2023年度
が牧師になって最初に洗礼を授けた方。東京と愛知では遠距離だから、同
じ主を見上げて、共に礼拝できるなんて、想像もしてなかった。だから本
当にうれしかった。礼拝が終わって、昼食、夕食を共にしながら、それで
もまだ話は尽きなかった。
キリストに続いて復活させていただく救いの喜びを、前倒しで味わう。
の礼拝で、多くの信仰の先輩方と再会できる。パウロやペトロに会えるか
も。イヤイヤ、そんなことより、時空を超えたすべてのキリスト者が、主
の御前に集められ、高らかに讃美の声を合わせながら、父、子、聖霊なる
神を、共に仰ぎながら、共に礼拝できる。ハレルヤ。
3もはや、呪われるものは何一つない。
5もはや、夜はなく、
のくらい人を殺してきたことか。意識しようがしまいが、息を吐くように、
罪を吐き出してきた。
ご自分の命を献げ尽くしてくださった。
抱きしめて、愛してくださっている。
になって、キリストを求めているのだろうか。十字架のキリストの赦しを、
キリストの抱擁を、キリストの愛を慕い求めているのだろうか。
る熱さを、どうか与えてください。
15「わたしはあなたの行いを知っている。
16熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、
12c多くの人の過ちを担い
野をさまよった。彼らの旅路には多くの困難があったが、神は彼らに昼は
雲の柱を、夜は火の柱を与えて、彼らを導き、照らし、守られた。40年間
は古代人の一生涯にあたるだろう。(出エジプト記13章21~22節を参照)
えてくださった。十字架のキリストだ。
たらす。十字架のキリストがおられなければ、私達に罪の赦しも、復活の
命の希望もない。でも神は私達に、十字架のキリストを与えてくださった。
んな私達と共にいて、私達を何度でも赦して、何度でも愛して、何度でも
復活の命に導いてくださる。
罪人を大胆に愛し抜いてくださる全能の神が、私達の人生を共に生きてく
ださる。十字架のキリストと言う命の希望に照らされ、導かれて、守られて
いるから、御国に入るまで、私達は雄々しく今日も出かけて行ける。感謝。
19一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、
21こうして、罪が死によって支配していたように、
師が語った。地区の牧師の年齢を平均したら、高齢に傾く。そのためか、
体調不良の報告もあった。
当然である「心身の衰え・老化」という現実を今、目の当たりにして、本
気でジタバタしている。
時、思わず手すりに頼る。長く歩いていると、股関節が悲鳴を上げる。
びついてしまったのかも知れない。
イヤ、そんなことがあってたまるか。次第に、また確実に衰えて行く心と
体と頭。この厄介さを担いつつ、与えられた命の時間を愛して、生きて行
けるか。
心配しなくて良い。十字架のキリストが両手を広げ、私達の右も左も上も
下も、ガッチリ支えてくださっている。それを確信して生きるのが、これ
からも人生だ。
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、
したことで、エジプトは大飢饉に備えることができて、多くの民が救われ
た(創世記41章を参照)。
いる。「イエス様の十字架と復活」だ。
献げてくださった。しかし三日目にイエス様は死を超えた永遠の命と体と
共に復活された。そして十字架の死と復活を信じる人々に、ご自分と同じ
命と体、罪のない神の子供の資格を与えると約束してくださった。
の反対にあるのは滅び。すべての人を滅ぼすものとは罪だ。罪は死の棘。
地雷のように、人は皆、罪に触れて自爆する。
を覆った。しかしイエス様は死から復活して、永遠の命と体を世に現わし
た。それを聖書は証言する。
救いの未来に向けて、日々、信仰のボートを漕ぎ出せば良い。
せ、福音を宣べ伝えながら、本物の命の救いに向けて、日々、私達は信仰
のボートを漕ぎ出せば良い。
御自身の国と栄光にあずからせようと、
中学生まで日本で生活していたウクライナ人の動画をチャンネル登録し
て、聞いている。その彼が来日して大阪や東京で、24、25日の土日にオフ
会をする。
中、警報が鳴らず、IDを携帯しなくても自由に外出ができる」など、来
日の感想を率直に語った。それらは私達が見慣れている日常だ。しかし
ウクライナでの日常は、日本での日常ではない。全くの別物になってい
る。
れば、ウクライナは無くなる。しかし国力の差は圧倒的だ。それを日々
体感している彼が、動画を通して語る一言一言が胸に突き刺さる。
「『これからも』と言われても、8~9割を既に消耗している」。
「戦争の対価が、高過ぎる」。
「どうなるか分からないから、今日を楽しむ」。
い。私達は無力だけど、無関心になりたくない。平和な日常を求める祈
りを、日本から送り続けて行こう。
5わたしたちの先祖はあなたに依り頼み
6助けを求めてあなたに叫び、救い出され
「家族が皆、自分にひれ伏す」夢を見たと告げた。ヨセフは傲慢だが、
後に彼はエジプトで奴隷となって働き、冤罪で投獄される。だが彼の夢
解きの力で、エジプトが飢饉から救われ、彼の家族もエジプトに避難し
て来て救われる。(創世記37~45章)
込めた。それは試練を通して、従順な神の道具に打ち直してから、ヨセ
フを用いるためだ。
神の御子なのに、徹底的に神に打ち直され、人となり、全人類の罪を背
負ったまま「神に呪われた者」として十字架で死んだ。神の救いの道具
となるために、キリストは誰よりも低くなることに徹した。それはなぜ
か。
ておられるからだ。
るほど、神は何でもする。今度は神の愛を知った私達の番だ。隣人の救
いのため、神の愛と救いを現わす道具として、今度は私達の人生が用い
られて行く番だ。
神はわたしたちを憐れみの器として、
ユダヤ人からだけでなく、
異邦人の中からも召し出してくださいました。
中村哲さんは医師だが「医療の前に食糧を」と、砂漠地帯における灌漑
工事をアフガニスタンの人々と共に行っていた。見渡す限りの砂漠地帯
が、灌漑により緑豊かな土地に変わって行く映像に驚いた。しかし2019
年12月4日、中村哲さんは、何者かによって射殺された。
のだが、それでも映画を見ていた私達の心は、大いに揺さぶられた。
の大仏を見た彼が「本当は誰が私を壊すのか」と、大仏の声なき声を記
している。
そして狂気のリングの前に立つ人たちは殺される。それでも、その前に
立ち続ける人たちがいる。罪と言う狂気のリングの前に立ち続けた人た
ち、「十字架のキリスト」に続く人たちがいる。
わたしは不毛の高原に大河を開き
荒れ野を湖とし
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、
日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
わたしのために命を失う者は、それを救うのである。」
今までとこれから」。オンライン参加者には、子育て最中の若い教職の
方々もいた。
に3年編入の神学生で、女性は2人だけだった。しかも神学校では、子育
て最中の主婦の入学は、私が初めてだったらしい(子供は小学校1年生)。
神学校時代の4年間、通学の往復4時間を含め、学業と家事の両立は、近
所に住む主婦仲間の支えがあってこそだった。
長引き、体力が戻らなかった昔を思い出して「そうだよね」と納得。そし
て更に、夫である牧師への育児休暇の要望も、最後に出た。
んじゃなくて、夫婦で寄り添いながら、教会の祈りと応援を受けて、教会
全体で子育てが出来たら、本当にうれしいし、幸せだ。そんな日が早く来
ますように。
47イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、
「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、
駅から大学まで坂道が続く。坂道が凍結していたり、雪が積もったりして
いたら、普通のパンプスだと、滑って危ない。そこで前日、靴底がゴツゴ
ツの黒靴を買った。しかも外反母趾も余裕の5E。初めて見た。5Eの靴
なんて。まぁ、デザインとか贅沢を言える身分じゃない。「機能性よ。機
能性が大事」と自分に言い聞かせた。
いたので、礼拝前の祈祷会にも参加することができた。教職員が礼拝前に
数人集まり、学生のため、大学のために祈りを合わせている。
的に教職員から祈られている学生って、なんて幸せなんだろう。祈りがあ
るって、そこに神の愛があるってことだよね。雪だったけど、幸せで、あ
たたかい朝だった。
7万物の終わりが迫っています。
8何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。
が50人、40人、30人、20人、10人いたら」と、アブラハムは神に執拗に
とりなした。しかし町は滅ぼされることになり、御使いがソドムに住むア
ブラハムの甥ロトに、「振り返らないで逃げろ」と告げた。
れた」と言う。ロトたちが救われたのは彼らが善人だったからではない。
「誰も滅びないように」と、必死に神にとりなしたアブラハムの祈りのせ
いだ。
れるようにと祈る、その祈りの先頭に十字架のキリストがおられるから。
神の御子なのに、罪人の頭として命を献げたキリストのとりなしは、決し
て空しくされない。
た途端、彼女は塩の柱となった。
私達が救われたのは「神の御子のとりなし」という尊い代価があるから。
この尊さを忘れ去り、罪の時代に後髪ひかれるなら、私達は塩の柱に変え
られる。
いの道を、命ある限り、ひたすら歩み続けろ。
だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。
死んだ方、否、むしろ、復活させられた方である
キリスト・イエスが、神の右に座っていて、
わたしたちのために執り成してくださるのです。
る上に、雪や雨の悪天候も重なり、苦境が続く。でも「もうあかんと思っ
て過ごしていた時、全国から続々と緊急車両が入って来るのを見て、思わ
ず涙があふれた」と、被災者の方が語っていた。それを見ていた私も思わ
ず涙目になった。同じ日本列島に住み、今を生きているすべての人が運命
共同体だ。
家の言葉を転用して語っていたのを聞いて、これまた涙目になった。そう
だ。同じ地球に住んで、今を生きているすべての人が運命共同体だ。
我が身の苦難として受け留める愛はあるか。互いに支え合いながら、与え
られた命を生き抜いて、次へとつないでいかなくてはならない。互いの足
を引っ張っている場合じゃない。
1目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
2わたしの助けは来る
7主がすべての災いを遠ざけて
8あなたの出で立つのも帰るのも
て、固まった。
繰り返されており、しばらくすると、倒壊した建物なども映し出された。
の能登半島地震で被災したために、困難の中で会堂建築を果たした教会も
ある。今はまだ諸教会の具体的な被害状況は分からない。
はじめ、速やかな救援が一人一人に届くこと、また必要な支援を受け、痛
みと嘆きの中から立ち上がって、再び歩き出されることを祈り続けます。
度でも、立ち上がらせてください。命の希望である主に向かって、日々、
新しく生かしてください。
2主にのみ、わたしは望みをおいていた。
3滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ
4わたしの口に新しい歌を
も夏ヤセもしなかった今年1年をふりかえり、大感激した出来事、上位3つ
を挙げたい。
ヌートバーが魅せてくれたダイビングキャッチ。オーストラリア戦の初回
で、大谷翔平が3ラン。メキシコとの準決勝では、村上の二塁打で逆転
サヨナラ勝ち。アメリカとの決勝は、同僚のトラウトを大谷が空振り三振
に仕留めて優勝した。あの歓喜、感激、興奮は忘れられない。
礼拝に必要な備えをすべて神からいただいて、休まず礼拝を献げることが
できた。これは人の努力を超えた神からの一方的な恵みによるもの。本当
に有難い。
いたことだったけど、神が一方的な恵みの時を与えてくださった。「洗礼
を受けませんか」と唐突な問いに自分でビックリしたが、「はい」と即答
が返って来たことにまたビックリ。躍り上がって歓喜した。洗礼準備と試
問会を経て、ご家族が見守るクリスマス礼拝で、キリストと1つに結ばれ
た新しい人が誕生した。感謝、感謝、感謝。
恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
もコーラスで参加しているとか。コンサートに行くのは数年ぶりだったか
ら、大感激。
起立し始めた。えっ?立っていいの??そして隣にいた学院長を始め、起
立した聴衆がハレルヤコーラスを歌い始めた。私もおずおずと起立して、
ソプラノになったり、アルトになったりの「なんちゃってハレルヤ」だっ
たけど、高揚した気分でハレルヤコーラスを歌った。うれしい。
が人として世に生まれた。それほど私達は神に徹底的に愛し抜かれている。
うれしい。本当にうれしい。
6わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水の
16この方の衣と腿のあたりには、
ほどの年齢差があるけど、豊橋に転任後も気軽に泊まりに来てくれて、
話が尽きない。そのN牧師が「近くにナザレという、うどん店がある」
と教えてくれたので、翌日、一緒に出かけることにした。
N牧師がスマホの道案内を見てくれて、先導。無事、「ナザレ」に到着。
店内は先客で賑わっていた。
の外食。「ナザレうどん」は麺もスープも極うま。朝食から、あまり時
間が経っていなかったけど、完食した。N牧師はスープまで飲み干してい
た。さすが若い!!
名。日本のキリスト者は1/100人だけど、信仰を隠さず、ナザレを店名に
して、長くお仕事を続けて来られたご一家の信仰の勇気が嬉しかった。
また「ナザレ」に行って、今度は別メニューにチャレンジしてみよう!
ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけである
そのおとめの名はマリアといった。
「おめでとう、恵まれた方。
げたが、彼は信じなかった。天使の言葉であれ、神の言葉であれ、人は自
分の器を超える神の知恵や出来事を信じない。でも人の器を超えられない
神って、なんだ???
ザベトは天使の言葉通り、子供(洗礼者ヨハネ)を産んだが、その間、天使
はザカリアの口を閉ざした。
腹では「そんなバカな」とつぶやく。私達も不信仰なザカリアと同じだ。
知っているし、信じている。そして神の救いが完成する終わりの日に、勝
利者キリストが再び世に来られることも、私達は聞いているし、知ってい
るし、信じている。だから私達はザカリアみたいに、黙っていない。
勝利者キリストが再び世に来られて、すべての救いを完成してくださる終
わりの日を信じて、備える。
れることを待望するアドヴェントだ。
更に、あなたがたは今がどんな時であるかを
あなたがたが眠りから覚めるべき時が
今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、
と夜通し語り合った。女性教職はいるけれど、まだまだ圧倒的に少数であ
り、弱者。
い。重責を背負いメチャクチャ忙しい。だけど男性教職のように先頭に立
てず、周回遅れの女性教職だからこそ、見えて来る景色もある。
っている。ある日、面会の終わりに、青年が女性教職に言った。「気持ち
良くなる、あれやって」。
ために毎回、祈っていた。祈りの言葉の意味は分からなかったかも知れな
い。だけど祈りの中にいる気持ち良さ、暖かさを実感していた。だから彼
は祈りを求めた。
ど、神の愛に触れる。人の言葉を超える神の愛に包まれると、人は新しく
生まれる。
47「わたしの魂は主をあがめ、
48身分の低い、この主のはしためにも
49力ある方が、
豊橋~名古屋~近鉄長島駅~マイクロバスで会場に行く予定。名鉄名古屋
の1番線ホームから近鉄に乗り換えるつもりなのに、えっ、1番線、どこ?
どこ?
「この電車は長島駅に停まりますか」と、車掌さんに聞いて、そのまま最
後尾の車両に乗車。
さえ見つけられない。(;一_一)困る。
たら教えますよ」と言ってくださり、「ここは金魚で有名よ」など、近鉄
あれこれを紹介してくださった。でももっと驚いたのは、途中交代した車
掌さんが「次は長島です」と私に言ってくださった。乗客が少ないことも
あったけど、最初の車掌さんが不慣れな乗客のサポートを次の車掌さんに
伝言してくださっていた。ビックリしたのと同時に、本当にありがたかっ
た。
時、隣の女性にお礼を言い、握手して、電車を降りた。うれしかった。
7憐れみ深い人々は、幸いである、
8心の清い人々は、幸いである、
9平和を実現する人々は、幸いである、
た。御子の命と引き換えに、すべての人の罪を清算した。十字架を見上げ
るたび、神に愛されていることを私達は確信する。私達は神に愛されてい
る命であり、存在。この恵み、この幸い、この良き知らせを「福音」とい
う。
福音は決して変わらず、消えず、永遠に残る。この良き知らせ・福音を受
け取ったら、愛する家族、隣人に伝えずにはいられなくなる。
暗闇にならないよう、福音と共に神の光を世にもたらす人。この世が罪の
毒で腐敗しないよう、福音と共に神の塩で、世にある敵意を清める人。
塩として生きるためであり、これが伝道。だが何も心配することはない。
る。真の世の光、地の塩であるキリストの後に従って、私達は生きて行く。
それだけでいい。
いかに美しいことか
山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
救いを告げ
あなたの神は王となられた、と
合いなさい」。聖書を読む前、教会に行く前から、イエス様を知る前か
ら、私達はイエス様に知られていたし、愛されていた。そしてイエス様
は神の愛の現物支給のお方。このイエス様から、すべての人が愛されて
いる。
い。「どんな時でも私達の命は丸ごとイエス様に愛されている」。これ
だ。だから私達も命の条件を問わずに、命を愛して生きて行ける。これ
がイエス様の救い。
し、満たされない。でもイエス様はどんな時でも私達を愛してくださる
神。この方に出会えた喜びを独り占め出来ないから、大昔から無数の教
会が「あなたはイエス様に愛されている大切な人。あなたは生きるに値
する」と伝えて来た。だから時も国も越えて、ここに教会が生まれた。
換えに十字架の上で完済して、私達を神の家族としてくださった。これ
ほど私達はイエス様に愛されている。一人の例外もなく愛されている。
いる喜びを伝えるのが、伝道。伝道とは、ますます愛して生きること。
目の前の人を、現実を、神の愛で愛して生きること。だから、神の愛の
現物支給のイエス様を伝えて生きる。互いに愛し合うために、神の愛の
深みの中で、神の愛を伝えて、私達は生きて行く。
わたしがあなたがたを愛したように、
互いに愛し合いなさい。
これがわたしの掟である。
ていただいた。金城学院大学の所蔵品だ。
の貴重な聖書を素手でペラペラめくった。
し1606年の「フランクフルト版絵入りルター聖書」の印刷は見事だけど、
革表紙など劣化はまぬがれることができず、400年以上の時を経た古文書
を実感。
は良いのよ」と教えてくれた。ビックリして横で見ていた私の表情に気
づいていたようだ。(;゚Д゚)
だけど、人の手が触れないことで、逆に劣化することもあるんだね。
「手入れ」って言うもんね。
初めからあったもの、
わたしたちが聞いたもの、
目で見たもの、
よく見て、
手で触れたものを伝えます。
すなわち、命の言について。
関する本、祈りに関する本、聖餐に関する本。そして今は「神様のファイ
ンダー」と言う本を読んでいる。書籍案内を見て注文した本で、有名な
「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した元米従軍カメラマン(ジョー・
オダネル)のことが綴られている。
りつき、それを切り抜いて日記に貼りつけた。写真の見出しに「ローマ法
王『これが戦争の結果』」と大きく書いてあった。
負って焼き場に立つ少年の写真入りカードを、ローマ法王が教会関係者に
配布したという。
の罪深さ、エゴイズムの罪深さ、神を無視する罪深さを私達に突きつける。
13互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、
14これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。
展に行くつもりだったけど、ネットで映画「旅するローマ教皇」を上映
中と知って、急遽、渋谷へ。
て驚いたけど、教皇になってから、50ヵ国以上を訪問していることにも
驚いた。しかも訪問先は、カトリック信徒が多い国だけではない。日本
もそうだが、キリスト者はほとんどいないであろう中東やアフリカなど
の国々も訪問している。押し寄せる人々と教皇の近さを見て、暗殺され
てしまわないかと、映画を見ながら勝手に心配した。ガザなど今、世界
は緊迫している。しかし教皇はすべての人の平和のために祈り、働き続
けるだろう。後に続いていきたい。
なぜなら与えることで
生活を続け、子供は信仰告白を経て、聖餐に与るようになった。私だけ
が救われるのではなく、子供も一緒に、否、子供こそ救われて欲しいと
切望していたから。現在も、子供は都内の教会で礼拝生活をしている。
仰の旅を続けて行く。信仰の旅を導く羅針盤は、神の愛・キリスト。
の兄弟姉妹とされる。死も、この恵みを取り消せない。洗礼の恵みを受
けた人は皆、神に属し、永遠に神の国を本籍とする者とされているから。
の豊かさを、教会も私達も常に語り続けていく。でもそれは聖書を教え
るだけではない。「あなたも私も神に求められ、愛されている大切な人
だ」と礼拝や日常生活で、私達が具体的に神の愛を現わして生きて行く。
ら大人も子供も同じ「神の子供」。洗礼を受けた人は誰でも神の子供。
「神の愛・キリストという天のマナ」を礼拝で受け取りながら、神の愛
がすべてを覆い尽くす神の国の到来を、皆で目指して生きたい。
5あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、
6今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
7子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも
美蘭氏を知らなかった。でも作品から作者が持つユーモアや時代を見つ
める深い機微が伝わって来た。
それがキリストの視線で描かれている。「そうか、キリストから見たら
こうなるのか」と思わずニタニタ。
ジリアニ風に、目がうつろなプーチンを描いた作品もあって、心の中で
大笑い。
た作品だが、福田氏の「悲母観音」は赤ちゃんを観音が抱きしめている。
グッジョブ!と心で拍手喝采。
が青と黄色に大胆に塗られていた。そして解説に「………ロシアのウク
ライナ侵攻を思った。しんしんと雪が舞う広重の絵柄はそのままに、ウ
クライナ国旗の青と黄色のイメージを重ねて、2023年の年賀状の絵柄と
した」と書いてあった。
和」が実現するために、一人一人が出来ること、やるべきことが、一人
一人に与えられている。そんなことを心の中で反芻しながら、帰宅の途
に着いた。
あなたがたの心を支配するようにしなさい。
あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。
語聖書「ギュツラフ訳聖書」(1837年)の関係資料コピーを見せていただ
いた。
彼らは舟が難破して北米に漂着したが、当時、日本が鎖国していたため
に、帰国することができなかった。そんな彼らのことを三浦綾子が小説
『海嶺』に書いている。(学院長が『海嶺』のDVDを貸してくれました。
主演の日本人漁師役は西郷輝彦でした)
が日本語翻訳に関わった「ギュツラフ訳聖書」の資料コピーを、今回、
見せてもらった驚きは半端ない。
けあるという。その貴重な1冊が東京神学大学にあることを聞いて、鳥肌
が立った。
カシコイモノゴザル。コノカシコイモノ
コノカシコイモノワゴクラク」と、とても丁寧なカタカナで書いてあっ
た。これを見て、日頃の聖書の取り扱い方を反省すると同時に、先人の
方々の想像を絶する労苦に、心からの感謝を献げずにはいられなかった。
初めに言があった。
水だけど「父と子と聖霊の名によって、あなたに洗礼を授ける」と宣言
され、洗礼を受けた人は、永遠に神の家族として「命の書」に名前が記
される。見た目は全く変わらないのに、なぜそんなことが起こるのか。
洗礼では、神の言葉と共に聖霊が働くからだ。絶大な神の力が、奇跡の
力が洗礼を受けたその人に働くからだ。
て、神の国のパスポートを持つ新しい人として、産声をあげる。これは
一方的な神の恵み。
それは人の知識や信仰よりも、神の愛と恵みの導きが、圧倒的にまさっ
ているからだ。
してキリストの十字架の血で、罪の赦しで、全身丸ごとコーティングさ
れる。洗礼を受けた人は、キリストの血と愛と命と祈りで、全身丸ごと
コーティングされる。でも罪の赦しは、罪をくりかえすためじゃない。
「神からの後押し、神からの大声援」だから。
一人一人が洗礼を受けて、救われるためだ。
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、
御自分の憐れみによって、わたしたちを救って
くださいました。
この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、
新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
がする。予感は的中して、道路は大雨で冠水している。このままだと、
20年以上も乗っている車がオシャカになるから、私は下車。車は教会に
戻った。
く私めがけ、猛スピードで走る車の水しぶきが、頭から降り注ぐ。雨水
に足を取られ、よろめく自分に驚く。「年をとるって、日々、老いる自
分との未知との遭遇だな」とか思いつつ、ずぶぬれ姿で病院を目指して
歩く、歩く。
に、帰宅することにした。でも私のナビは当てにならないから「路面電
車が走っているのは、どの方向ですか」と、出会った3人の方々に道を
尋ねた。
み、教会とは反対側の道に出た。いつも見ている方向とは全く逆で、初
めて見る景色。これも未知との遭遇。無事に帰宅したけど、リハビリ効
果は全部、使い果たした。
17主がわたしの助けとなってくださらなければ
18「足がよろめく」とわたしが言ったとき
19わたしの胸が思い煩いに占められたとき
師館の庭に白い朝顔が咲いていた。昨年、朝顔の種を蒔いたけど、余り
にも今年の夏が暑すぎて、8月の間は咲くことをずっとガマンしていた
のだろう。9月に入って、やっと咲いた今年最初の朝顔を見て、うれしい
と言うより、正直、悩ましかった。
ナに感染していることが分かったので、リハビリ予定変更の電話があっ
た。2020年から2023年。コロナのため様々なガマンを長い間、強いられ
ている。
て話をするのは、正直、しんどい。体質的に汗をかきにくく、体内に熱
がこもるので、次第に頭が痛くなる。
折れて、倒れてしまうことがありませんように。
55深い穴の底から
56耳を閉ざさず、この声を聞き
57呼び求めるわたしに近づき
混じってのミサだから、内容も分からないのに、それでも1人で通い続け
ていた。そしてミサの最後の方で、一列に並んだ人たちが、祭壇の前に
立っている神父さんから毎回、何かをもらっている。
った。キリストの体(後から知った)を表す小さな丸いウエハース。ただ
単純に私はうれしかった。
礼を受けた人だけなんだよ」というようなことを言われた。「すごく悪
いことをしたんだ」と思った私は、急に怖くなって、それからミサには
行かなくなった。
はフライングしたけど、今は礼拝で聖餐を受け、キリストの体をいただ
くことが赦されている。ありがたい。
を受ける幸いが、多くの方に与えられるように、小学生だった私と一緒
に祈っている。
23わたしがあなたがたに伝えたことは、
「これは、あなたがたのためのわたしの体である。
け。「山の日」???いまいち意味が分からない。だけど8月には、6日、
9日、15日など、国民の記念日としてふさわしい日があるのに、これらを
差し置いて、なぜ山の日なのかな???これを祝日にする必要があるの
かな???
「平和祈念日」とか「不戦祈念日」とか、国が定めてくれないものか。
そしてカレンダーにちゃんと記載してくれないものか。
にと、この世の大きな力が働く。しかし広島原爆慰霊碑に刻まれていた
文字は「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と告げ
ている。
道ではなくて、愛と平和に至る命の道」への尊いバトンを、今、生きて
いる私達がしっかり受け止めて、ほんの半歩でも良いから、キリストに
導かれて前進しつつ、歩き通していきたい。無数の未来の命のためにも。
10義のために迫害される人々は、幸いである、
する者は敵であり、敵の存在は認めず、赦さず、憎んで、ついには削除
する。これが私達の世界の現実。
びるな。神の平和に立ち帰れ」と聖書は告げる。そして神の平和とは、
キリスト。
未来、すべての人がかかえる敵意という爆弾を、キリストが飲み込んで、
十字架の死と共に葬った。人と人が和解するより先に、キリストがご自
分の体の中で、神と人を和解させ、人と人を和解させた。これがキリス
トによる和解。キリストによる平和。
活のキリスト。ここにこそ本物の平和が立つ。
長い間、敵意に振り回されて来た自分を、敵意から解放して、キリスト
の平和を思いっきり生きてみよう。
14実に、キリストはわたしたちの平和であります。
敵意という隔ての壁を取り壊し、
15規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。
16十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、
クライナ人の男性だった。彼は子供時代を日本で過ごしており、日本語
が堪能で、彼の動画からウクライナの日常(日本からの支援物資の配布な
ど)を知ることができる。事故を起こしたチェルノブイリ原発がウクライ
ナにはあるから、核の平和利用という危うさも、彼は知っている。
のではないか」と彼が祖父に聞いたら、「核兵器なしで、独立を守り抜
かなければならない」と、祖父は彼に答えたそうだ。
ようになりました。核で脅かされても、ひるまなければ、核兵器自体が
意味のないものになるのではないかと今、考えています」と、朝刊記事
は閉じられていた。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの
恵みと平和が、あなたがたにあるように。
プレゼントした。「はだしのゲン」は、ゲンと周辺の人たちの生活を通
して、原爆体験を子供にも伝わるように、しかも真摯に描いている漫画
で、英語だけでなく、ロシア語、ウクライナ語など、20ヵ国語以上の言
語に翻訳されている。言葉の垣根を超えて多くの人に読まれて来たし、
これからも多くの人に読まれて行くだろう。
平和教材から削除することを決めた。どうして?なんで?何を隠そうと
しているの?何から目をそらそうとしているの?
走った。45年前の夏に、冷房は要らなかった。
の生活は狂って来た。その中心にあるのは、足ることを知らない貪欲の
罪。私達の貪欲はすべてを焼き尽くす炎となって、地球も平和も命も飲
み込んで行く。それは原爆の熱線よりも熱くてむごい。最悪の熱さの中
で、かけがえのないもの、尊く大切なものが失われてしまわないよう、
目をそらさず、祈りながら、注意深く、誠実に生きる。それが未来に対
する私達の務めだ。
13だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、
しっかりと立つことができるように、神の武具を身に
着けなさい。14立って、真理を帯として腰に締め、正義を
胸当てとして着け、15平和の福音を告げる準備を履物と
しなさい。16なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
している団体の車が水没し、使用不能になった。でも車が無いと活動が
困難になるので、新たな車を準備する必要があり、献金箱が教会内に設
置されている。
金箱を設置して、わずかな額だが関係機関に送金してきた。ほんの数人
で、礼拝を献げている小さな教会で、できることは限られている。いや、
できないことの方が多いだろう。でも教会には最も頼りになる力がある。
ねられる時、大きな愛の力となって、神の出来事が必ず起きる。
…………………………………………………………………………………………
12希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、
15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
16いつも喜んでいなさい。
17絶えず祈りなさい。
18どんなことにも感謝しなさい。
19“霊”の火を消してはいけません。
から出した直後みたいに洗濯物がアツアツになっていて、驚いた。
豊橋も暑かったはずだ。翌日、金城学院の礼拝奉仕なので予想気温を調
べたら38℃だと。私の体温よりも高い(ちなみに私は低体温)。
駅で電車を待っている時、「動き出す浮世絵展」の広告を見つけた。
ちょうど帰り道。涼みがてら、美術館に立ち寄ろう。金山駅南口を降り
て、すぐそばにある美術館は初めてだ。浮世絵は珍しくないけど、動く
浮世絵は珍しい。四季折々を描いた浮世絵が動きながら変わっていく。
有名な葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」の大波も激しく動く。楽しい!
した浮世絵動画を友人知人に送信して、涼しさのお裾分けをしていた。
すると「熱中症にならないうちに、無事に帰宅を」と返信が来た。
6主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。
7神に逆らう者はその道を離れ
っしゃい!」と私は言う。神の恵みに包まれて、教会から新しく出かけ
て行く一人一人だから。
と言われた。こんなの初めて。♪(≧▽≦)ノ
私はスゴーーークうれしくて「おかえり!♪」と言った。
だいま!」と帰ってくる所なんだよ。
めて、疲れた羽を休ませ、養われる所が必要だ。一年中、心と体をすり
減らしている私達なら、尚更だ。
て、カラッポになった心と体のまま、キリストの体の中に「ただいま!」
と飛び込めば良い。
キリストが両手を広げて私達を抱きしめ、受け止めてくださる。そして
キリストの中で愛されて、癒されて、力を受けるから、私達はまた新し
く出かけて行ける。
だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
婦人会資料だけでなく、返却するための教会記録が詰め込んである。ズッ
シリ、かなり重たい。
今や日傘は誰にでも当たり前の日常品なんだ。昼過ぎで、暑さが半端ない。
持参の水筒で水分補給しながら歩いていたけど、水筒はすぐカラになった。
リュックが重いのと異常な暑さで、だんだん歩くのがしんどくなってくる。
とは言え、礼拝担当だから、寄り道している場合ではない。
余裕はない。ボ~とした頭のまま、礼拝に突入。何とか礼拝の務めを終
えた。
ていた。婦人会が、これまで地区の教会のために祈って来たことを今日、
初めて知った。
良かった。
6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
7そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、
記録を、なるべく早めに審査して返却したいと努力している。そして審査
を終えた教会記録を近隣の教会に返却するため、出かけた。勿論、歩きで。
リハビリ中の私にとって良い運動になると思った。
料は重たい。重い荷物をもって歩くって、良い運動を通り越しているかも。
体の内側にどんどん熱がたまっていく。元々、汗をかきにくい体質なので、
帰宅した時は顔が真っ赤。
費カロリーは120カロリー。こんなに熱いのに、これだけしか消費してない
の?
21わが子よ、力と慎重さを保って
22そうすれば、あなたは魂に命を得
23あなたは確かな道を行き
24横たわるとき、恐れることはなく
25突然襲う恐怖、神に逆らう者を見舞う破滅に
26主があなたの傍らにいまし
バタ礼拝準備をして礼拝を献げた。礼拝後、ある団体からの献金領収書を、
長老から預かったのに、その領収書をどこにしまったのか、全く思い出せ
ない。あちこち探したけど、全然、見つからない。ヤバイ!(;゚Д゚)
お詫びしつつ、団体にお話しすると、「領収書はすでに受け取りました」
とのこと。( ̄д ̄)えっ?!
ん。おい、どうする、私。
んでいる。だからキャパに入りきれないものがポロポロ抜け落ちている。
だけど、そのことに私は気づいてない。これが「老い」なんだなと、冷や
汗が出た。
たポシェットを身につけることにした。これをどこかに置き忘れないと良
いけどなぁ。
15この大祭司は、
16だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、
礼拝に集うのは本当に嬉しい。なぜなら聖書を通して、若い人が神と出会
えるから。そして聖書が指し示す神は愛。神は永遠の愛であり、最強の愛
のお方だ。
ら、人を愛せる。パウロは「愛がなければ、無に等しい」と言ったけど、
愛がなかったら、無どころか、ものすごいマイナスを世にもたらす。
くの知恵があったとしても、愛のない知恵、神なしの知恵であって欲しく
ない。
家庭も社会も破壊していく。今日も世界各地で、神を忘れて暴走する愛の
ない知恵と正義が、尊い命、暮らし、地球さえ破壊している。
出会い、愛を土台とした知恵を身に着けて欲しいと切望する。今なら間に
合うかも知れない。
7主を畏れることは知恵の初め。
13目を覚ましていなさい。
14何事も愛をもって行いなさい。
をふるう中、線状降水帯による河川の増水で避難勧告が出たらしい。外に
出ると、教会の前の道を雨水が勢い良く降って行く。週報コラムのタイト
ルの通り、教会は「坂の途中」にある。もしここが洪水で浸水したら、ど
こに逃げても助からないだろうなと思い、教会に戻った。
地から教会を気遣うメールなどをいただいた。
ただけることが、本当にうれしかったです。
な絆に支えられていることを実感して、本当にうれしかったです。ありが
とうございます。
無残に失われることがありませんように。そのためにも、神が創造された
世界を破壊し続ける人の傲慢を、どうか主よ、阻止してください。
3だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。
そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、
好き勝手に教師たちを寄せ集め、4真理から耳を背け、
作り話の方にそれて行くようになります。
5しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、
苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、
自分の務めを果たしなさい。
痛と股関節の痛みがあることも医者に告げた。で、レントゲンとMRI検査を
することになった。
った。このまま放置していると歩けなくなり、手術することになると医者
は言う。それは困ります。絶対にイヤです。日常的に猫背でパソコンを見
つめる生活。しかもコロナ禍の出不精で、6kgも太ってしまった。血流改善
の薬などを処方され、週1でリハビリ通いとなった。トホホ。
患者のリハビリだから、ムリなことはしないのだろう。理学療法士の方に
「リハビリで脊柱管狭窄症が治りますか」と聞いたら「いいえ」と即答。
リハビリをやるのは筋肉をつけて、股関節を守るためらしい。まぁ、痛み
を感じないで歩けるようになれば良いか。
が、非常に痛かったですよ。
23恐怖に襲われて、わたしは言いました
24主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。
25雄々しくあれ、心を強くせよ
方法が分からない。使用中の新しいパソコンとのお付き合いは1年未満だけ
ど、意思疎通がいまだに難しい。パソコンが色々と語ってくれるけど、カ
タカナ言語の意味が理解できない。
なかった絵は、中部教区総会(5/23-24)に持参して、担当教会の牧師に手渡
しした。パソコンと周辺機器を使いこなせない私が最後に頼ったのは超ア
ナログな方法。でも相手の顔を見て、言葉を交わしながら絵を手渡すこと
ができて、良かったなと思う。
すると彼らは今まで以上にキリストに触れ、キリストの言葉を聴いて、キ
リストと共にいて、キリストを知って、キリストを愛することができた。
あれほど無理解な弟子達が聖霊を受けてから、一変した。
のとして新しく生かされて、用いられて行く。うれしい。スッゴクうれし
い。
希望の源である神が、
信仰によって得られる
あらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、
聖霊の力によって
希望に満ちあふれさせてくださるように。
い私達の弱さ、貧しさを神は知っておられる。知っておられるから、神は
ご自分の懐に、私達を招き入れてくださる。「私のもとに来るが良い」と。
を失った時も「命を得よ」と神は私達に命じて、神と共に永遠に生きる命
と体を備えてくださる。
に人生を終えてしまう。でもこのことにNO!と言ってくださるのが私達を
創り、私達を愛してくださる神。この神の言葉に聞いて生きることが、私
達の本来の姿。
キリストだ。神は愛であり、神の愛の現物支給がキリストだ。
キリストを知らず、キリストと愛し合うことがなければ、巨万の富があっ
ても、X(かける)ゼロになる。
言葉に聞いて、キリストを愛して歩む時、神の愛と命に養われた豊かで幸
いな者とされる。そうなるようにと私達は神に招かれている。同時に自分
だけでなく、隣人のための「神の言葉の配達人」となるよう、私達は神に
招かれ、神の愛・キリストに養われている。
耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂に命を得よ。
わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。
終了したと思っていたが、甘かった。コバエの来襲です。('Д')
管は修理したから、ここじゃあない。念のため洗面所の水道は使った後、
必ず排水口に栓をする。洗面所の網戸には防虫スプレー。更に昨年、効果
を発揮した長い柄のコロコロを今年も常備。天井や壁に貼りついているコ
バエをコロコロしながら、連日、かなりのコバエを退治している。ぜんぜ
ん自慢にならないけど。
こに現れてもジャマなんだけど、仕事しているデスク周りを飛び交うコバ
エは、スゲー鬱陶しい。飲もうとしたコーヒーに飛び込むヤツもいるし、
夜はデスクライトに誘われて、なんと私の目の中に飛び込むヤツもいる。
それも一度や二度じゃない。
しにしてもらうぞ。
「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように
の署名が、新聞紙面いっぱいに並んでいた。そこに知人夫妻の名前を見つ
けた。夫妻はキリスト者だ。
ろうか。戦争を実体験せずに今日まで生きられたこと。そしてキリストを
信じて生かされてきたこと。
のだ。ただで得たものは粗末にしがちだけど、これらは粗末にできない。
否、粗末にしてはならない。
ちに、なし崩し的に、これらのものは歪められ、破壊され、失われて行く。
れている。だからそのことに充分、心を留めて今を生きよう。未来を生き
る人たちのためにも。
10主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく
11主が望まれるのは主を畏れる人
体調も整わない状況だったが、聖餐式の用意があると告げると喜んでくだ
さった。そのお姿を見て思った。
ストを求めていると。
ベッドにおられる方に食べさせてくださり、ブドウジュースも飲ませてく
ださった。
べて、キリストを飲んだ。そしてキリストと益々ひとつにされた。この確
かさは何にも代えがたい。
交わり。キリストが与えてくださる深く豊かな命の交わりが、施設の小部
屋の中で確かに実現している。
られたなら、滅びない。キリストにつかまれたら誰も滅びない。私達をつ
かむのは十字架の死から復活されたキリストだ。そして聖餐では、キリス
トの体と血をいただくこと、キリストご自身をいただくことが、私達には
赦されている。だから私達はどこにいて、どんなに遠く離れていても、死
の垣根さえも、楽々と跳び越えて、復活のキリストの只中で、キリストに
包まれて、共に生きることが赦されている。
54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
いてキリストを伝えたのか。
の中から救い出し、復活の命をもたらす唯一の救い主だと、全身全霊で確
信したからだ。この熱い確信は、自分の中だけに閉じ込めておけない。
キリストには神の愛、神の命、神のすべてが詰まっているからだ。
自分のすべてが乗っ取られること。そうなったら、キリストは私達を突き
破り、外に飛び出す。キリストの中に満ちる神の愛、神の命が、私達の全
身、私達の生活、私達の人生から飛び出して、外に向かって溢れ出て行く。
く、皆が救われるよう願わずにはいられない。そして誰かの救いのために
祈り願い、働く者とされていく。その時、私達はキリストと神の愛と命と
一つにされている。全存在を賭けて、キリストを信じて現わす器、神の愛
と命に満ちた器として、生涯、私達も神に用いられて行きたい。
13「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いて
14主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたち
た。時代劇だと、鼻緒を直してくれる武士が、ここで登場するけど、そう
はいかない。
ずりながら歩いたけど、スゴーク歩きにくい。鼻緒は短いから、足の指で
挟んでいても鼻緒は、すぐスッポ抜ける。その度に、しゃがんで指の間に
鼻緒を挟み直して、ソロリソロリと歩き出す。これを何度も何度も繰り返
した。だけど面倒くさくてダメ。根性ないわ。
た。足の裏が少し痛かったけど、素早く教会に戻ることができた。
みを見つけた。そうか。イースター礼拝を終え、ホッとした「気のゆるみ」。
あるある。新年度はまだ始まったばかりだ。先頭を行くキリストを見失う
ことが無いように、気を引きしめて、歩いて行こう!!
35イエスは言われた。
36光の子となるために、
せていただく。
うけど、いつもそっけなくて恐い。
洗礼を授けることになった。そして病床洗礼を授けた翌日、訃報を聞いて、
急いで駆けつけた。
別人になっている。今まで一度も見たことがない優しい顔。優しいと言う
のか、穏やかで、とても美しい顔で、その方は横たわっておられた。どう
いうこと?
だ。そして無抵抗のまま自分のすべてを復活のキリストに包まれたから、
復活のキリストの明るさ、暖かさ、柔らかさに丸ごと包まれたから、あの
方はビックリするほど優しくて、美しくて、穏やかな顔に変えられたんだ。
近づいてくださるせいなのかも知れない。
10わたしは、キリストとその復活の力とを知り、
11何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
12わたしは、既にそれを得たというわけではなく、
木の情報を頼りに出かけた。車で通ったことのある道を歩いた。歩き始め
ると、すぐ暑くなる。春だわ。
教えていただいて、目指す並木道に到着。でも遅かったせいか、思い描い
た桜並木は既になかった。
ど、柔らかい新芽の出た木立がおおいかぶさる並木を歩いた。木に囲まれ
ているだけなのに、さっきまでの車通りの道とは感触が全く違う。不思議
だね。
ら、ゆっくりゆっくり歩くのは、すっごく楽しい。こりゃ儲けたな。
の地図と現実とは、似て非なるものだと実感。私の方向音痴の才能は一級
品。ともあれ無事に、教会到着。かなり歩いたので嬉々としてスマホを見
たが、消費したのはたったの100カロリー。それなのに外反母趾と股関節が
痛い。コロナで外出しなかった分、太ったからねぇ。( ;∀;)
けど、神が用意しておられる新たな発見や驚き、出会いを全身全霊で受け
とめながら、大いに喜んで、大いに感謝して生きて行こう。
山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
このサイトの聖書の言葉はすべて以下から引用しています。
聖書
©共同訳聖書実行委員会
Executive
©日本聖書協会
Japan