鉛の心臓と、ツバメの死骸
は捨てられた。
と告げた。そして天使は、王子の鉛の心臓と、ツバメの死骸を神様のもと
に運ぶ。
『火の中に投げ込まれた王子の鉛の心臓だけは溶けませんでした』と言う
のは、愛は永遠であることを原作者は言おうとしているのです」と記され
ていた。
ここに、神の愛が私達の内に示されました。
神が私達を愛して、
ここに愛があります。

などから、祈りのお葉書がたくさん届いている(掲示板に貼りました。
ご覧ください)。お葉書の中に知人の名前をいくつも見つけて、うれし
かった。
会社員。子供は中学生。仕事を終えたら、即、帰宅して家事という慌た
だしい生活をしていたが、ご夫妻が色々と配慮してくださった。心から
感謝。
幸いにも神学校の同級生は仲が良い。でも教会での祈りに、私達の小さ
な群れを招き入れてもらえたことが、うれしくて心から感謝。
の祈りに繋がっていることに、心から感謝。

また青森県六ケ所村には使用済み核燃料の再処理工場があり、燃料貯蔵
プールから放射性物質を含む水が溢れたと、新聞が伝えている。
る被害の惨さに日本中がうちのめされた。また昨年の元日、能登半島地
震が起きた。同じ中部教区被災地教会は、未だ被災前の状況に、完全復
帰とは言えない。
震の恐怖を、私達は肌身に刻み込んで来た。だけど今やその恐怖は、た
だ大地が揺れ動き、津波が襲いかかり、住宅や道路が破壊されるだけの
恐怖ではない。
ない偏見や嫌悪が蔓延する恐怖が、私達に迫る。
主イエス・キリストに、今こそ立ち帰ろう。
私の右の手は天を延べた。

警告があったのかな?でもスマホで一番使うのがLINEなので、本当に
困った。仕方ないから、取扱店に行ってスマホを新たに購入すること
にした。
ていたスマホ機能は、LINE、メール、写真、電話で多機能は必要ない。
しかし安全性だけは譲れない。知らないうちにデータを流失させてし
まって、悪利用されないよう、用心しなければならない。
簡単に解除してしまうのだろう。だったら大事なことは、どこに保存
すれば良いのか。というより、そもそも大事なことって、何だ?時間
の経過とか、居場所の変化にもかかわらず、決して変わらない最も大
事なことって、何だ?

エフェソの信徒への手紙を通し「キリストにある平和」が熱く語られた。
る民は、神から遠い汚れた民。しかし人は皆、神から遠い異邦人。ユダヤ
人だろうが、キリスト者だろうが神に背を向け、「神への背き・罪」を抱
える異邦人。どんなに頑張っても、人は神の民として生きられない。
だけじゃなくて、この世のどん底、罪のどん底、陰府のどん底までキリス
トが降り、そこに吹き溜まる民を、神の子供として引き上げてくださる。
この良き知らせ・平和の福音と1つにされることを、切に祈り、切に願う。
こうしてキリストは、双方をご自分において
キリストはおいでになり、

日は、6時の豊橋行き路面電車に乗る。
金城学院大学で下車する。それを続けてきた。
金山を過ぎてしまった。えっ?(;゚Д゚)💦
たら、豊橋方面の表示。えっ?(;゚Д゚)💦
大曽根から大学方面の電車に飛び乗った。いつもなら準急で、3つ目の駅。
なのに乗った電車は各駅停車。えっ?(;゚Д゚)💦
け上った(つもり)。すると礼拝堂の前に、心配した学長が職員の方と立っ
ておられた。
大学の皆様にご心配、ご迷惑をかけてしまい、本当に申し訳なかった。
今後、電車内の読書は控えようと、深く反省しつつ、大学からの帰路に就
いた。
言っておくが、神はこんな石ころからでも、

日々のパソコン使用は、ワードとメールくらい。なのに、パソコンの電
源コードが不調になって、パソコンに充電ができなくなった。(;゚Д゚)
「単なる平たい箱」。
登場したら、書く作業は格段に楽になった。更にパソコンの登場で、使
いやすさは格段に進歩。だから今は、手紙以外の文書作成は、ほぼパソ
コン頼み。
原稿の他に、締め切りが迫っている原稿もある。だから長老に調べても
らい、中古パソコンを買った。
イ。否、かなりヤバイと思う。
私達の父である神に、

ださった。久しぶりの再会で、教会の話などで盛り上がっていたら、瞬く
間に時間が過ぎた。
宿泊したドイツ人女性と行った「うどん店」。「ナザレ」という店名通り、
お店の方はキリスト者。
ばれて来たカレーうどんは、かなりの量。大丈夫かなと思ったが、ついつ
い食べてしまうおいしさだ。そしてうどんを食べていたら、うどんの下か
ら、ご飯が出て来た。しかも「とろろ」が乗っている。(≧▽≦)ノ
とって行く。だけど未体験な事柄は、うどんの下から出て来た「とろろご
飯」みたいに、まだまだ身近にもたくさんある。そう考えると、人生最後
まで、何が飛び出て来るか、何と出会うか、興味は尽きない。楽しみだ。
御救いを愛する人が

になっているペンションに私1人で宿泊して来た(夫は猫の世話、娘は仕
事のために同行できなかった)。あと1年でペンションを閉じると伺った
し、何よりも昨年、亡くなられた夫人のためにお祈りがしたかった。
降りて驚いた。以前はあちこち寄り道を楽しみながら、ペンションまでの
道を歩いたが、駅の建物や道路が立派になった割に、店などがガクンと
減った。
り。泊り客は私一人だけだったこともあって、夫人の平安をお祈りするこ
とができたし、ご主人とも時間を気にしないで、お話することが出来た。
そして寝る前には、大きな本棚から漫画本を何冊も部屋に持ち込んで、
ベッドの上で読みふけた。
から、「無事、帰宅しました。また伺います」とペンションのご主人に伝
えた。短かったけれど、とても良い休暇を過ごすことが出来たことに、心
から感謝。
出入りする人が多くて、

い。ただそれだけなんだけど、すごく嬉しい。10月下旬、間もなく11月。
今、本当に心から嬉しいし、有難くて、日々、神に感謝している。
度もひっくり返されて来た。良い事ばかりではない。思いがけない状況に
混乱し、泣き叫び、立ち尽くしたこともある。もうダメダと、心と体を病
んだこともある。
されている。自力で生きているのではなくて、生かされている。目には見
えない神の力で生かされている。
の意味があることを、思い巡らす今日この頃。
お書きになった手紙として公にされています。
生ける神の霊によって、
人の心の板に、書きつけられた手紙です。

丈夫だけが取り柄だったのに、微熱と咳が続く今の現実に苛立つ。そして
子供が小さかった頃、私が肺炎になったことを思い出した。
注射を打つため、毎日通院することに。
た。勿論、痛い。非常に痛かった。でも注射のお陰で、入院しないまま、
肺炎は完治。今、考えると点滴が良かったのにとも思う。まぁ、若かった
から出来たことだが、これから先は弱くなるばかり。用心せねば。
に来る前の体重に戻った。(≧◇≦)/♪
必ずこの土地に連れ帰る。
とこしえに動揺しないように計らってくださる。

飴をなめて凌いでいたけど、食欲も無くなった。用心して早めに寝たが、
翌日も体調は戻らない。病院に行くしかないかなと、体温を計ってみた。
37度。
温したら、37.1度。待合室で説明されたことは、「体温が37.5度以上な
いと、コロナの検査は出来ません」。ガビィ~ン(;゚Д゚)…。
帰宅した。食欲は無いから、とにかく薬を飲んでひたすら寝るしかない。
1日も早く体調を回復させて、次週の説教準備をしなければ……。
けど、私の寝相が悪いから、危険回避で布団の中には入らない。でも体
調が戻るまでは安全と判断したのか、熱が下がるまで布団に潜り込み、
一緒に寝てくれた。
中に入って来なくなった。これって、身の安全を守るための野生の本能?
たじろぐな、
勢いを与えて、あなたを助け、

多く、前夜式、葬儀を行って来たが、その度にキリストの救いの恵みに新
しく出逢う。その意味で葬儀は、召された方から残された者への「最後の
証しの場」でもある。
キリストのために何をして来たのか。キリストが愛しておられる人々を、
私は本気で愛して来たのか」。
毎に、私達は弱く、低く、貧しくされて行く。だが反対に私達の弱さ、低
さ、貧しさを覆い尽くすように、キリストの救いの恵みが静かに、豊かに、
私達の全身全霊に広がって行く。このことを葬儀の度に気づかされる。
信頼しながら、人生を歩み通したい。罪人を惜しみなく愛してくださる神
に「アーメン(その通り)」と、全身全霊で応答しながら、キリストと共に、
最後まで人生を歩み通したい。

だった牧師からLINEが入った。「体調が悪くなり、病院で検査をしたら
コロナだった。大丈夫?」とのこと。
神学生時代から仲が良くて、卒業しても10年毎に開催するクラス会には、
全国各地から参集する。
し、運良く分団協議も一緒だった。だから心配になって、急いで私にも
連絡をしてくれたらしい。幸い、私は平熱だし、体調にも変化はない。
て読み過ごしていた。情報として認知していても「自分事」としては認
知できない透明で頑なな壁が、自分の中にそびえていることに、同級生
のLINEで気づかされた。
こうしてキリストは、双方をご自分において
1人の新しい人に造り上げて、平和を実現し、

ら、早めに新幹線ホームに駆けつけたら、予定の「こだま」より1つ早
い新幹線が来たので、乗車。
思ったが、新幹線改札を出てビックリ。連休最終のせいか駅構内は大混雑。
こんな新大阪は初めて。
抱えて、駅構内に溢れていたのだ。炎天下、時間と大金と労力をかけて
万博に行く人たちが、こんなに大勢いる現実を目の当たりにして、正直、
驚いた。
イレも、飲食店も、売店も大混雑だから、持参したパンをかじり、麦茶
を飲んで、私の昼食休憩は終了。
するため、大勢の人たちが教会周辺を埋め尽くす様子が写っていた。
イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
あなたが贖ってくださったこの魂は
わたしの舌は絶えることなく

3ヶ月以上ぶりだ。お米が食べられる有難さを感謝しつつ、深く噛みしめ
て味わった。
猛暑が続いているし、カメムシ被害もあってか、お米の出来が良くないの
かも知れない。
んな産業も成立しない。多くの食品が工場から出荷される。でも食べ物は、
すべて自然界からの命の恵み。自然界から命の恵みを受けて、私達の命は
生かされている。
を、改めて思う今日この頃。
私の肉を食べ、私の血を飲む者は、

に色々な物を捨てて来た。今、持っている物の中で、昔からある物は何
かなと、部屋を見回した。
タンスらしい。それを子供の時から使って来た。次に古い物は、小学生
の時、親に買ってもらった勉強机。
半世紀以上前の物だから、あちこち傷はあるが、高校生の時、整理タン
スと勉強机を赤ペンキで塗ったから、まだまだ現役で使える。
こと。もう既に体のあちこちがガタガタだけど、ペンキの塗り直しもで
きないし、さて、どうしたものか。
だからキリストの力が私の内に宿るように、
それ故、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、
なぜなら、私は弱い時にこそ強いからです。

向けて「バキューン!」と言った。だから私は「ウッ」と言って、テーブ
ルに伏せた。すると夫人は、満足そうな笑みを浮かべた。突然のことにビ
ックリした親族が、大慌てで夫人をたしなめると、平身低頭で私に謝罪さ
れた。とっても前向きで、とっても朗らかな夫人だった。
れいだ」と、心の中でつぶやいたと言う。勿論、その雲の下で起きた耐え
がたい惨劇も、夫人は体験した。
尚、夫人の笑顔は最後まで本当に明るくて、本当に美しかった。
に私も連なりたいと、今も祈り、願っている。
娘エルサレムよ、歓呼の声を上げよ。
私はエフライムから戦車を、
エルサレムから軍馬を絶つ。

は骨に異常がなく一安心。湿布を貼り、痛みが和らぐのを待っているとこ
ろ。
出した。当時、鉄腕アトムや鉄人28号が大人気だったこともあって、同級
生の補助具がカッコ良く見えた。実際、授業も、休み時間のドッチボール
も一緒にやったし、子供同士で何の違和感もなかった。
することへの配慮が、少しずつ広がっている。十人十色。人は皆、それぞ
れ違う。だから一人一人の弱さや違いを切り捨てるのではなくて、それら
を互いに認め合い、受け入れる生活が、社会全体にますます広がるといい
なぁ。

を動画で見た。特に心に残ったのが、広島知事の挨拶と長崎での石破首相
の挨拶だった。
河なし」と言い、「核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありま
せん。…実現しなければ死も意味しうる現実的・具体的な目標です」と語
った。
この浦上をして、世界最後の原子野たらしめたまえ」と言う言葉を引用し
て「長崎と広島で起きた惨禍を2度と繰り返してはなりません」と語った。
前に、無力感に陥る。でもそんな無力感を押しのけて、昨年、日本被団協
がノーベル平和賞を受賞した。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを、神に打ち明けなさい。
あらゆる人知を超える神の平和が

ついに終了したことを長老会に伝えた。そして新しいエアコンが入るこ
とになった。
私は2階から布団を応接間に持ち込み、応接間のソファの上に布団を細く
畳んで敷いて、その上で寝ることにした。
ソファで寝た初日、寝返りを打ち、床に落ちて目が覚めた。痛かった。
日から寝ることにした。
済む。
老いた体で新たに学んでいる。
扉はちょうつがいに乗って回転する。
怠け者は、寝床の上で寝返りを打つ。

冷感湿布を貼って説教する。それなのに説教中、暑さで頭がボンヤリし
てくる。
「黒子に徹して御言を語るため」と教えられた。以来、それを肝に銘じ、
黒ガウンを着用して説教して来た。
教していて苦しくなる。これは危険だと判断し、先週、ついに黒ガウン
を脱いで説教してみた。すると暑さを気にせず説教できたし、礼拝後も
頭痛や吐き気がない。またクーラーの涼しさも体感できた。(゚Д゚;)!!
を着なければ、黒子に徹して御言を語れない」と、自分勝手に思い込み、
自分を呪縛していた。
し仕える神は、常に私達に先立って、日々私達を更新させながら、救い
に向かって前進させてくださる。何があろうと、この神に大胆に信頼し
ながら歩んで行く。
それは、アブラハムに与えられた祝福が、
キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、

豪雨の後、セミの声を聞いた。
けど、豪雨のお陰で一時的に、熱気が鎮まった。すると「待ってました」
とばかりにセミの声。うるさいはずのセミの声が、何だか「喜びの歌」
に聞こえた。
い日差しで、茶色く焼け焦げてしまった。
る。言葉を持たない小さな命、沈黙している命が、私達に向かって命懸
けの警告をしている。
私は神、私はお前の神。
そして天を仰いで深く息をつき、その人に向かって

寝床と食事を用意する下僕(私達)の前では、だらしなく寝転がっている。
食事の支度やトイレの片づけ、また目ヤニや鼻クソをきれいに拭き取るの
も、下僕の務め。にもかかわらず、何か気に食わないことがあれば、鋭い
爪で下僕を遠慮なく攻撃してくる。(ToT)
く4本足を隠してしまう。(ToT)
なく主張し、行動する。だから「小さな脳みそしかないのに」と、下僕も
時々イラつく。
の気持ちを主張できる猫の自由さに、正直言って憧れている。「私は貝に
なりたい」と言う映画があったけど、「私は時々、猫になりたい」。
主が私を遣わされたのは、
主の恵みの年を告げるためである。

て、名古屋にある教会に出かけた。地下鉄駅を降りて地上に出て、グーグ
ルマップと目に映る景色を照らし合わせても、現在位置がつかめない。
傍にいた方に尋ねたら、親切に教えてくださった。
使っていても、歩道の照り返し熱が半端ない。ペットボトルの水は、歩き
ながら飲み干した。目指す教会の所まで、グーグルマップに導かれて来た
けど、教会がない。あれれ??教会らしい建物も、十字架も見えない。
み干した。これ以上、歩き回るのは危険なので、連絡したら、牧師が自転
車で駆けつけ、無事教会へ。
し全身が熱波に包まれる昨今、地図の読めない年寄りの外出は「命取りに
なる」と実感した1日だった。
玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、

に、ずっとついて来た。でも私が会堂に入ると、会堂の玄関前に座り、私
が出て来るまで静かに待っていた。決して会堂に入ろうとはしなかった。
そのため我が家の猫は、牧師館から出て来て、会堂に入る渡り廊下を、匂
いを確認しながら、うろうろ歩き回ったりする。けれども、決して会堂に
入ろうとはしない。豊橋に来て5年目だが、このことは今も変わらない。
るのかも知れない。果たして人間様は?
自分の体を、神に喜ばれる

ボールを与えた。最初、音声だけの動画中継で分からなかったが、試合後
に見た動画映像は衝撃的だった。
選手生命に関わる危険球。即、ドジャースのベンチから同僚選手たちが飛
び出そうとしたが、大谷選手は痛みをこらえて下を向いたまま、同僚選手
に手を伸ばして「出て来るな」のサインを送った。(;゚Д゚)
ドレスのベンチに近づいた。文句を言うのかと思ったら、パドレスの選手
に笑顔で話かけていた。(;゚Д゚)
倍返し」が当然なご時世。そんな時だからこそ、とっさのアクシデントか
ら自然に出た、ひとりの野球選手の「平和と和解へのしぐさ」が、深く心
と目に焼きついた。
こうしてキリストは、双方をご自分において
十字架を通して、
十字架によって

て、昨年と今年の「男女平等ランキング」が記載されていた。それによる
と「男女平等ランキング」の1位は、昨年も今年もアイスランド。イギリ
スは昨年14位だったが、今年は追い上げて4位。
一歩前進。さて日本はどのくらいかと紙面を目で追った。日本は昨年も今
年も、不動の118位。
昨年106位だったが、少し前進して今年は103位。最下位は昨年145位、今
年148位のパキスタンだった。
には、見るべき観光地が各地にある。でも日本が韓国や中国より「男女平
等ランキング」が低いことに唖然。しかも日本は下から約30位。下から数
えた方が早い。
学校、職場、政治、日本全体に今も蔓延る。教会も例外ではないはず。
それは、誰一人、神の前で
神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、
「誇る者は主を誇れ」と

柄米も湧いて来て、店頭に並び始めたらしい。だけど以前の価格と比べる
と、まだまだ米の値段は高い。
文が出来ない状態。従って食卓のメニューは、もっぱら麺類が中心。日本
そば、うどん、スパゲッティー、焼きそば、インスタントラーメン、番外
でお好み焼き。
け暮れていた学生時代は、ご飯のお替わりが「朝昼3杯、夜5杯」だった。
いつも腹ペコで、身近にあるものを、手あたり次第に食べていた。
が優先的に「お米支援」をしてくれないかなぁ。子供たちは宝。そうだよ
ね?
自分を低くして、この子供のようになる人が、
私の名のために、

勿論、スキーの腕前も1級で、万能な彼女。私は仕事のついでに、彼女が
経営していた店に度々、立ち寄った。そんな彼女が病に倒れ、最後は自宅
で過ごすことに。
梅の実を割り、種を出していた。梅干しとか、梅酒を作るための準備だっ
た。私は驚いて、彼女の代わりに梅を割って、種を取り除いた。
ることは出来なかったけど、ご家族はそれらを大切に味わったはず。
ましさ。私は大好きだ。
主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み、
口には、神を崇める歌があり、

貧しい大統領」と呼ばれて、絵本にもなった。ムヒカ氏は公邸ではなく、農
場に住み、古びた愛車を自分で運転して公務に出かけた。また大統領として
の収入の9割を、貧困層に寄付していたと言う。
ボトルキャップを敷いたベンチ(応接間と呼ぶ)に一緒に座って、笑顔で対話
していた。
「豊かさって何?貧しさって何?」と。
なと、訃報を告げる新聞を読んで思った。
悲しむ人々は、幸いである、
柔和な人々は、幸いである、
義に飢え渇く人々は、幸いである、
憐れみ深い人々は、幸いである、
心の清い人々は、幸いである、
平和を実現する人々は、幸いである、
義のために迫害される人々は、幸いである、

されたらしい。そして今、大阪万博が開催中。
た。けれども同じことを他の親族も考えていたようで、叔母宅には、次々
と親族が押し寄せていた。
いた。私は寝込んでしまった叔母の代わりに、幼児の世話や家事をするこ
とに。そして東京に帰る前日に、叔父が万博に連れて行ってくれた。
座ったまま、ぼんやり万博会場の混雑を眺めていたこと。そして疲れ切っ
た叔母の姿。
な。
健やかな人が80年を数えても
得るところは労苦と災いにすぎません。
瞬く間に時は過ぎ、私達は飛び去ります。
あなたを畏れ敬うにつれて
あなたの憤りをも知ることでしょう。
知恵ある心を得ることができますように。

ィンクスが問いかけた「なぞなぞ」。答えは人間。朝は、赤ちゃんが手足
を使ってハイハイしている姿。昼は、自分の足で歩く姿。夜は、自分の足
と杖で歩く老人の姿。
スフィンクスの「なぞなぞ」を思い出しながら、「人生の夜」を歩く覚悟
を具体的に迫られている。
かくこともある。「信仰の杖」だけじゃなくて、「転ばぬ先の杖」も必要
かな。まぁ、御心のままに。
主は私を青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
死の陰の谷を行く時も、私は災いを恐れない。
あなたが私と共にいてくださる。
私を苦しめる者を前にしても、
あなたは私に食卓を整えてくださる。
命の在る限り、恵みと慈しみは私を追う。
主の家に私は帰り、生涯、そこに留まるであろう。

切実なことだと思います」と書いてあった。
家には、多くの物が残されていた。後片付けについて、以前は他人事だっ
たが、今は自分事として切実。
若い牧師に譲るなどして減らして来たけれど、まだまだある。だから買い
たい本があっても、我慢。
つけて衝動買い。消え物以外は買わないと固く決意したのに、値引き広告
に簡単に負けてしまった。
苦難に遭う貧しい者の砦
豪雨を逃れる避け所
暑さを避ける陰となられる。
神の子イエスが与えられているのですから、私達の
公に言い表している信仰を、しっかり保とうでは
ありませんか。
この大祭司は私達の弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、あらゆる点において私達と
同様に、試練に遭われたのです。

アングリカン教会の礼拝後
っている。いいなぁ。何でもチャレンジ出来る若々しい可能性が、礼拝堂
に満ちている。いいなぁ。
ないけれど、無尽蔵の可能性を秘めた学生が詰めかける礼拝堂で、共に讃
美歌を歌い、御言に聴くことで、御言を語る私自身が癒されているのを、
毎回、実感する。
の樹木がある。「癒されるなぁ」と思った時、気がついた。
可能性を宿す。自分が生きるためのたった一つの命だけど、でもその命は
自分以外の命を支えて、慰めて、癒して、励ます無尽蔵の命でもある。私
達の命は弱い。でも私達の命は、自分以外の命を導いて、立ち上がらせる
命でもある。しかも復活の主が、私達の命に寄り添っておられる。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前の棘はどこにあるのか。

が召された。88歳だった。南米出身の教皇は、高齢だったが、各国を精力
的に訪問。日本にも来られ、広島・長崎の被爆地では、祈りをもって核兵
器廃絶を訴えた。
くのを動画で見た。生前、教皇は信徒に短いけど、深く、暖かく信仰を
語っていた。子供にも届く言葉で、愛を込めて信仰を語っていた。その
言葉一つ一つに、教皇の信仰から、ほとばしる柔らかな体温があった。
葬儀の後、教皇はバチカン内の大聖堂ではなく、ローマにある教会内に埋
葬される。教皇がバチカンではない教会に埋葬されることは、100年以上
なかったという。
だから、信徒の嘆きは大きい。でもそれ以上に「死からの復活の希望」を、
すべての人に、置き土産として残して、天に旅立たれた教皇に、心から感
謝したい。
「私は復活であり、命である。

復活のキリスト
守れない自分の罪を知り、悔い改めるためだ。故に十戒に続き、罪の赦し
を聞く。そして罪の赦しを聞いた者は、神に愛されている神の子供として
新しく生かされる。でも神の子供として生きるとは、具体的にどういうこ
とか。その道標となるのが、十戒。
いつも私達に寄り添い、支える。私達が何度キリストを裏切ろうが、キリ
ストの十字架の力、赦しの力、愛の力、復活の命の力が、私達と共にある。
い。復活のキリストが、常に私達と共にいて、私達を助けてくださる。
だから失敗を繰り返しても大丈夫。十戒の道標を見つめ、復活のキリスト
と共に歩んで行こう。
あなたには、私をおいて他に神があってはならない。
あなたは、いかなる像も造ってはならない。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
安息日を心に留め、これを聖別せよ。
あなたの父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の家を欲してはならない。

後に彼女は献身して、今月、立教大学で行われる研修のために来日。そし
て研修前、教会に来てくれた。
味しいパンで、ゆったり春を楽しんだ。教会に到着して一休みすると、彼
女はズームで英書購読。
スマホを上手に使いこなして愛知の旅を楽しみ、名古屋城などの写真を送
ってくれた。豊橋に来て、5年目に入るが、私はまだ名古屋城も熱田神宮
も行ったことがない。
牧師の卵として初体験だったかも。夕食は、彼女がドイツ料理を手作りし
てくれた。牧師の務めは尊い。だけど多くの苦難もある。話をしながら涙
目になった私を、彼女がやさしくハグしてくれた。
4日目は、豊川稲荷を一緒に初体験。大きな樹木が印象的だった。そし
て豊橋に戻り、新幹線に乗る彼女を見送った。前向きな彼女の生き方に勇
気をもらった。そして「十字架のキリストの後に、私も真っすぐ従って行
こう」と教会に帰る路面電車の中で、改めて思った。
自分の十字架を背負って、私に従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、
それを失うが、
私のため、また福音のために命を失う者は、
それを救うのである。

耳掃除の動画。極小カメラで耳掃除の様子が見られる。耳穴をふさぐ「怪
物」を医師がピンセットなどで引き抜いて行く。ウルトラマンが地の底で
退治した怪獣を、地上に引き上げて行く感じ。キモイが、再生回数が数百
万回という動画もあるから、変人は私だけではなかった。
画みたいに、罪が目に見えたら、どうだろう。礼拝で罪が赦され、罪が取
り除かれる現実が、目に見えたらどうだろう。風呂に入ったり、化粧した
りする以上に、人は真剣に教会に駆け込んで来るだろう。
罪が清められて、「あなたは新しくなった」と、キリストに宣言していた
だける。この喜びと快感が耳動画のように目に見えたら良いのにと、密か
に思ってしまう。
「私はあなたに言う。起き上がり、床を担いで
「このようなことは、今まで見たことがない」と

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