東田教会 Menu

坂の途中から2025年5月18日中島善子
「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足で歩くものは?」。これはスフ
ィンクスが問いかけた「なぞなぞ」。答えは人間。朝は、赤ちゃんが手足
を使ってハイハイしている姿。昼は、自分の足で歩く姿。夜は、自分の足
と杖で歩く老人の姿。
整形外科で、下半身の負担を減らすため、杖の使用を勧められた。今、
スフィンクスの「なぞなぞ」を思い出しながら、「人生の夜」を歩く覚悟
を具体的に迫られている。
駅の階段などで、踏ん張ったつもりの足が私を裏切って、思わず冷汗を
かくこともある。「信仰の杖」だけじゃなくて、「転ばぬ先の杖」も必要
かな。まぁ、御心のままに。

主は羊飼い、私には何も欠けることがない。
主は私を青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。

主は、御名にふさわしく、私を正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行く時も、私は災いを恐れない。
あなたが私と共にいてくださる。

あなたの鞭、あなたの杖、それが私を力づける。
私を苦しめる者を前にしても、
あなたは私に食卓を整えてくださる。

私の頭に香油を注ぎ、私の杯を溢れさせてくださる。
命の在る限り、恵みと慈しみは私を追う。
主の家に私は帰り、生涯、そこに留まるであろう。
(詩編23編)

復活のキリスト
イスラエルカナにて

坂の途中から2025年5月11日中島善子
朝刊コラムに「軽くありたいという希望は、どの老人にも共通する一番
切実なことだと思います」と書いてあった。
仕事柄、高齢の方々を訪問し、また最後を見送って来た。高齢の方々の
家には、多くの物が残されていた。後片付けについて、以前は他人事だっ
たが、今は自分事として切実。
迷惑をかけないよう身軽でいたい。仕事上、持ち物で一番多いのが本。
若い牧師に譲るなどして減らして来たけれど、まだまだある。だから買い
たい本があっても、我慢。
それなのに、ユ〇クロの広告で値引きされたマチスの絵柄Tシャツを見
つけて衝動買い。消え物以外は買わないと固く決意したのに、値引き広告
に簡単に負けてしまった。

まことに、あなたは弱い者の砦
苦難に遭う貧しい者の砦
豪雨を逃れる避け所
暑さを避ける陰となられる。
(イザヤ書25章4節)

さて、私達には諸々の天を通過された偉大な大祭司、
神の子イエスが与えられているのですから、私達の
おおやけに言い表している信仰を、しっかり保とうでは
ありませんか。
この大祭司は私達の弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、あらゆる点において私達と
同様に、試練に遭われたのです。
(ヘブライ人への手紙4章14~15節)

アングリカン教会
アングリカン教会の礼拝後茶話会に参加マルタ島にて

坂の途中から2025年5月4日中島善子
金城学院大学で礼拝奉仕を行った。広い礼拝堂いっぱいに学生たちが座
っている。いいなぁ。何でもチャレンジ出来る若々しい可能性が、礼拝堂
に満ちている。いいなぁ。
樹木に囲まれることで、心身への癒し効果があるという「森林浴」じゃ
ないけれど、無尽蔵の可能性を秘めた学生が詰めかける礼拝堂で、共に讃
美歌を歌い、御言に聴くことで、御言を語る私自身が癒されているのを、
毎回、実感する。
そして帰りの乗り継ぎ駅のホームで、ふと目を上げたら、若々しい萌黄色もえぎいろ
の樹木がある。「癒されるなぁ」と思った時、気がついた。
「そうか、命なんだ」。
人も、動物も、植物も、それぞれ朽ちる命だけど、同時に無尽蔵の命の
可能性を宿す。自分が生きるためのたった一つの命だけど、でもその命は
自分以外の命を支えて、慰めて、癒して、励ます無尽蔵の命でもある。私
達の命は弱い。でも私達の命は、自分以外の命を導いて、立ち上がらせる
命でもある。しかも復活の主が、私達の命に寄り添っておられる。
復活の主に、感謝します。

死は勝利に飲み込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前の棘はどこにあるのか。
(1コリントの信徒への手紙15章54~55節)

アングリカン教会
アングリカン教会での礼拝マルタ島にて

坂の途中から2025年4月27日中島善子
病をおしてイースターのミサを行った翌日に、ローマ教皇フランシスコ
が召された。88歳だった。南米出身の教皇は、高齢だったが、各国を精力
的に訪問。日本にも来られ、広島・長崎の被爆地では、祈りをもって核兵
器廃絶を訴えた。
大勢の信徒が集まったバチカン広場で、葬儀のために棺が運ばれて行
くのを動画で見た。生前、教皇は信徒に短いけど、深く、暖かく信仰を
語っていた。子供にも届く言葉で、愛を込めて信仰を語っていた。その
言葉一つ一つに、教皇の信仰から、ほとばしる柔らかな体温があった。
弱い人々に寄り添い続けた信仰の生涯は、キリストに倣う生涯だった。
葬儀の後、教皇はバチカン内の大聖堂ではなく、ローマにある教会内に埋
葬される。教皇がバチカンではない教会に埋葬されることは、100年以上
なかったという。
キリストの復活を祝うイースターの翌日に召された教皇。愛された教皇
だから、信徒の嘆きは大きい。でもそれ以上に「死からの復活の希望」を、
すべての人に、置き土産として残して、天に旅立たれた教皇に、心から感
謝したい。

イエスは言われた。
「私は復活であり、命である。
私を信じる者は、死んでも生きる。
生きていて私を信じる者は、誰も
決して死ぬことはない。
このことを信じるか。」
(ヨハネによる福音書11章25~26節)

復活のキリスト
復活のキリストチャルトリスキ美術館ポーランドにて

坂の途中から2025年4月20日中島善子
礼拝で十戒を唱和するが、十戒を守って救われるためではない。十戒を
守れない自分の罪を知り、悔い改めるためだ。故に十戒に続き、罪の赦し
を聞く。そして罪の赦しを聞いた者は、神に愛されている神の子供として
新しく生かされる。でも神の子供として生きるとは、具体的にどういうこ
とか。その道標となるのが、十戒。
十戒は知っているが、私達は罪を犯す。だから罪の赦しの十字架の力が、
いつも私達に寄り添い、支える。私達が何度キリストを裏切ろうが、キリ
ストの十字架の力、赦しの力、愛の力、復活の命の力が、私達と共にある。
私達は弱い。だけど罪の赦しのため、死の底から復活したキリストは強
い。復活のキリストが、常に私達と共にいて、私達を助けてくださる。
だから失敗を繰り返しても大丈夫。十戒の道標を見つめ、復活のキリスト
と共に歩んで行こう。

十戒私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、
奴隷の家から導き出した神である。
あなたには、私をおいて他に神があってはならない。
あなたは、いかなる像も造ってはならない。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
安息日を心に留め、これを聖別せよ。
あなたの父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の家を欲してはならない。
(出エジプト記20:2-17,申命記5:5-21)

復活
キリストの復活(我に触れるな)大塚美術館にて

坂の途中から2025年4月13日中島善子
11年前、自転車で日本を旅するドイツ人高校生が、教会に宿泊した。
後に彼女は献身して、今月、立教大学で行われる研修のために来日。そし
て研修前、教会に来てくれた。
1日目は、彼女と豊川でパンを買い、豊橋公園でお花見。満開の桜と美
味しいパンで、ゆったり春を楽しんだ。教会に到着して一休みすると、彼
女はズームで英書購読。
2日目は、名古屋城と熱田神宮を目指して、彼女は1人で出かけた。
スマホを上手に使いこなして愛知の旅を楽しみ、名古屋城などの写真を送
ってくれた。豊橋に来て、5年目に入るが、私はまだ名古屋城も熱田神宮
も行ったことがない。
3日目は、豊橋東田教会の礼拝に、彼女も出席。礼拝後の長老会に陪席。
牧師の卵として初体験だったかも。夕食は、彼女がドイツ料理を手作りし
てくれた。牧師の務めは尊い。だけど多くの苦難もある。話をしながら涙
目になった私を、彼女がやさしくハグしてくれた。
 4日目は、豊川稲荷を一緒に初体験。大きな樹木が印象的だった。そし
て豊橋に戻り、新幹線に乗る彼女を見送った。前向きな彼女の生き方に勇
気をもらった。そして「十字架のキリストの後に、私も真っすぐ従って行
こう」と教会に帰る路面電車の中で、改めて思った。

私の後に従いたい者は、自分を捨て、
自分の十字架を背負って、私に従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、
それを失うが、
私のため、また福音のために命を失う者は、
それを救うのである。
(マルコによる福音書8章34~35節)

名古屋城
名古屋城にて

坂の途中から2025年4月6日中島善子
大リーグ開幕前、隙間時間を埋めるために、動画を探してハマったのが、
耳掃除の動画。極小カメラで耳掃除の様子が見られる。耳穴をふさぐ「怪
物」を医師がピンセットなどで引き抜いて行く。ウルトラマンが地の底で
退治した怪獣を、地上に引き上げて行く感じ。キモイが、再生回数が数百
万回という動画もあるから、変人は私だけではなかった。
耳の中は見えないから放置する。目に見えない罪も同じ。でも耳掃除動
画みたいに、罪が目に見えたら、どうだろう。礼拝で罪が赦され、罪が取
り除かれる現実が、目に見えたらどうだろう。風呂に入ったり、化粧した
りする以上に、人は真剣に教会に駆け込んで来るだろう。
十字架のキリストが献げてくださった命によって、私達の罪が赦され、
罪が清められて、「あなたは新しくなった」と、キリストに宣言していた
だける。この喜びと快感が耳動画のように目に見えたら良いのにと、密か
に思ってしまう。

「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを
知らせよう」。
そして、中風の人に言われた。
「私はあなたに言う。起き上がり、床を担いで
家に帰りなさい」。
その人は起き上がり、すぐに床を担いで、
皆の見ている前を出て行った。
人々は皆、驚き、
「このようなことは、今まで見たことがない」と
言って。神を賛美した。
(マルコによる福音書2章10~12節)

十字架の丘
十字架の丘リトアニアにて

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