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2023年度
坂の途中から2024年3月31日中島善子
先週、20数年ぶりに東京在住のご夫妻と礼拝で再会した。ご夫君は、私
が牧師になって最初に洗礼を授けた方。東京と愛知では遠距離だから、同
じ主を見上げて、共に礼拝できるなんて、想像もしてなかった。だから本
当にうれしかった。礼拝が終わって、昼食、夕食を共にしながら、それで
もまだ話は尽きなかった。
イースター礼拝ではキリストの復活を祝うと共に、私達も終わりの日に、
キリストに続いて復活させていただく救いの喜びを、前倒しで味わう。
そしてこの喜びの先にあるのが、救いが完成する終わりの日の礼拝。そ
の礼拝で、多くの信仰の先輩方と再会できる。パウロやペトロに会えるか
も。イヤイヤ、そんなことより、時空を超えたすべてのキリスト者が、主
の御前に集められ、高らかに讃美の声を合わせながら、父、子、聖霊なる
神を、共に仰ぎながら、共に礼拝できる。ハレルヤ。
地上の礼拝はすべて、終わりの日の礼拝の前味だ。

3もはや、呪われるものは何一つない。
神と小羊の玉座が都にあって、
神の僕たちは神を礼拝し、
4御顔を仰ぎ見る。
彼らの額には、神の名が記されている。
5もはや、夜はなく、
ともし火の光も太陽の光も要らない。
神である主が僕たちを照らし、
彼らは世々限りなく統治するからである。
ヨハネの黙示録22章3~5節

聖墳墓教会
聖墳墓教会エルサレムにて

坂の途中から2024年3月24日中島善子
前科こそ付かなかったけど、罪を犯しながら生きて来た。頭の中で、ど
のくらい人を殺してきたことか。意識しようがしまいが、息を吐くように、
罪を吐き出してきた。
だから十字架上で、すべての罪を赦すための代価として、キリストが、
ご自分の命を献げ尽くしてくださった。
それだけじゃない。十字架のキリストがその懐で、私を、すべての人を
抱きしめて、愛してくださっている。
でも私は空腹を覚えるよりも、喉の渇きを覚えるよりも、強烈に、必死
になって、キリストを求めているのだろうか。十字架のキリストの赦しを、
キリストの抱擁を、キリストの愛を慕い求めているのだろうか。
主なる神よ、冷たくも熱くもない私の信仰に、キリストを慕い求め続け
る熱さを、どうか与えてください。

15「わたしはあなたの行いを知っている。
あなたは、冷たくもなく熱くもない。
むしろ、冷たいか熱いか、
どちらかであってほしい。
16熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、
わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」
ヨハネの黙示録3章15~16節

12c多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。
イザヤ書53章12c節

聖墳墓教会
聖墳墓教会エルサレムにて

坂の途中から2024年3月17日中島善子
エジプトを脱出してからカナンに入るまで、イスラエルの民は40年、荒
野をさまよった。彼らの旅路には多くの困難があったが、神は彼らに昼は
雲の柱を、夜は火の柱を与えて、彼らを導き、照らし、守られた。40年間
は古代人の一生涯にあたるだろう。(出エジプト記13章21~22節を参照)
けれども神は私達の人生の旅路に、雲の柱、火の柱以上の尊い導きを与
えてくださった。十字架のキリストだ。
十字架のキリストは私達に、罪の赦しと、死から命に至る復活の道をも
たらす。十字架のキリストがおられなければ、私達に罪の赦しも、復活の
命の希望もない。でも神は私達に、十字架のキリストを与えてくださった。
十字架のキリストは、罪と縁が切れない私達の不自由さをご存じだ。そ
んな私達と共にいて、私達を何度でも赦して、何度でも愛して、何度でも
復活の命に導いてくださる。
だからキリストは「インマヌエル・神我らと共にいます」と呼ばれる。
罪人を大胆に愛し抜いてくださる全能の神が、私達の人生を共に生きてく
ださる。十字架のキリストと言う命の希望に照らされ、導かれて、守られて
いるから、御国に入るまで、私達は雄々しく今日も出かけて行ける。感謝。

19一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、
一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

21こうして、罪が死によって支配していたように、
恵みも義によって支配しつつ、
わたしたちの主イエス・キリストを通して
永遠の命に導くのです。
ローマの信徒への手紙5章19、21節

聖墳墓教会
聖墳墓教会エルサレムにて

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