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坂の途中から2024年10月6日中島善子
9月26日、袴田巌さんの再審で無罪判決が出た。58年前に起きた殺人事
件の犯人として逮捕され、1日10時間以上もの厳しい取り調べを受けてい
た。密室の取り調べでは、罵声を浴びるだけでなく、暴力も振るわれてい
たはず。事件発生から2年後、死刑判決が出た。救いが見えないまま、死
が目前にはりつく毎日を過ごし、次第に心も病んでしまうしかない。
9/27の朝刊に「58年間の闘い」として、今日までの経過が記されていた。
58年目の無罪判決。30歳だった袴田さんは、88歳になっていた。人生の半
分以上を死刑囚として過ごしてきた。紙面には、袴田さんが獄中から送っ
た手紙の内容が、幾つか紹介されていた。その一部(9/27朝日新聞より)。
「この死刑台から私を救済して下さいますようお願いします」
(1988年10月姉・秀子さんへの手紙)

罪人として死ぬ恐怖を、来る日も来る日も味わい尽くしていた袴田さん
は、1984年12月、東京拘置所で洗礼を受けた。このことを新聞で知り、支
援者の方々の熱い祈りを思った。神は地上の命を超えて、この祈りを実ら
せてくださる。
新約聖書には「獄中書簡」と呼ばれ、伝道者パウロが獄中から送った手
紙がある(エフェソ書、コロサイ書、フィリピ書、フィレモン書)。パウロ
は獄死したが、パウロが命懸けで残した信仰は、時代も国境も死をも超え
て、多くの人の命を今も生かし、励まし、支え続けている。

10最後に言う。主に依り頼み、
その偉大な力によって強くなりなさい。
11悪魔の策略に対抗して立つことができるように、
神の武具を身に着けなさい。
エフェソの信徒への手紙 6章10~11節

戦争
ミケランジェロ「最後の審判」大塚美術館にて

坂の途中から2024年9月29日中島善子
昨年までは優勝争いに無縁だった大谷翔平が願っていた「ヒリヒリする
9月」を今、彼は味わっている。でも私達は今、別の意味で「ヒリヒリす
る9月」を痛感している。
新年早々に、大震災に襲われた能登の被災地を、9月の末、更なる窮地
へと追いつめるような豪雨が襲った。現地からの動画を通して、濁流に流
されて行く家屋、土砂崩れ、大量の倒木が山のように高く、広く積み重な
っている様子を見た。この豪雨のため、未だ行方不明の方もおられる。
大震災からの復興もままならず、半年以上も避難所生活を強いられた
方々の生きようとする意欲を、今回の豪雨が木端微塵に粉砕してしまった。
動画の中で「怖いと言う思いもマヒする」と、つぶやいた被災者の方の
言葉が、私の胸に深く突き刺さり、ヒリヒリを通り越して、苦しくて、つ
らくて、情けなくて、泣いた。

4あなたは大地を揺るがせ、打ち砕かれた。
どうか砕かれたところを癒してください
大地は動揺しています。
5あなたは御自分の民に辛苦を思い知らせ
よろめき倒れるほど、辛苦の酒を飲ませられた。
6あなたを畏れる人に対してそれを警告とし
真理を前にして
その警告を受け入れるようにされた。
7あなたの愛する人々が助け出されるように
右の御手でお救いください。
それを我らへの答えとしてください。
詩編60編4~7節

戦争
アンリ・ルソー「戦争」大塚美術館にて

坂の途中から2024年9月22日中島善子
生協で注文したお米が欠品だった。結婚してから、ずっと生協を利用し
てきたけど、初めての事で驚いた。
13日の朝日新聞の見出しに「米不足、最悪のシナリオが」「50年続いた
減反 弱まった生産力」「高齢化で離農、農家は絶滅危惧種」
と言う文字
が並んでいた。
最初の大学(社会学部社会学科)で、教授が「すべての人が従事しても生
活が成り立つのが農業」と言っていた言葉を、半世紀が過ぎた今、思い出
している。
農業はすべての命の土台となる営み。その農業を営むためには、太陽の
恵み、水の恵み、土の恵みなど、自然の生きた命の恵みが欠かせない。
人は皆、命の恵みを食べて、命の恵みで生かされている。だから食事で
「(命を)いただきます」という。すべての命を司る神を無視したままで、
人は生きられない。

4この幕屋に住むわたしたちは重荷を負って
うめいておりますが、
それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからでは
ありません。死ぬはずのものが
命に飲み込まれてしまうために、
天から与えられる住みかを上に着たいからです。
5わたしたちを、このようになるのに
ふさわしい者としてくださったのは、
神です。
神は、その保証として“霊”を与えてくださったのです。
コリントの信徒への手紙二5章4~5節

大原美術館
大原美術館の前の風景

坂の途中から2024年9月15日中島善子
教会から休暇をいただき、1泊2日で大原美術館(岡山県)と大塚美術館
(徳島県)に行って来た。大原美術館は日本最初の私立美術館で、エル・グ
レコの受胎告知など、20世紀初頭に買い求めた貴重な作品たちが並ぶ。
一方、大塚美術館は、様々な絵画を陶板で再現している。日本でも絵画
は見られるが、壁画や祭壇画は移動がなかなか困難のため、見る機会が限
られている。だから大塚美術館で、見たかったのは壁画や聖堂画。トルコ
のカッパドキアにあるテオドール聖堂も、ぜひ見たかったものの1つ。
テオドール聖堂は凸凹した石の床の質感や、壁に描かれた聖人たちの顔
が、異教徒により手荒に削り取られた跡まで、忠実に再現されていたこと
に驚いた。
狭い聖堂で、信徒が身を寄せ合いながら、祈っていた遥か昔の礼拝の姿
を思い巡らしながら、私も先人たちの祈りに、独り静かに祈りを重ねた。

24はっきり言っておく。
わたしの言葉を聞いて、
わたしをお遣わしになった方を信じる者は、
永遠の命を得、また、裁かれることなく、
死から命へと移っている。
25はっきり言っておく。
死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。
今やその時である。
その声を聞いた者は生きる。
ヨハネによる福音書5章24~25節

聖テオドール聖堂
聖テオドール聖堂大塚美術館にて

坂の途中から2024年9月8日中島善子
各地をゆっくり迷走した台風10号が、8月末から9月初めにかけて、日本
各地を襲った。今回の台風は、2018年に大きな被害をもたらした大型台風
と同じ進路を進むだろうと、天気予報が警告していた。
昨年、線状降水帯の発生で近隣に被害が出たこともあり、礼拝の行き帰
りに事故がないよう、9月1日の礼拝は、中止とした。早速、台風に備えて
雨戸を閉めて、飛びそうなものを屋内に運び込んだ。
着任して4年目、初めての礼拝中止となった。前任地でも、1週間ほどの
休暇を、教会から年に1度もらったが、休暇中の説教者を事前に依頼して、
礼拝は通常通り行っていた。
だが今回は、完全に礼拝を休んだ。9月1日は時々、豪雨はあったものの、
被害はなかった。それは有難いことで、感謝すべきこと。それなのに、私
は鬱々としている。
もし9月1日が午前中、豪雨だったら、「礼拝中止は当然の判断だった」
と、鬱々とはしなかったのかも知れない。
神に赦されているから、神に用いられている。それなのに「自分を赦せ
ない」自分と闘っている。これを解決する場は、罪の赦しを告げてくださ
る神が臨在する礼拝しかない。

20イエスはその人たちの信仰を見て、
「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。

24「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを
知らせよう。」そして、中風の人に、
「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで
家に帰りなさい」と言われた。
ルカによる福音書5章20、24節

教会
ガリラヤ湖畔のペテロ召命教会

坂の途中から2024年9月1日中島善子
日帰りで東京に行った。都内の美術館巡りをするためだ。東京駅を降
りて即、東京ステーションギャラリーに入った。「フォロン展」。マグ
リット、たむらしげるを思い出させる作風をネットで見て、絶対に行こ
うと決めた。行って大正解。発想も色も構成も、ゾクゾクするくらい大
好き!!没頭して作品を見ていたら、3時間ほどが経過していた。
我に返ると股関節が痛い。痛いけど、次は国立近代美術館。ここでも
タップリ堪能してから、早めに東京駅に戻り、18時過ぎの新幹線に乗っ
た。でも発車すると、滝のような豪雨。そして品川駅で新幹線は緊急停
車した。
「安全確認のために停車します」とアナウンスがあった。停車は1時
間ほどだったけど、お詫びのアナウンスが何度もくりかえされた。「そ
んなに何度もお詫びしなくて良いよ」と言いたくなるほど、お詫びの言
葉がくりかえされた。
礼拝では十戒で「罪の告白」をする。そして気がついた。十戒で罪の
告白することが、定型句のくりかえしになってはいないか。そこに、本
気の罪の告白が込められているのか。整った言葉を口にするだけで、安
心してしまうのは怖い。

1初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。
言は神であった。

11言は、自分の民の所へ来たが、民は受け入れなかった。
12しかし、言は、自分を受け入れた人、
その名を信じる人々には
神の子となる資格を与えた。
ヨハネによる福音書1章1、11~12節

フォロン展
フォロン展東京ステーションギャラリーにて

坂の途中から2024年8月25日中島善子
仕事の合間、書棚にあった本を読んだ。「総員玉砕せよ!」。壮絶な
戦争体験記だった。作品は「ゲゲゲの鬼太郎」などで有名な漫画家の水
木しげる氏。本の内容は元より、水木氏の「あとがき」に鋭い衝撃を受
けた。その一部を紹介したい。

「…混成三連隊の連隊長は、この玉砕事件についてこう言った。
『あの場所をなぜ、そうまでにして守らねばならなかったのか』。
ぼくはそれを耳にした時『フハッ』と空しい溜息みたいな言葉が出る
だけだった。あの場所をそうまでにして……、
なんという空しい言葉だろう。死人(戦死者)に口はない。ぼくは戦記
物を書くとわけのわからない怒りがこみ上げて来て仕方がない。多分、
戦死者の霊が、そうさせるのではないかと思う。1991年8月水木しげる」

また末尾の解説の中で「生き地獄にも似た戦場での体験がなければ、墓
場から甦ってくる鬼太郎のようなキャラクターは生まれるわけがない。
もっともらしい価値観をあざ笑い、徹頭徹尾、自分のために生きようとす
るネズミ男も、創造し得ない。水木しげるは、何よりも不条理な玉砕を生
き延びた漫画家なのである」
と、A氏が記した言葉にも納得した。

3神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。
4わたしの咎をことごとく洗い
罪から清めてください。
詩編 51編3~4節

チクロンB
毒ガスのチクロンBアウシュビッツにて

坂の途中から2024年8月18日中島善子
東京都大田区で生まれた。四畳半二間のアパートの前には車線の間に
緑地帯がある道路(現在の環状七号線)があった。車も少ないから、一人
で道路を渡り、緑地帯で良く遊んだ。
幼稚園はあちこち寄り道をしながら通園した。当時は高層ビルもなか
ったから、幼稚園の園庭から、右に東京タワー、左には富士山が良く見
えた。幼稚園に入っても、相変わらず近くの原っぱや神社の境内で、友
達とひたすら遊んだ。
小学校四年生の終わり、東京の郊外の団地に転居したが、ワクワクす
ることばかりだった。友達の家に遊びに行けば、庭に本物のニワトリや
牛がいて、養蚕も(「おかいこさん」と言っていた)やっていた。
団地の周りは里山で、学校帰りに友達が大勢やって来て、ランドセル
を私の部屋に投げると、靴も服も体も泥だらけにして、暗くなるまで毎
日毎日、遊び抜いた。東京でも郊外は、空気が澄んでいたせいもあって
か、とにかくお腹が空いた。朝から、ご飯を四杯食べていたことを覚え
ている。たっぷり遊んで、たっぷり食べる子供時代だった。
どうか世界中の子供がたっぷり遊んで、たっぷり食べて、たっぷり愛
されて、平和に、すこやかに過ごせますように。どうか偏った平和では
なく、神の平和が実現しますように。

どうか、平和の主御自身が、
いついかなる場合にも、あなたがたに
平和をお与えくださるように。
主があなたがた一同と共におられるように。
テサロニケの信徒への手紙二3章16節

アウシュビッツ
子供たちの衣服労働力にならない子供は抹殺された
アウシュビッツにて

坂の途中から2024年8月11日中島善子
まだ小さかった子供と一緒に映画館に行った。館内には、子供の遊び
仲間も保護者と一緒に大勢来ていた。「となりのトトロ」を見るためだ。
楽しい「トトロ」の世界に、親子でグイグイ引き込まれ、超楽しかった。
「トトロ」は2本立てで、次は「火垂るの墓」だった。
「火垂るの墓」は、戦争で両親を亡くした兄と妹の物語。しばらく親
戚を頼って生活するものの、戦後の貧しい時代、兄妹は邪魔者扱いされ、
居づらくなる。そこで兄妹は洞穴を見つけて暮らし始める。真っ暗な夜、
兄がホタルをたくさん洞穴に放って、妹を喜ばせる。しかし充分な食べ
物もなく、次第に妹は弱って行き、ついに息を引き取る。兄も続いて、
死んでしまう。
映画館を出てショックのあまり、子供に何と声をかけたか私は忘れた。
だけど3日間、「火垂るの墓」の映画の場面が、くりかえし夢に出て来て、
夜中に何度も飛び起きた。
そして「火垂るの墓」で、今も目に焼きついているのは、遠くの夜景
を見ている2人の姿だ。
死んだ兄と妹が、遠くの夜景を寄り添いながら見ている。何も言葉を
交わさないまま、兄妹がじっと夜景を見ている。2人はあの夜景の中で何
を感じ、何を言いたかったのだろう。
2人が憧れる平和を、私達は築いて来れたのだろうか。

わたしは、平和をあなたがたに残し、
わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。
心を騒がせるな。おびえるな。
ヨハネによる福音書14章27節

アウシュビッツ
野焼きされる死体アウシュビッツにて

坂の途中から2024年8月4日中島善子
1964年の東京オリンピックは子供の頃だったので、特別な興味はなかった
が、東京オリンピック公式映画を学年全体で観たことを、パリオリンピック
開催中の今、思い出した。
跳躍したり、疾走したり、水を切って泳ぐ選手達の美しい姿に、小学生の
私は見とれたし、結果は分かっているのに、アベベの後から円谷選手が、
代々木の競技場に現れた時は、「円谷ガンバレ!円谷ガンバレ!」と、皆で
声援を送った。でも私の心に最も強烈なインパクトを与えたのは、閉会式の
映像だった。
開会式の整然とした入場行進とは全く雰囲気が違う。列も作らずバラバラ。
でも笑顔で肩を組んだり、肩車をしたり、手をふりながら、選手達が競技場
を歩いている。国の区別も取っ払って、互いに仲間として、実に楽しそうに
歩いてる。それを見て子供心に驚いた。「これって、ありなんだ」。
あれから半世紀以上が経った。多くの発明、発達、繁栄が地上を覆ったが、
東京オリンピックで見た「すべての垣根を取っ払った仲間の笑顔」は、まだ
実現してない。だから今、私達が成すべき務めを、出来る限り果たして、生
きたい。

わたしの戒めに耳を傾けるなら
あなたの平和は大河のように
恵みは海の波のようになる。
イザヤ書48章18節

無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。
平和な人には未来がある。
詩編37編37節

アウシュビッツ
アウシュビッツにて

坂の途中から2024年7月28日中島善子
愛知県など各地で連日、熱中症警戒アラートが出ている。牧師館の
一階でパソコンに向かい、仕事をしている。勿論、起きてから寝るまで
エアコンは稼働。エアコンの設定温度を初めて20度にしたけど、暑い。
「変だなぁ」と室内の温度計を見たら30度。えっ、完全にエアコンが負
けてるじゃん。
礼拝後の教会外周り掃除は、暑いため中止した。日没後に帽子をかぶ
り、日焼け止めを塗り、グングン伸びる雑草処理などをしている。しか
し汗をかきにくく、熱が体内にこもる体質なので、やがて息が苦しくな
る。ここは日本だよなぁ。しかもまだ7月なんだけど。
熱中症で倒れて、緊急搬送されるケースも増加していると聞いた。
友人の牧師夫婦が高熱で倒れた。暑い地域なので、熱中症かと思ったら、
2人ともコロナだった。
コロナ予防のために、マスクをつける生活は、当たり前の風景になっ
てきたが、この猛暑の中でマスクを着けるのは、拷問とも言える。
パリオリンピックが開催され、屋外競技もたくさんある。選手や観戦
者の命は大丈夫か。

「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
マタイによる福音書6章21節

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛するか、
一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。
あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
マタイによる福音書6章24節

リトアニア
常に祈りがささげられるリトアニアの教会にて

坂の途中から2024年7月21日中島善子
聖書研究祈祷会では互いにヨシュア記を読み、語り合い、祈りを合わせ
て来た。ヨシュア記が終わり、今月から時代を少し下り、イザヤ書を読み
始めた。祈祷会では聖書の内容を簡単にまとめたB5サイズのレジュメを、
毎回配布している。
そこで読み終えたヨシュア記のレジュメを保存しようと、牧師館の本棚
を探したが、あいにくB5サイズの紙ファイルの在庫がなかった。仕方ない
ので買いに行くことにした。
店でB5サイズの紙ファイルを探した。探したけど、ない!別の店も探し
た。探したけど、B5サイズの紙ファイルがない。店の棚に並ぶのはAサイズ
のものばかり。今まであったのに、え、これって、どういうこと??
(;゚Д゚)!!
これだけ探してもないということは、世間はBサイズからAサイズへと、
シフトチェンジしていたの?知らなかった。ということは、私って型落ち
人間だったの?知らなかった。B5サイズは、ちょうど良い大きさで、使い
やすかったのに。
新しい出来事に追いついていけない自分の姿に直面して、あぁ、立ちく
らみ……。

わたしに尋ねようとしない者にも
わたしは、尋ね出される者となり
わたしを求めようとしない者にも
見いだされる者となった。
わたしの名を呼ばない民にも
わたしはここにいる、ここにいると言った。
イザヤ書65章1節

エストニア
昔の扮装で働く店員さんエストニア・タリンにて

坂の途中から2024年7月14日中島善子
梅雨明け宣言はまだ聞いていないけど、叩きつける豪雨が降ったかと
思うと、翌日は、体温を上回る暑苦しさになる。この暑さで洗濯物は、
2時間ほどで乾く。それだけは有難いけど、外に出て行く勇気が持てな
い。仕事をしながら、毎日アイスを食べてばかり。今年も順調に、夏太
りの予感。
この暑さの中、全国の高校球児たちは、甲子園を目指して日々、練習
に励んでいるのだろうか。でも大丈夫か?根性で頑張れば良い時代は過
ぎた。大会は甲子園球場ではなくて、ドームのある球場で実施したら良
いのではないか。熱中症で死んで欲しくない。関係者は、かけがえのな
い命を最優先で決断し、行動して欲しい。
記録的な猛暑は世界中に広がっている。メッカの巡礼者が猛暑の中、
大勢死亡したという。彼らは信仰を最優先して、メッカまで駆けつけた
熱心な人なのだろう。でも神が与えてくださった尊い命を大切にして欲
しい。
限られた地球の上で、同じ時代を生きているすべての命が愛されて、
守られて、尊ばれますように。

20生きているのは、もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に生きておられるのです。
わたしが今、肉において生きているのは、
わたしを愛し、わたしのために身を献げられた
神の子に対する信仰によるものです。
21aわたしは、神の恵みを無にはしません。
ガラテヤの信徒への手紙2章20~21a節

聖ヴィート大聖堂
聖ヴィート大聖堂プラハにて

坂の途中から2024年7月7日中島善子
元旦に起きた能登半島地震から、半年が経過した。未だに上下水道が
復旧していない地域も多い。被災した家屋などの撤去作業がなかなか進
まないので、仮設住宅の広がりも充分ではない。
能登半島の珠洲市に原発建設計画があったことを、最近、知った。珠
洲市の一般市民が粘り強く原発建設の反対運動を続けたことによって、
原発建設が見送られたことも合わせて知った。
元旦に起きた地震で半島の海岸は数メートルも隆起した。幸いなこと
に、能登半島の志賀原発は稼働していなかった。更に幸いなことに、珠
洲市に原発は建設されなかった。
地震被害を予測していたのか。原発建設に反対された市民の方々の先
見の明に心から感謝したい。もし珠洲市に原発が建設されていたら、も
し志賀原発が稼働していたら、地震による原発被害は長野、新潟などに
も広がったはず。
自然を支配できると思い上がった人間の傲慢さを、神から糾弾、叱責
された気がする。時を逃さず、悔い改めないと、取り返しがつかなくな
る。今は、未来を創る今だ。

起こるべきことをわたしたちに示し、告げてみよ。
初めにあったことを告げてみよ。
我々はそれを心に留めよう。
あるいは、来るべきことを聞かせてみよ。
未来のことを悟るとしよう。
イザヤ書41章22節

無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。
平和な人には未来がある。
詩編37編37節

チェコ産業貿易省庁舎
プラハで原爆ドームを思い出す

坂の途中から2024年6月30日中島善子
N牧師が土曜日の夜、牧師館に泊まりに来た。翌日、豊橋市内の教会と
の講壇交換で、日曜学校と大人の礼拝の奉仕をするためだ。N牧師の宿泊
に加えて、私は土曜日に金城学院同窓会の礼拝奉仕があるため、日曜の礼
拝原稿を早く仕上げなくてはならず、頑張った。(やれば出来るじゃん)
N牧師は午前中の講壇交換を終えたら、静岡に移動して、牧師療養中の
教会で礼拝奉仕をした。
また「季刊・教会」の最新号を読んだら、神学校の同級生牧師が関わっ
ている他教会の礼拝や地域の関係施設などについて、報告がされていた。
今、神学校の入学者数より、牧師の引退・逝去数が上回り、1人の牧師が
複数の教会を兼牧することは珍しくない。
どうしたんだ?日本の教会は。どこを向いて、何を求めているのか。何
を聞いて、何を信じて、何を語っているのか。
主なる神、どうか一人一人に、すべての教会に、神の愛を、罪の赦しを、
救いの確信を深く、豊かに与えてください。

28あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。
29疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
30若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
31主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
イザヤ書40章28~31節

教会
クトナー・ホラの聖バルボラ教会
チェコにて

坂の途中から2024年6月23日中島善子
アダムが神に背いてから、人は神の愛と命とは反対方向、罪と死の深淵
に沈んだ。それでも神は人を見捨てられない。神は愛だから。だから神は、
人が沈んだ罪と死の深淵まで、手を伸ばす。その神の手は神の独り子キリ
スト
。キリストは罪人をつかみ、神に連れ戻せる唯一の方。それはなぜか。
過去、現在、未来。すべての罪人の保釈金を、キリストの命で、神が全
額、支払ってくださったから。
教会が掲げる十字架は、「あなたの罪が赦されるための保釈金は、支払
い済み」という揺るぎない領収書だ

だからキリストの十字架の赦しを信じて、キリストの中に飛び込んで、
新しく生き直さなかったら、勿体ない。
神は愛だから、神は私達を罪の中に見捨てないし、決して私達を諦めな
い。そして神は礼拝に招き、告げてくださる。「I Love You」。これが礼拝
の中身。私達がどんなに弱く貧しくても、私達は神に愛されている。その
確かな証しが、十字架だ。誰も神の愛から漏れていない。礼拝の度に私達
は神からの「I Love You!」を聞いている。

38わたしは確信しています。
死も、命も、天使も、
支配するものも、現在のものも、
未来のものも、力あるものも、
39高い所にいるものも、低い所にいるものも、
他のどんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスによって
示された神の愛から、
わたしたちを引き離すことは
できないのです。
ローマの信徒への手紙8章38~39節

十字架の道
カレル橋の十字架プラハにて

坂の途中から2024年6月16日中島善子
今週もリハビリに行ったが、リハビリ効果は怪しい。腰も股関節も、
とっくに賞味期限が切れているから、パソコンに向かう時間が長くなっ
てくると、下半身の痛みも半端ない。そして痛みが我慢できなくなると
寝そべり、スマホで動画を見るしかない。サボっているんじゃないの。
ストレッチなの。寝そべったまま、ストレッチしているのよ。
信仰の友人と先月、電話で話した。友人も私と同年代で、私よりもず
っと酷い痛みを全身に抱えている。過酷な痛みを抱えながら、日常生活
全般をこなすのは、大変だろうなぁとつくづく思う。でもその友人が言
った。
「痛いけど、つらくはない」。
全身に痛みをかかえている。でも信仰者として生きている友人は、
「痛いけど、つらくはない」と言う。
体の痛み以上に耐えがたい「生きる苦しみ、悲しみ」が、神を信じる
信仰生活を通して、徐々に癒されてきた幸いを、友人は全身全霊で味わ
いながら今を、神と生きている。

3「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
4悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。

11わたしのためにののしられ、迫害され、
身に覚えのないことであらゆる悪口を
浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
12a喜びなさい。大いに喜びなさい。
天には大きな報いがある。」
マタイによる福音書5章3~4、11~12a節

十字架の道
エルサレム十字架の道にある教会で

坂の途中から2024年6月9日中島善子
全国連合長老会日曜学校委員会編「カテキズム教案」に、委員の一人と
して関わって来た。現在は年2回、教案作成の奉仕をするだけ。とは言え、
今回で38号。子供が楽しく日曜学校に取り組めるよう、毎回、分級教案原
稿のアイディアを絞り出すのは楽ではなく、締切を過ぎることもある。
でも今回、締切の1週間前に、1か月分の原稿を仕上げて発送できた。
なぜだろう。
教案の発行などの奉仕を担当されているのは、羽咋教会。今年の元旦、
能登半島の地震で被災した教会だ。そして今月3日も震度5強の地震があ
った。
自分の教会が危うい時に、外部に関わる余裕はないはず。しかし教案発
行の奉仕教会が変更になったとは聞いてない。ならば、せめて原稿の締切
を守りたいと思った。すると今回、締切前に、すべての原稿を作成して発
送できた。と同時に、今までの自分の甘えが心底、恥ずかしかった。

6主よ思い起こしてください
あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
7わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず
慈しみ深く、御恵みのために
主よ、わたしを御心に留めてください。

12主を畏れる人は誰か。
主はその人に選ぶべき道を示されるであろう。
13その人は恵みに満たされて宿り
子孫は地を継ぐであろう。
14主を畏れる人に
主は契約の奥義を悟らせてくださる。
詩編25編6~7、12~14節

鶏鳴教会
鶏鳴教会エルサレムにて

坂の途中から2024年6月2日中島善子
先月、金沢教会で中部教区総会が行われた。新幹線を乗り継ぎ、金沢へ。
駅からバスを利用して金沢教会。ここまでの移動で外国人観光客の多さに
驚いた。治安が良く、便利で、円安。外国人にとって、日本での旅行は最
高かも知れない。
総会では、元旦に起きた能登半島地震の被災地教会から、現状報告があ
った。報告しながら、言葉をつまらせる牧師。その姿から、現地での苦し
み、うめき、嘆きが津波のように押し寄せて来て、胸が痛かった。
地震発生から半年が経過するが、先の見通しは立たない。上下水道が整
わない所も多くある。受験、進学に備えていた人たちはどうなったか。
弱さを抱えている人たちは、今後、どうすれば良いのか。
また今総会で小さな教会が1つ解散になった。中部教区の前年度決算は
34,190,940円。1人の政治家が税金も納めず、懐に入れた金額と、ほぼ同
額かと悲しくなった。
日本の教会の貧しさを知ってか、知らずか、外国人観光客の気楽な姿を
見かけるのが、豊橋への帰り道、つらかった。

18神よ、耳を傾けて聞いてください。
目を開いて、わたしたちの荒廃と、
御名をもって呼ばれる都の荒廃とを御覧ください。
わたしたちが正しいからではなく、
あなたの深い憐れみのゆえに、
伏して嘆願の祈りをささげます。
19主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。
主よ、耳を傾けて、お計らいください。
わたしの神よ、御自身のために、
救いを遅らせないでください。
あなたの都、あなたの民は、
御名をもって呼ばれているのですから。」
ダニエル書9章18~19節

Servant of the Lord
鶏鳴教会エルサレムにて

坂の途中から2024年5月26日中島善子
先日、名古屋市美術館に行ったけれど、休館だったので、リベンジで
東京まで足を延ばし「キリコ展」(東京都美術館)「ブランクーシ展」(ア
ーティゾン美術館・旧ブリジストン美術館)「マチス展」(国立新美術館)
をハシゴして来た。
国立新美術館(2007年開館)は初めてだった。国立新美術館のフォルム
が柔らかくユニークで、黒川紀章の設計だとか。乃木坂の改札口から即、
美術館に入れたのも嬉しかった。
マチスは大好きな芸術家の1人。今回は絵画だけでなく、彫刻、空間
創造などもあり、ワクワクドキドキが止まらない。年を重ねても作品の
質は落ちず、むしろ新分野を目指して、とことん探求していく。晩年、
ベッドに横たわったマチスが腕を伸ばし、長い棒の先に絵筆をつけ、製
作している写真があった。命ある限り、与えられた賜物を発揮したいマ
チスの熱情が、1枚の写真から伝わって来た。
そのマチスの姿と先月末、逝去された星野富弘さんの姿が重なった。
マチスも星野さんも神から与えられた人生を余すところなく、最後まで
熱く生き抜いて逝かれた。見事。

25b『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。
主がわたしの右におられるので、
わたしは決して動揺しない。
26だから、わたしの心は楽しみ、
舌は喜びたたえる。
体も希望のうちに生きるであろう。
27あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、
あなたの聖なる者を
朽ち果てるままにしておかれない。
28あなたは、命に至る道をわたしに示し、
御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』
使徒言行録2章25b~28節

バラ
ステンドグラスからの光が壁を照らすマチス展にて

坂の途中から2024年5月19日中島善子
神はご自分にかたどって、人を造られた(創世記1:26-27)。そして
神は愛。神の愛を体現する者として、人が造られた。だが最初の人アダ
ムは神に背を向け、神の愛に背を向けた。それ以来、人は「愛する歴史」
ではなく、「愛せない歴史」を重ねて来た。そして人は、神の愛から離
れれば離れるほど、愛することができない「人でなし」になって行った。
地上の歴史は「人でなしの歴史」かも知れない。でも神は人を諦めな
い。神は愛だから。だから神は人をあるべき姿に立ち返せるために、ご
自分の御子キリストを地上に送った。「この人を見よ」と。
キリストこそが、神にかたどられた人の姿。本来あるべき人の姿が、
キリストにこそある。
キリスト。この人を見て、この人に聞き、この人に倣い、この人に愛
されて、この人を愛して生きる時にこそ、私達にキリストが刻まれてい
く。私達に「神の形」「神の愛の意志」「神の愛で生きる力と道」が刻
まれていく。そして私達は、本来あるべき人の姿で、命を生きるように
されていく。
キリストと出会うことは、本来の自分の生き方と出会い、あるべき生
き方で生き始めることだ。

神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
創世記1章27節

造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、
日々新たにされて、真の知識に達するのです。
コロサイの信徒への手紙3章10節

キリスト像
ポルトガルにて

坂の途中から2024年5月12日中島善子
雨の朝、金城学院大学の礼拝奉仕へ。新年度、学生が多く礼拝に参加
している。多くがノンクリスチャンだろう。私もそうだった。でも真の
神と出会うチャンスが与えられていることが嬉しい。命にとって最も大
切な神との出会いは、時を経て、必ず実を結ぶことを私も実感している
から。
礼拝後、久しぶりに名古屋市美術館へ。せっかく出かけたのだから、
寄り道しないと勿体ない。以前は栄駅で降りて、かなり歩いて靴ずれが
できたから、地図では、少し近くなる矢場町駅で降りて、スマホを頼り
に歩いた。
雨が上がり、暑くなってきた。近いはずなのに以前と同じくらい歩い
て、やっと名古屋市美術館に到着。すると入口に「本日休館日」の立て
札。え、うそ!!月曜日が祝日だったため、代休の休館日だった。
( ノД`)シクシク…
帰り道、矢場町駅に戻ろうとしたが、さっきと風景が違う。あれ?あ
れ?スマホを見ながら、駅を求め、ひたすら歩く。やがて持っていた傘
が、杖代わりに。(;一_一)
ヨタヨタで教会へ。すると教会の入口で、雨の粒を宿したバラが「お
かえり」と言ってくれた。ありがとう。

1「心を騒がせるな。神を信じなさい。
そして、わたしをも信じなさい。
2わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、
あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
3行ってあなたがたのために場所を用意したら、
戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」
ヨハネによる福音書14章1~3節

バラ
バラ豊橋東田教会にて

坂の途中から2024年5月5日中島善子
動画の見出しに、痩せ細った子供の写真があった。一瞬、ビアフラの
子供かと思ったが、ガザの子供だった。
中学生か高校生の頃、ビアフラ戦時下、痩せ細って老人のような子供
の姿を新聞で見て、心底、恐怖したことを、今も肌身に記憶している。
あれから半世紀が経ったのに、大人の強欲のために、今も飢えて、老
人のような姿で目をつむるしかない子供が、大勢いる。弱った子供の姿
を見るのは、イヤだ。本当にイヤだ。痛い。痛い。針で刺されたみたい
に心が痛い。全身が痛い。痛い。痛い。だから、もうやめて。本当にや
めてくれ。
今朝、朝刊一面に「ハマス、ガザ停戦交渉へ」の見出しを見つけた。
とにかく争いはやめて。大人の勝手な屁理屈で、子供をつぶさないでく
れ。子供をつぶすことは未来をつぶすことだ。未来を歪め、未来をつぶ
す権利なんぞ誰にもない。地球上どこであれ、争いは即刻やめてくれ。

17だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で
善を行うように心がけなさい。
18できれば、せめてあなたがたは、
すべての人と平和に暮らしなさい。
19愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。
「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と
主は言われる」と書いてあります。

21悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
ローマの信徒への手紙12章17~19、21節

岩のドーム
イスラムの聖地岩のドームエルサレムにて

坂の途中から2024年4月28日中島善子
愛知東地区の婦人会総会に出席した。この日は礼拝奉仕もあるため、
日曜日と同じ礼服で、会場の岡崎教会へ急いだ。総会は10時半~12時ま
で。議事進行を踏まえて、説教原稿は短い。でも「早く終えなくちゃ」
との思いが先立ったせいか「早口でしたね」との感想を聞いた。
(;゚Д゚)あちゃ~!
総会後、能登地震被災地教会を支援するために、バザーが行われた。
手造りの品などが並んだ。私も手作りの絵ハガキ5枚1組を200円で提供
して、無事に完売した。
バザーで売れ残った品は各自が引き取るのだが、ある方が「持って帰
るのが面倒だから」と赤いセーターをくださった。「赤は好きな色だけ
ど、今まで赤い服を買ったり着たりしたりしたことは、なかったなぁ」
と思いつつ、感謝して戴いた。
赤い服を着る還暦は、とっくに過ぎたし、古希も過ぎてる。しかし限
りある残り時間。主が許してくださる限り、これまでやったことがない
こと、新しいことにチャレンジするのも良いかも知れない。

13怠け者は言う
「道に獅子が、広場に雄獅子が」と。
14扉はちょうつがいに乗って回転する。
怠け者は寝床の上で寝返りを打つ。
15怠け者は鉢に手を突っ込むが
口にその手を返すことをおっくうがる。
16怠け者は自分を賢者だと思い込む
聡明な答えのできる人七人にもまさって。
箴言26章13~16節

教会
バザーに出品したハガキの一葉

坂の途中から2024年4月21日中島善子
神が土の塵で人を造り、命の息を吹き入れることにより、人は生きる
者となったと、創世記2章7節は記している。
塵はゴミクズ。そんなものに、神はご自分の尊い命の息を吹き込み、
ご自分の命を分け与え、神と共に生きる者とした。このようにして神か
ら造られたのは万物の中で、人だけだ。それなのに人は神に背を向け、
罪と死の中に堕ちて行った。それでも神は、人を罪と死の中に放置され
ない。人が罪と死の中で朽ち果てることを、神は良しとされない。
それどころか神は、塵・ゴミクズに過ぎない人を罪と死の中から救う
ために、ご自分の御子キリストの命を差し出す。塵の輩、ゴミクズの輩
が、死ぬべき者ではなく、生きるべき者とされるため、神は御子の命、
神の命を使い尽くす
それが、十字架だ
アホらしい。どこに塵やゴミクズの命を救うため、我が子の命を捨て
る親がいるか。でも神はそれをされた。私達を罪と死から救うため、死
んでも尚、神と共に生きる者とするために、神は、御子を十字架の祭壇
で献げることを良しとされた。
それほど私達は神に愛されている。御子の命さえ惜しまないほど、私
達は神から愛されている。だから私達は生きて良い私達は1人の例外
もなく、神から愛されている

だから何があろうと、私達は生きて良い
このことを知るために、知って、神と共に生きるために、神は私達を
造られた

神は、独り子を世にお遣わしになりました。
その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
ヨハネの手紙一4章9節

教会
テンペリアウキオ教会フィンランドにて

坂の途中から2024年4月14日中島善子
4月最初の礼拝の時、教会の桜が満開だった。その後、強い雨が降った
ので、桜の花びらが、たくさん散ってしまった。そして今日、仕事を中断
して、教会の桜の周りをなんとなく歩いた。
すると足元が白い水玉模様になっている。教会の階段も、教会の前の
道路も、あたり一面が桜の花びらで、小さな白い水玉模様になっている。
なんだか可笑しくなって、心の中で笑った。
高い木の上で咲いている桜。散ってしまった桜。どちらも同じ桜。でも
私の足元を、水玉模様にしてくれている桜に、感謝した。私の上と下。
桜で暖かくサンドイッチされていることに、心から感謝した。

わたしに尋ねようとしない者にも
わたしは、尋ね出される者となり
わたしを求めようとしない者にも
見いだされる者となった。
わたしの名を呼ばない民にも
わたしはここにいる、ここにいる
と言った。
イザヤ書65章1節

「わたしは、
わたしを探さなかった者たちに見いだされ、
わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」
ローマの信徒への手紙10章20節

花屑
花屑豊橋東田教会にて

坂の途中から2024年4月7日中島善子
週の初めに、体調を崩してしまった。新年度の準備など、やるべきこと
は山ほどあるのに、何もする気にならなくて、エンジンが全くかからない。
豊橋公園に行った。教会の桜はまだ2分咲きだったけど、豊橋公園の桜
はシッカリと咲いていた。まだ春休みなのか、子供連れも多くいた。しば
し桜の下でくつろぐ。
牧師になって31年目。毎年、桜が咲いても、桜並木の下を通り過ぎるだ
けで、バタバタ仕事に走り回って来た。だから桜は、毎年、通り過ぎるだ
けの景色だった。
こうして桜の木の下に座り込み、ゆっくりお花見なんて、何十年ぶりか
な。思い出せないくらいの「久しぶり」。
その時にしか見えない、味わえない景色がある。それらを果たして私は、
五感を尽くして、味わって来ただろうか。
2024年度が始まった。神から手渡されている一瞬、一瞬をしっかり受け
止めていきたい。神から新たに手渡されていく一つ一つを、その甘さ、苦
み、優しさ、激しさを、逃げずにキリストに癒されながら、支えられなが
ら、導かれながら、とことん味わい尽くして、生きていきたい。

6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。
7そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、
あなたがたの心と考えとを
キリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピの信徒への手紙4章6~7節

桜
豊橋公園にて

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